タンポポ畑にバラは咲かない

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最初にその感覚を覚えたのは6歳のときだった。 同じクラスのさきちゃんが背負ってきたランドセルは淡いピンク色で、当時は赤や黒が主流だったせいかやたらと眩しく見えた。 そう思った人は私だけではなかったらしく、その日は登校したときからさきちゃんが話題の中心だった。自分の背負ってきたランドセルに目をやると、それまで気にならなかった赤色がとてもくすんでいるように思えた。そのことが無性に面白くなかった。 その日のお昼休み、誰もいなくなった教室に残った私は彼女の机横に掛かっているランドセルを見つめる。傷一つない淡いピンク色。やっぱり眩しくてたまらない。 放課後、さきちゃんは泣きながらランドセルを背負っていた。黒色の油性マジックで大きく×と書かれたランドセルを。数日後、教室の机に掛かるランドセルは赤色か黒色に統一された。私のランドセルだけは少し鮮やかに見えた。 あのときの感覚を22歳になった今でも鮮明に覚えている。何物にも代えられない征服感は、いまだに私の生きていく上での真髄となっているのだ。これまでも、そしてきっとこれからも。視線を落とすとゆるくカールした毛先が目に入った。心なしかまとまりがなくなりだしている。そういえば今朝鏡を見た時、頭頂部が少しだけ黒くなってきていた気がする。いてもたってもいられなくなり、教授の目を盗んでスマホから美容院の予約を入れた。 授業が終わり、周りの学生が席を立ち始めた。私たちよりも後ろの席に座っていた人たちが出口に向かって歩いていく。恵那と人が少なくなるのを待っていると、頭上から声が聞こえた。 「あれ、恵那じゃん。」 「裕太郎!」 恵那が裕太郎、と呼んだ人をパッと見上げる。白い肌の色を映えさせるような黒髪と、綺麗に末広がりになっている二重の目。ほんのり赤く色づく唇は男の子なのにとても色っぽく見えた。 「お前もこの授業取ってたんだな。」 「うん、彩子先輩と。ほら!彩子先輩だよ!」 そう言うと恵那は私の肩を掴み、グイッと自分の方へ引き寄せた。されるがまま引き寄せられた私は、裕太郎くんの顔を引きで見上げる形となった。そのまま恵那は私の耳元で囁く。 「裕太郎、彩子先輩のこと可愛いって言ってたんですよ。」 「おい、本人の前で言うのやめろよ。」 囁かれたと思っていたが意外と大きな声だったらしく、恵那の言葉はそのまま彼の耳にも届いてしまったみたいだった。よく見えるようになった彼の顔はやはり整っており、表情は少し照れくさそうに笑っていた。白い肌の頬が紅潮していたのは見間違いじゃないと思いたい。 「すみません、年下で、しかもほぼ初対面のくせに。」 そう言うと彼はぺこっと軽く頭を下げた。整髪料を付けていないであろう彼の黒髪が少し揺れた。 「ううん、嬉しい。」 私が口角を上げて微笑むと、彼は綺麗に揃った歯を見せて笑った。 その笑顔がたまらなく好きだった。 授業が終わり、帰宅したらまずはキッチンへ向かう。慣れた手つきでペットボトルに少量の塩を入れ、水を注ぐ。500ml入れ切ると蛇口を締め、そのまま寝室に向かった。今朝と同じようにクローゼット前で足を止め、南京錠を開け、チェーンを解く。扉を開けると両手足を拘束されて座っている優奈さんの姿があった。今朝から変化はなさそう。 「優奈さん、お待たせしましたー。」 私が声を掛けると視線だけこちらに向ける。咥えているタオルからは水分がなくなっていた。持ってきたペットボトルの口からタオルに水を染み込ませる。 「はい、ちゃんとお水飲んでくださいね。」 だらんと頭を垂れているせいで上手く染み込ませられず、優奈さんの履くスカートにポタポタとこぼれていく。 「優奈さん。」 私が声を掛けても頭を上げず、私からは彼女のつむじしか見えない。 「優奈さん?」 もう一度声を掛けても頭を上げる気配がないので彼女の顔を両手で掴み、持ち上げた。私の手中にある彼女の両頬は潤いがなくなり、触り心地も決して良いものではなかった。 「大変ですね。お水まともに飲まないせいで、あんなに綺麗だった肌も、髪も、こんなにボロボロになっちゃって…。」 虚ろな彼女の目を見つめ、片手で彼女の顔を支えながらタオルに水を含ませ続ける。 「でも優奈さんが悪いんですよ?急にSNSで美容アカウント作って語り始めちゃったんですから。しかもご丁寧に大学名まで記載して!」 彼女の咥えるタオルはどんどん水を吸収していき、吸収しきれなくなった水分は彼女の顎をつたって床に落ちていた。 「大学名も、名前も、全部伏せて細々と承認欲求満たしてくれていたら、私だってこんなことしなかったですよ?そもそも気付くこともなかった。」 500mlの半分くらいを注ぎ終わった時点で彼女の喉仏が動いているのを確認する。ちゃんと飲んでいるらしい。 「私のいる大学に、私以上に肌も髪も綺麗な人がいるってことになっちゃったんですもん。そうなったら見て見ぬふりはできないじゃないですか、ね?」 十分に水分を摂取させたので彼女の顔を支えていた手をパッと放す。支えがなくなった彼女の頭はバランスを崩しそのまま床に倒れた。 「まあ、でも今はそんな原型どこにも残ってないので安心してください。」
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