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エピローグ
「お父さん」の葬儀の席で、私は彼の親戚たちから睨まれたのだが、それ以上彼らはどうすることもできず、苦虫を噛み殺すような目でみていた。
「お父さん」が居なくなった家に住み始めた私は、残された原稿を世に出すべく何社もの出版社に声をかけつづけた。
品川にある小さな出版社の目に留まり、部数は決して多くないが、それらは世に出ることとなった。
また「お父さん」が残した原稿を手直ししたりしているうちに、自分でも書くようになった。まるで彼から指導を受けているかのような気分で作品を書き進めるうちに、今では私も小説家と呼ばれるようになった。
「お父さん」の真意は、私に自分の全てを託すことだったのだ。当時の相続法では、妻は財産の半分しか法定相続分が認められていなかった(※)。
もし私が彼の妻となっていたら、原稿もワープロもコピー機も、そしてこの家もどうなっていたかわからない。
しかし子供であれば、その全部を相続することができる。だから「お父さん」は私を養女としたのだ。
あれから40年になる。夫婦として過ごすことはできなかったけれど、今でも「お父さん」は、私の心の中で生き続ける理想のパートナーである。
※=1980年までの制度。1981年の相続法改正により、妻の他に相続人が居ない場合は全て妻が相続できるようになった。
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