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彼のこと
当時の私は25歳、彼は10歳年上だった。付き合って3年になる、売れない小説家の私の彼は、去年重い病にかかってしまい、もう先は長く無いと医師に言われている。
あまりにも残酷だと思った。自営業をしていた彼の両親は病にかかる少し前に他界していて、莫大な遺産を手にしたものの、彼はどこかつらそうなのにこんな仕打ちなんて……、それなのに私の前で強がって笑ってくれる彼のために、私も必死に笑顔を作っていた。
病院には時たま、親戚を名乗る人がお見舞いに来ていた。
今日も病室に入ると何度か顔を合わせたことのある初老のご婦人がいらっしゃっていたが、私の顔を見るなり「まあ、そのお年頃でしたら色々とご入り用でしょうからねぇ……、おほほほほ」と、何か含んだようなイヤミをひとこと言って帰っていった。私はそんなことが目的ではないので、さして気にしない素振りを見せていた。
ところで、彼が病床に伏し、今で言う商業出版を続けられなくなってからも彼は小説を書き続けていた。
内容は恋愛もののハッピーエンドが多いのだが、よく読むと登場人物がどこか寂しげにも見えるのは、自分の境遇を反映してのものなのだろう。
原稿がたまると、私が彼の家にある、当時は珍しかったワープロとコピー機で印刷して同人誌として世に出していた。
売り上げはそこそこであったが、彼はとても喜んでくれたのを覚えている。
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