破れた中身

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破れた中身

 通り雨が過ぎた頃、2階建ての古いアパートに軽自動車が横づけされる。  運転していたスーツ姿の男がまず車を降り、後部座席に乗るTシャツとジーンズ姿の男がそれに続いた。  軽自動車のドア部分には不動産屋の店名が書かれている。スーツ姿の男はそこの従業員だった。Tシャツとジーンズ姿の男は客であり、名前を淳一(じゅんいち)といった。 「おお、いい雰囲気ですねえ」  淳一がアパートを眺めながら言う。その表情は、まるで新しいおもちゃを与えられた子どものように輝いていた。  対して、従業員の表情は曇っている。アパートの出入口であるサッシ戸のカギを開ける手も、どこかぎこちない。 「…じゃあ、こちらです。どうぞ…」  彼は消え入るような声で言うと、淳一を中に案内した。  アパートの中に入ると、奥に向かって真っ直ぐ伸びる廊下が見える。両脇には部屋の玄関ドアが並んでいた。  淳一は歩き出さずにふと左を見る。そこには2階への上り階段と小さな通路があった。  彼は通路を指で差しつつ尋ねる。 「あっちはなんですかね?」 「トイレです。先ほどお話したように、共同で…」 「あーなるほど。見てもいいですか?」 「はい…」  従業員は力なく返事をするだけで、先導しようとはしない。  しかし淳一がそれを気にすることはなかった。 「それじゃ遠慮なく」  彼は弾む声で告げると通路を歩き出す。通路には階段の踏み板側面がせり出しており、顔に当たらないよう気をつけながら進む必要があった。  10秒ほどの時間をかけ、淳一は共同トイレに無事到着する。  中の様子を見て、彼は腕組みしつつ笑顔を浮かべた。 「なるほど…これは確かになかなか…」  共同トイレは壁と天井に囲まれている。つまり室内である。  にも関わらず、ポツポツと上から雫が落ちていた。天井内で破損した上階の排水管が、通り雨の再演を彼に見せていた。  コンクリートの床には、建材と思しき破片の塊がある。度重なる雨の再演、つまり雨漏りによって天井の一部が壊れていた。塊は左にある手洗い場に寄せられていた。  手洗い場は左だけでなく右にもあるのだが、その機能を果たしてくれそうなのは左側だけだった。  右側には、明らかに使われなくなって久しい掃除用具やポリバケツなどが雑多に置かれている。蛇口から水を出すどころか、そこに手を伸ばすこともままならない。 「すごいな」  この感想は皮肉でも何でもなかった。淳一の声はとても明るかった。  彼は手洗い場周辺を鑑賞した後で、突き当たりに並ぶ個室ドアに目を向ける。  ここで背後から、従業員の震える声が聞こえてきた。 「使えるのは…右のヤツだけです」 「えっ? あ、そうなんですか」  淳一は一度振り返って返答してから、右の個室に近づく。  クリーム色に塗られた木製のドアには回転式のノブがなく、木のつまみだけがある。それを右にスライドさせるとドアが開いた。 「…あれ?」  中を見た淳一は、不思議そうな声を出す。従業員がいる背後に再び顔を向けた。 「ポットンじゃないんですね。思ったよりキレイだし…」 「5年ほど前に工事をしまして……」 「そうですか。ちょっと残念」  淳一は前に向き直るとドアを閉める。その後で隣の個室を見た。  この時、視界の端にあるものが映り込む。 「……?」  そちらに目を向けると、彼は小さく声をあげた。 「あ」  あるものとは小便器だった。  だが見つけたのはそれだけではない。黄ばんで汚れきった小便器のすぐそばに、3枚目の個室ドアがあった。 「うわーなにこれ?」  淳一は、目を輝かせながら近づく。  共同トイレの出入口からは、個室はふたつしか見えなかった。しかし個室は3つあったのだ。左側手洗い場の仕切りが、小便器と3つ目を隠していた。 「これ、開けたら当たっちゃいますよね?」 