おくりもの

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※※ 帰宅を告げる必要はない。 ドアを開け、鍵を閉め、靴を脱ぎ、廊下を歩く。 その音全ては私から発せられる、私独りだけのもの。室内の時間はずっと前から止まってしまったように、ひどく寂しく冷えきっていた。 広いダイニングの、不必要に大きなテーブルに置かれた封筒を手に取る。中には数枚の千円札が入れられており、ひっくり返しても埃さえ落ちない。 「…おかえりって書くのも面倒なの?」 空の封筒をぐしゃりと握り潰す。虚しい音が、私 独りの耳に響く。 両親は、子供はお金があれば育つと思っている人達だった。父も母も、良く言えば仕事熱心で真面目な人なのだろう。だったら家庭を、家族を作る必要なんてなかったのに。 両親は、身の回りの事が自分で出来ない内はシッターに育児を任せ対価にお金を支払った。 ある程度の年齢まで育てば、今度は(こども)に直接お金を渡すようになった。 寂しさも、悲しみも、苛立ちも。 時間が経てば経つほど綯い交ぜになる感情は私の中でどんどん変換されていって、最終的に落ち着いたのは「諦め」という逃げの一手だ。 お腹が空けば食べ物を買いに行けばいい。 具合が悪ければ病院に行けばいい。 学校の手続きだって書面に捺印があれば滞りない。授業参観に親が来ないからと言って成績が落ちる訳でもない。 関心がないだけで、虐待されている訳でもない。 なんだ、なんとかなるじゃないか。 あの人達(りょうしん)が正しいなんて、思える訳はないけれど。 零れ出る乾いた笑いが反響する。 これ以上余計な事を考える前に、夕飯を買いに行こう。体を反転させるとほぼ同時に、インターフォンが鳴った。 モニタの前で足を止めその姿を確認した私はすぐに玄関に向かう。 「あ、やっぱり帰ってきてた」 勢いよく開けたドアの先にあるのは、エプロン姿の男性の姿。 「一穂さん」 「…奏。いつも思うんだけどお前いつか玄関ドア壊す気なのか?」 ふはっと笑う表情に、冷えきっていた心が解される。 「…そんな訳ないじゃないですか」 「おい、不貞腐れんなよ。折角の綺麗な顔が勿体ない。どうせ飯まだだろ?こっちで食え」 一穂さんは再びふはっと息を漏らして私に笑い掛けた。そのまま頭を掴まれて強い力で引っ張られる。この扱いは本来ならば不満のはずなのに。 私はその誘いを断る理由をいつも持ち合わせていない。 「あ、奏!おかえりなさい。今日は中華だよ!こっち座って」 一穂さんの妻である優里さんは私を来客とは思っていない。家族の一人が帰宅したような気軽さで取り皿を持ちながら私を促す。 自宅のそれより一回りは小さいであろうテーブルは、既に料理で一杯だった。 今では当たり前になった光景も、あの日スーパーで優里さんに声を掛けられなければ生まれなかった時間だと思うと不思議な感覚に囚われる。 これは全部夢ではないだろうかと。 本当は、あの冷えた部屋で味のしない食事を摂る私の妄想ではないのかと。
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