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わたしはお父さんが嫌い。見た目がダサいし、加齢臭もひどい。てか、15歳の娘が、父親のことが好きだなんていうのは、ありえないと思う。だから、本当は理由なんてどうだっていいわけで、とにかく、できるだけ、話したくない。朝の「おはよう」だけで、一日の会話を済ませることができたらどんなにいいかって思う。
お父さんは、商社の万年平社員で、今後出世する見込みもまるでないようだった。そんなお父さんを見限って、お母さんは、物心もつかない、右も左もまだ分からなかった幼いわたしを置いて出て行った。お母さんを恨んではいない。お母さんはそのとき、まだ若くて、人生やり直しもきくと思ったんだろう。ナイス判断だと思う。お母さんの立場だったら、誰だってそうする。わたしだってそうする。
嫌われている人ほど、自分が嫌われているということに気づかないのは、世の常というもので、お父さんは、何かというと、わたしにからんでくる。こっちが嫌っていることも分からずにからんでくるから、いっそう嫌いになるっていう悪循環。
「ハンカチ、持ったか? ティッシュは?」
「学校ではうまくやってるか?」
「日曜日、映画に行かないか?」
「将来は何になりたいんだ?」
「変な男に言い寄られたらすぐに言いなさい。とりあえず、お父さん許さないから」
そういうお父さんの言葉がけに、わたしは、大体の場合は、「ウザッ」とだけ答えていた。そうして、機嫌がいいときは、「ウザッ、キモいよ」と、二言答えることにしていた。
そんなお父さんが、今、死にかけていた。
モンスターに襲われて。
「しっかりしろ……まなみ」
お父さんは、わたしの方を見ながら、言った。でも、それは、お父さんの方に言ってやりたかった。しっかりも何も、わたしは、傷一つ負っていない。大して、お父さんは、ボロボロだった。身につけているスーツが、まるで巨大な竜巻にでも遭ったかのように、ずたぼろになっていて、薄くなってきた髪の毛はバサバサ、手足には擦り傷を負っていた。
「しっかり……って言われても、ねえ、お父さん……あれ、何なの?」
わたしとお父さんの目の前にいたのは、どう言ったらいいんだろう。とかげを人型にして、巨大にした感じのモンスターだった。そう、怪人、トカゲマン! その手……というか、前足に槍みたいなものを持っていて、それが、学校への登校中にいきなり襲いかかってきたわけだった。始め、それを見たときは、ハロウィンか何かの着ぐるみだと思った。今は、梅雨時で、ハロウィンでもなんでもないけどね。とにかく、着ぐるみに誰かが入っていて、それで、襲いかかってきてるんだって。でも、そうじゃないみたい。だって、
「まなみ、危ない!」
トカゲマンは、5メートルくらいの距離を一気にジャンプして詰めるようにしてきた。これ、絶対人間わざじゃない。しかも、
「キェエエエエエエ!」
トカゲマンから上がった声が、この世のものとは思えないもので、人間が出しているものではなかった。
トカゲマンは、手にした槍で、お父さんをめった突きしてきた。それを、お父さんは、何だかライトセーバーみたいな光の剣でいなしているのだけれど、その剣がどこから出てきたのかは分かんない。トカゲマンのインパクトのおかげで、ライトセーバーはかすんでしまっていた。
「ふうっ……」
お父さんは――お父さん、お父さんっていうの面倒くさくなってきたから、もうオヤジでいいかな、ダメかな――再び距離を取るトカゲマンを睨みながら、
「まなみ?」
「な、なに?」
「お父さん、カッコいいか?」
「……はい?」
「リザードマンから娘を守る父さんって、めちゃくちゃダンディじゃないか?」
「お父さん」
「どうした?」
「鼻血出てる」
クソオヤジは、手の甲で鼻を拭うようにすると、
「そういうわけで、お父さんのカッコいいところを見られただろうから、お前はもう逃げなさい」
と表情を真面目なものにした。わたしは、お父さんから、5メートルくらい離れたところにいた。
「逃げる?」
「そうだ」
「でも、お父さん――」
「デモもストライキもないんだ! いいから、逃げるんだ。お父さんが必ず、お前を逃がしてやる。さあ、逃げろ!」
「どこに?」