「はい…」 「ふふっ、おもしろ…! なんだこれ」  彼が確認し従業員が返事をした通り、個室のドアを開けると小便器に当たる。  ドアを開けてできた隙間はとても狭く、そこそこ細身の淳一ですら個室の中には入れない。 「あはは」  彼は笑った。あまりにずさんなつくりがおもしろくて仕方なかった。従業員がそばにいるのも忘れ、気がすむまでドアを開閉させ続けた。  共同トイレを出た後、淳一は部屋を案内してもらった。  間取りは四畳半一間で、水道と電気は通っているがガス器具がない。 「ガスコンロをお使いになる時は、大家さんに言ってもらえますか。ウチは部屋の仲介しかやってないので…」 「わかりました。でも多分わざわざ使わないかな、カセットコンロ買えばいいし」 「あの……」  従業員が、困惑した顔で淳一に尋ねる。 「ほ、本当に、いいんですか…?」 「えっ?」 「私、説明しましたよね……ここは事故物件ですと」 「ああ、はい。わかってます」  淳一は明るく答える。  ふすまに散っている赤茶色の斑点を指差してこう続けた。 「これとか血痕っぽいですよね。もしかして『事故』が起きたのって、この部屋だったりするんですか?」 「は、はい……一番ヤバい部屋をというご注文でしたので、このお部屋をご案内しています…ただ」 「ただ?」 「その、『結果』といいますか、『現場』は別の部屋で……」 「ああ。事件が起きたのはここだけど、誰かが死んだのは別の部屋ってことですか」 「え、えっと…はい」 「その部屋って見せてもらうこと、できます?」 「い、いえ! そこを使わせるわけにはいかないと、大家さんが……」 「なーんだ、残念。せっかく本物の現場を見ることができると思ったのに」 「その道の方が言うには、部屋を閉じて霊を落ち着けないといけないらしくて…詳しいことは、よくわからないんですが」 「そうですか。まあ…ここで始まったみたいだし、部屋番号も『4』だし、ここにしようかな」 「ほ、本気で言ってるんですか…!?」 「こんなチャンス、めったにないんですよ!」  淳一は必死に声を張る。あまりに突然だったため、間近でそれを聞いた従業員が肝をつぶした。 「ひぃっ!」 「あ、す、すいません」  淳一は驚かせたことを謝る。すぐに声の大きさを元に戻し、従業員に説明した。 「今までいろいろ探してきたんですけど、イタズラだと思われてばっかで契約までこぎつけられなかったんです。オレがおもしろがりすぎたのがよくなかったんでしょうけど」 「そ、そういえば…どうしてそんなに楽しそうなんです? 私なんて、正直なところもう帰りたいくらいなのに……」 「何かあるかもしれない、ってワクワクしません? オレはするんです! 科学とかじゃ解明できない未知の領域って感じで…その中にいたら、オレもその領域に行けちゃうんじゃないかって」 「ええ…?」 「ここにします! ここに住まわせてください、お願いします!」 「え、えっと…あの……はい、わかりました…」  こうして、淳一はこのアパートに住む契約を勝ち取った。  大家とは一度、引っ越しの時だけ話をした。気難しそうな老人だった。 「仲介を頼みはしたが、まさか本当に住みたがるヤツがいるとは…」  彼は新しい住人をあまり歓迎しなかった。しかし部屋を貸すのが商売ということもあり、契約が決まってから文句を言うようなことはなかった。 「ここは見ての通りボロアパートだ。うるさくしたら近所から苦情が出る…音楽とか聴きたいならヘッドフォンで頼むよ」 「わかりました。これからよろしくお願いします!」  当然ながらというべきか、大家が『事故』に関して詳しく語ることはなかった。淳一にわかるのは、このアパートが事故物件であることだけだった。 (どの部屋で、何が原因で…どんな人がいつ死んだんだろうな?)  アパートに住み始めてから、彼はいつもそわそわしていた。  まだインターネットというものが存在しない時代である。もちろんスマートフォンやガラケーすらもない。何かを調べるなら図書館で、というのが一般的な認識だった。 (わざわざ図書館まで行って調べるのもなあ。不動産屋さんに訊くのは…なんか悪いよな。すごい怖がってたし)  あれこれと思い悩むうちに日々が過ぎる。やがてそわそわする気持ちは薄まり、事故物件に住んでいるという心おどる感覚も少しずつ消えていった。  そんなある日のこと。 (このままじゃ実家に閉じ込められてた時と同じだよ。何かおもしろいこと見つけなきゃ……ん?)  部屋の外で物音がした。  アパート内に誰かが入ってきている。淳一はそっとドアを開けて、廊下をのぞき見た。 (あ…!)  奥まった位置にある、部屋のドアが開け放たれている。  そのまましばらく見ていると、中から声が漏れてきた。 「…ナム……シキソクゼクウ……」 (お経…か?)  淳一は首をかしげる。どうやら大家が部屋の中で読経しているようだ。  その時間は短い。3分もすると廊下に戻ろうとする足音が聞こえてきた。 (おおっと)  淳一はあわててドアを閉める。再び耳だけで様子を探った。 ”…はあ、ったく…”  廊下に大家のぼやきが薄く響いたかと思うと、ドアの閉まる音がする。  サンダルの裏を引きずる足音が部屋の前を通り過ぎ、出入口のサッシ戸も閉められた。  自転車の音が遠ざかるのを聞いた後で、淳一は廊下に出る。 (お経ってことは、もしかして!)  心おどる感覚が息を吹き返した。彼は小走りで、大家が入っていた部屋に近づく。 (この部屋が、現場……!)  ドアノブを握って回そうとした。  しかしノブは回るどころか動きもしない。固い手応えだけが返ってきた。 (あれ…!? カギかける音なんてしなかったはず)  そこまで考えたところで、淳一はふと思い出す。 (あ、そうか…ここ内カギだったな)  彼は悔しげに顔をしかめた。気分が盛り上がりすぎて、この部屋も自分が住んでいる部屋と同じ系統のカギだということを忘れていた。  淳一は仕方なくドアノブから手を離す。それから顔を上げ、ドア上のプレートを見て部屋番号を確認した。 「……!」  彼は満面の笑みを浮かべる。 (ここが現場なのは間違いなさそうだ…!)  プレートには13と記されていた。  淳一が住む4号室で『このアパートを事故物件たらしめる何か』は始まり、今番号を確認した13号室でそれは終焉を迎えたようだ。  4と13、どちらも不吉とされる数字である。  なんという巡り合わせかと、淳一は嬉しくなった。 (くそー、中を見てみたい! どうにかなんないかなあ……)  カギを持っていない以上、大家に頼むしかないのはわかっている。  しかし頼んだところで見せてくれるとは思えない。わざわざ読経しに来ているような部屋を、興味本位丸出しの自分に見せるわけがないと、彼自身が納得してしまっていた。 (しょうがない、カギが開いてないんじゃどうしようもないもんな)  淳一は自室に戻る。  だが諦めたわけではない。中を見たいという思いは、くすぶり続けて消えることはなかった。  数日後、大家は再びやってきて13号室で読経を行った。この時も入れないか試してみたが、前と同じようにしっかりとカギが閉められていた。 (やっぱり無理か…)  やっぱりという言葉を使いはしたものの、数日間待ち続けていたこともあって淳一は激しく気落ちする。諦めることも視野に入れ始めた。  しかし、読経の声が聞こえればどうしても期待は高まる。大家が帰った後で、淳一は未練がましい自分を恥じつつもドアノブを握った。 (頼む……!)  力と願いを込めて、ノブを回す。  その時、これまでとは違う変化が起きた。 (開いた!)  内カギということで大家が施錠し忘れたのか、ドアが開いたのだ。まさに三度目の正直だった。 (入るしかないよな、これ!)  淳一は、迷うことなく13号室に足を踏み入れた。 「うおっ…」  すぐに異様な雰囲気が彼を迎える。  中は薄暗く、そこかしこに神札が貼られていた。  掃除をしても拭き取れなかったのか、血痕が広範囲に散らばっている。