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※※
「一穂さん、似合いますか?」
墓石の前でくるりと身体を回してみる。ワンピースのスカートが、綺麗な波を作って揺れた。
「一穂さんの贈り物も、これで最後になりました」
娘として会いに来られたのは、僅か五年だった。
光を受ける事はなかったけれど、優里さんが誕生日と呼ぶ日に。一穂さんの贈り物を身に纏い、一穂さんに会いに来た。
もしかしたら二人は天国で会えているのかもしれない。
だから偽物の娘は、いらないのかもしれない。
でも。だけど。
私も、一穂さんの子供になりたかった。
「一穂さん、今日で最後だから。言いたい事があるんです」
風が墓石を撫でるように優しく吹く。
「なんだよ、勿体つけてないで早く言えよ」
ふはっと零れる笑い声。耳が捉えたそれに驚いた瞬間、そこには一穂さんがいた。
都合の良い幻聴。辻褄合わせの幻覚。
でも、私の瞳も耳も、確かにそれを感じている。嬉しくて、悲しい。
ああ、本当に最後なんだ。
「一穂さん、今まで」
震えるな、声。流れるな、涙。
「…ありがとうございました」
本当は一穂さんが、私に声を掛けるように優里さんに頼んでくれていた事も。おかえりと言ってくれた事も。乱暴に頭を撫でてくれた事も。
奏と名前を呼んでくれた事も。
諦めていたもの全部を与えてくれた、あの人に。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
何度言っても足りない。何度伝えても埋まらない。一穂さんの死から、私はこの言葉を言えなくなってしまった。
怖かった。
それを口にすれば、今までに「ありがとう」を言ってしまえば。
永遠にさよならするのを認めるみたいだったから。
だから言葉を隠して、偽物の娘になる事を選んだ。娘としての「ありがとう」なら、私の「さよなら」にはならないんじゃないか。
でも、一穂さんが目の前にいる今。
私はもう、逃げられない。
私はもう、逃げたくない。
「これは、僕としてのありがとうです」
塞き止めるものが壊れた感情は、涙となってみっともないくらいに溢れ出てくる。
…ふはっ。
一穂さんは僕の姿を見て笑う。
「そんなに泣くんじゃねぇよ。男の子だろ?俺は充分幸せだったよ」
「だって俺には頼れる嫁と、可愛い娘が二人。優しい息子までいたんだぞ?…俺もちゃんと言わなきゃなぁ」
「奏、ありがとう」
その言葉を最後に、一穂さんは姿を消した。
僕は涙を拭う。
何度も何度も深呼吸をする。
それから綺麗すぎるくらいに青い、空を見上げた。
ふはっ。
真似をしたつもりなのに。
一穂さんとは全然似てない笑い声が、空気に静かに溶けていった。
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