わたしは、周囲を見回した。お父さんと一緒に通学途中――と言っても、お父さんは勝手にわたしのあとからついてきていただけ、一緒に歩いていたわけじゃないよ、念のため――だったはずのわたしの目には、当然に、歩道とか、車道とか、公園とか、公園前でわたしを待つカレシの姿とか、そういうものが映っているはずだったけれど、わたしの目に映っていたのは、見渡す限りの野原だった。もう見事なほどの、まるで、モンゴルかっていうくらいの草地で、「逃げろ」って言われて逃げたって、隠れるところもなければ、助けてくれる人も見えなかった。トカゲマンに襲われた前だか後だか分からないけれど、いつの間にかいつもの通学路から、大草原に来ていたのだった。
「やむをえないな……じゃあ、お父さんがあいつをやっつけるカッコいいところを見ているんだ」
「ねえ、お父さん……勝てるんだよね?」
「あ、当たり前だろ。お父さんを誰だと思っているんだ」
「普通のリーマンでしょ」
「馬鹿者! お父さんはな、かつてこの世界を――うおっ!」
トカゲマンは、再び突進してきた。超速い! お父さんは、突きつけられた槍をかわしながら、ライトセーバーを斬り掛けた。「当たった」と見えた瞬間に、トカゲマンは槍で受け止めていた。そこから、さらに、お父さんが何度か打ち込んだけど、全部、トカゲマンに防がれてしまった。真剣な立ち会いなのかもしれないけど、一方がトカゲマンで一方がリーマンなので、なんだか全然、深刻さがなかった。ヒーローショーでも見てるみたいだった。それでも、これが現実で、ショーじゃないのは、
「ううっ……」
お父さんが苦しそうに呻いて、膝をついたことから明らかだった。
「お父さん!」
わたしが声を上げると、
「だ、大丈夫だ……」
明らかに大丈夫じゃ無い様子で、お父さんは、よろよろと立ち上がった。そうして、
「おれも衰えたものだ。リザードマン相手に苦戦するなんてなあ」
とまるで若い頃は、買い物するついでに彼らを倒していたとでも言いたげな様子を見せた。
「ただ、安心しろ、まなみ。お前のことは必ず守ってみせる」
「さっきもそんなようなこと言ってたけど、本当に大丈夫?」
「ふっ、任せろ」
やたらと言い声で言ったお父さんは、ほおおおおっ、と何だか変な声を出し始めた。その声に応じて、お父さん持っているライトセーバーが、だんだんと膨らみ始めるのが分かった。
必殺技的ななんかだろうか、と思ったわたしの目に、トカゲマンが何やらふりかぶるのが見えた。お父さんの必殺技が完成する前に、トカゲマンから放たれた槍は、気合いをためているお父さんの胸のあたりに当たった。
お父さんは、悲鳴を上げて、倒れた。
「お父さんっ!」
わたしは、思わず、駆け寄った。仰向けに倒れたお父さんの薄くなってきた頭を抱えるようにすると、お父さんは、息も絶え絶えな様子で、
「まなみ……すまない……」
と言った。
守れなくてすまないというそういうことだろうか。わたしは、そんなことより、何よりお父さんのことが心配で、
「大丈夫なの!?」
尋ねると、
「ああ……おれは、大丈夫だ……」
と明らかに大丈夫ではない様子で言った。口の中が切れたのか、唇から血の筋が垂れているのが分かった。こんなお父さんの姿を見たのは初めてのことだった。これまでお父さんの、過保護で口うるさくて、クサくてウザい姿ばかり見てきたわけだけれど、こんなズタボロの姿を見るよりは、そっちの方が何千倍もマシだった。
次の瞬間、わたしの胸に現われたのは、トカゲマンに対する恐怖でも無ければ、これからわたしはどうなるんだろうという心配でも無かった。
「うちのお父さんに、何すんのよっ!」
わたしは、お父さんの手から、ライトセーバーを引ったくると、お父さんの頭を腕から落とした。ガンっと地面に何かがぶつかる音がしたけれど、気にせずに、トカゲマンへと向かう。元の大きさに戻っていたライトセーバーはみるみるうちに、わたしの怒りに応じるかのように膨らんでいった。もともとの大きさの2倍、3倍どころの話ではなくて、まるで、樹齢百年の木くらい大きくなった。
トカゲマンは、たじろいでいるように見えた。足をよろよろと、あとじさるようにする。
「逃げるなあああっ!」
逃げれば逃げるに越したことはないのに、怒りで我を失っていたわたしは、そんなことを大声で言いながら、ライトセーバーを、振り下ろした。空気を切り裂いたその一撃は、背を見せて逃げ始めたトカゲマンにあやまたず、振り下ろされた。
「ぎええええええっ!」
という思い切り気色の悪い断末魔の響きとともに、トカゲマンは消滅した。
その瞬間、ライトセーバーも一緒に消滅した。
倒したの? と思ったわたしは、すぐにお父さんの様子を見た。