それは畳やふすま、壁の他に天井にも残っていた。 「うおおおお……!」  淳一は両手を震わせながら歓喜の声をあげる。目の前に広がるのは、彼が求めてやまない光景だった。 「わっ、わあっ!」  興奮のあまり、ただ部屋を眺めるということができなくなる。壁の血痕に指で直接触れたり、部屋の真ん中に大の字で寝転んだりした。淳一の中に、恐怖や畏怖といった感情は欠片ほどもなかった。 (マジだ、これ本物だよ…! うわぁ、ここに越してきてよかった……オレは今、とんでもないとこにいるんだ!)  誰かが苦しみ、恨みを抱いて死んだであろう場所。  そこに、自分は五体満足の状態で生存することができている。 (すげえ…!)  強烈な生の実感が、淳一の中を満たした。  畳から立ち上るすえた臭いさえ、彼に生きていることの喜びを教えてくれた。 (この気持ち、誰にもわかんないだろうな…ふふっ)  淳一は体を起こすと、あらためて室内を見回す。  間取りは彼の部屋と同じ四畳半一間だが、家具がない分少しばかり広く思われた。 (ここも借りたいくらいだけど、さすがに無理か。それにいつまでもこうしてられない)  もし今、大家が戻ってくれば何を言われるかわかったものではない。彼は13号室を出るために立ち上がる。  ただ、このまま去ってしまうのは惜しい気がした。 (次はいつ入れるか…いや、もう二度と入れないかもしれない)  何か記念になる品が欲しい。  そう思った時、部屋を見回すまでもなく、おびただしい数の神札が目に留まった。 (そうだ。こんだけたくさんあるんだし、1枚くらいもらってってもいいよな)  淳一は、何もないところに貼られている1枚の神札に手を伸ばす。破らないようにそっとはがした。  文字らしきものが書かれている面を顔に近づけ、読もうとする。 (これもお経なのかな? よく見えないけど…)  読める読めない以前によく見えない。  なぜだろうと考えたところでようやく、彼は部屋の照明が消えていることを思い出した。 (ははっ、見えるわけないか。興奮しすぎてちょっとボケちゃってるな、オレ)  淳一は自嘲の笑みを浮かべる。照明下での確認は自室ですませればいいと考え、13号室から廊下に出た。  この時。  何もなかったはずの場所に、  彼が神札をはがした場所に黒いシミが出現した。  シミは音もなくしかし急速に広がり、周囲の血痕を飲み込む。部屋の全てを闇色に染めていくが、もともと照明がついておらず暗いせいもあって淳一は気づかない。  彼はドアノブの内カギをかけた上で13号室のドアを閉め、自室に向かって歩き始める。それを追うように、シミがドアの下から這い出てきた。  黒い水たまりのようなそれが足に触れた時、淳一はふと振り返る。 「…ん?」  背後には誰もいない。  それを確認した後で足元に目をやるも、視界にあるのは今や見慣れたアパートの床だけだった。 (何かいた…? いや、気のせいか)  淳一は首をかしげながら、自分の部屋に戻る。かすかな違和感などすぐに忘れ、にんまりと笑みを浮かべた。 (今度こそ、何が書いてあるのかわかるぞ)  13号室を調べる前から、自室の照明はつけっぱなしだった。彼はわくわくしながらその下に神札を持ってくる。  しかし、文字らしきものはどこにもない。 「あれ…?」  何度ひっくり返してみても、裏表どちらにも何も書かれていない。13号室で見た時は間違いなく書かれていた何かが、なぜかきれいさっぱり消えてしまっていた。 (な、なんで? なんで消えちゃったんだ?)  白い神札は美しかったが、文字や紋様がなければ白紙の便箋と大差ない。これでは13号室からわざわざ持ち帰った意味がなくなってしまう。 (もしかして、暗いところでだけ見えるとか……?)  照明を消してみるものの、やはり神札は真っ白なままだった。淳一はなんだかつまらなくなり、仕方なさそうにそれをテーブルの上に置くのだった。  その夜、淳一は2時過ぎに目を覚ました。 (なんか…やな感じだ)  悪い夢を見たわけでもないのに寝汗がひどい。トイレにでも行くかと、スリッパを履いて自室を出た。  廊下を歩いて共同トイレに向かう。  突然、かかとに何か冷たいものが落ちてきた。 「うえっ?」  淳一は驚きに声をあげつつ、立ち止まってかかとに手を伸ばす。  何やら小さく冷たいものが指先に当たった。それをつまむと顔の前に持ってくる。 (うわ)  冷たいものとはナメクジだった。  しかし生きてはいない。表皮が破れて、わずかに黄色がかった白いクリームのような中身が飛び出ている。 (素手でナメクジ触っちゃったよ……)  淳一は、中身が飛び出ていることよりも、ナメクジに直接触れたことを気味悪く思った。  共同トイレに着くと右側個室のドアを開け、大便器にナメクジを落として水を流す。 「あーもう…」  それから一度部屋に戻り、石鹸ではなく食器用洗剤で手を洗った。ぬめりとともに気味悪さも洗い流した後で、あらためて小用に向かうのだった。  翌朝。 (うぅ……なんだろう、気持ち悪いな…)  腹の中がもやついている。淳一は、起きてすぐトイレに行った。  ナメクジを流したのと同じ右側個室に入ると、ズボンとパンツを下ろしてしゃがみ込む。 (もやもや、すぐ出てってくれるといいけど)  淡い期待を抱きながら腹に力を入れようとした、その時。 「うっ!?」  何か冷たいものが、下から体内に入ってきた。  あわてて尻に手を当てるものの、もう完全に入ってしまったらしく指には何も当たらない。 (なんだ今の…ううっ?)  小さく冷たいものが腹の中を駆け巡る。  トイレに行く前から感じていたもやつきが、ここで一気に強まってきた。 「うっ、うぐっ……!」  腹の底から何かがせり上がってくる。  便器にまたがったまま吐くわけにはいかないと、彼は口を閉じた。  腹からの逆流は止まらない。頬がパンパンに膨れ上がった、その直後。 「うぼぉぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!??」  淳一は、口から大量の何かを吐き出した。  その何かは鼻からも勢いよく飛び出て、狭い個室を満たしていく。  目の裏に圧迫感を覚えた時、彼は自分が何を吐き出したのかを知った。 (な…ナメクジ……!?)  大量の赤いナメクジが、視界を埋め尽くしている。  そう認識した途端に、何もかも見えなくなった。 「なんだこりゃ…どうやったらこんな死に方するんだ」  スーツの上にコートを羽織った刑事が、個室の中を見ている。その表情は気味悪そうに歪んでいた。  そこへ、後輩の刑事がメモを見ながら報告する。 「大家が発見した時には、もうこの状態だったようです。眼球もなくなってたらしくて」 「目玉は見つかったのか?」 「いえ…どこを探してもありませんでした」 「ったく、しょうがねえな」  刑事は呆れた様子でぼやく。このぼやきは後輩の至らなさを責めるものではなく、どうしようもないのだなという諦めを表していた。 「目玉が吹っ飛ぶくらい、勢いよく何かを吐き出したってのに…」  刑事は個室の中をあらためて見る。 「その何かがどこにもねえ。こりゃ迷宮入りかもしんねーな……」  個室の中には死体があった。  それは淳一の成れの果てだった。  彼は便器にまたがったまま死んでいた。口は開かれており、眼球がなくなっていた。彼が吐き出したはずのナメクジはどこにもおらず、トイレ内のあらゆる場所が血に染まっていた。  この怪死事件は警察が情報を隠蔽したため、新聞に大きく載ることはなかった。  しかし隠蔽どころか逆に、他ならぬ警察から事件の内容を知らされた人物がいる。 「…わ、私が…案内なんかしなければ……!」  その人物とは不動産屋の従業員だった。  淳一の死に責任を感じた彼は、事情聴取を受けたその日に自殺した。    >Fin.
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