「お父さん! お父さん!」
近づいて、上から覗き込むと、
「ううっ、まなみ、大丈夫か?」
お父さんが、苦しそうに言った。
「わたしは、大丈夫だけど、お父さんは?」
「だ、大丈夫だ……リザードマンは?」
「やっつけたよ」
「そうか……さすが、おれの娘だ……」
そう言って、目をつぶりかけたお父さんに、
「お父さん、死んじゃやだよ! こんなところで、一人にしないでよ!」
わたしは、大きな声を上げた。すると、その声に応じるかのように、お父さんは目を開けたけど、
「まなみ……お父さんは、もうどうやらダメなようだ。お前は、強く生きなさい」
弱い声で言った。
「ウソでしょ!」
「聞くんだ。お父さんのスマホのメモ帳に、これまでの経緯が書いてある。それを読めば、お前なら……ううっ」
「お父さんっ!」
別れというものは唐突に訪れるものというもっぱらの噂だったけれど、まさか、こんなに突然とは思わなかったわたしは、パニックに陥りかけていた。
そのとき、
「まったくだらしないわね」
上から声が聞こえてきたので、わたしは、「ひえっ!」と変な声を出した。そうして、声が聞こえてきた方を見て、二度ビックリした。だって、わたしが見た先に、いつの間にか簡素なワンピース姿の女の人がいて、それだけでもびっくりしたのに、その人がどっかのマジシャンみたいに、宙に浮いているんだから、よっぽどだった。
言葉も無いわたしに、その30代後半くらいの女の人は、微笑みかけると、空中に浮いたままで、何ごとかを唱えた。
すると、お父さんの体が、気持ち悪いことに、白く発光し始めた。げ、何コレと思っているうちに、その光はやんで、見ると、お父さんの体が、何というか綺麗になっているのが分かった。傷が消えている。
「ほら、さっさと起きなさい」
いつの間にか、わたしの前に立っていた女の人は、彫りの深い顔立ちとグラマラスなボディを持つ美人だった。お父さんは、目を開いて彼女を見た。
「マナ!」
「まったく、リザードマン一体倒せないって、この10年何をしていたのよ」
「何と言われても……それより、この世界におれを呼んだのは、きみなのか?」
「そうよ。再びこの世界に危機が迫っているの。で、元勇者のあなたの力を借りようと思ったんだけど、あやうく、死にかけたわね」
「さっきのリザードマンはきみの仕業だったのか」
「なんでそうなるのよ。あなたを転移させた先に、たまたまリザードマンがいただけよ」
「そ、そうか……で、何だって、危機だって?」
「そう。でも、あなたの助力はもう期待してないわ。もう帰っていいわよ。それよりも――」
そう言って、彼女はわたしの方を見た。
「まなみ、あなたの方が可能性があるわ」
いきなり呼び捨てにされたわたしは、一体何のことだかさっぱり分からない。
「簡単に言うとね。あなたのお父さんは、かつてこの世界、あなたから見ると異世界を、救った勇者なの。この世界を救ったあと、元の世界にもどったお父さんは、普通の会社員になって元の力を全く失って、だらしなくなったわけだけれど、勇者の力はあなたに受け継がれていたのね。さっきの光の剣の大きさは尋常じゃなかったわ。そういうわけで、今度はあなたに助けてもらいたいの。オーケー?」
何にもオーケーじゃないわたしは、そもそもからして、
「あなたは、誰ですか?」
お父さんのこの世界での元恋人か何かだろうかと思ったわたしは、
「わたしの名前がマナで、あなたの名前が、まなみなのよ。何となく分かるでしょ?」
そう言われて、
「え、うそ、お母さん?」
と半分以上ノリで答えたところ、彼女はにっこりとうなずいた。
「正解。でも、再会のハグは、ここから離れてからにしましょう。そうしないと、これからまたわらわら現われたリザードマンの相手を、あなたにしてもらうことになるけど、気持ち悪いからいやでしょ?」
わたしは、うなずくと、お父さんが立ち上がるのを手伝った。
お父さんからは、いつも通り加齢臭がした。
「いろいろ秘密にしていてすまないな、まなみ。でも、秘密がある男ってダンディだろ?」
そう言ってわたしに微笑みかけてくる、中年うすらハゲオヤジが、とりあえずそうして無駄口を叩けるということが嬉しかったけれど、やっぱり嫌いであることに違いはないので、すぐにお父さんから離れて、お母さんの隣についたのだった。
(続く)
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