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※※
「ねぇ、奏」
「なんですか、優里さん」
「良い事と悪い事がいっぺんに起きた時って、どっちが勝つのかな」
二人とも直接的に聞いてこそこないが、私の家の事情はなんとなく把握されていたのだろう。
週に数回の頻度で大槻家を訪れるようになった私が、すっかりその生活に慣れてきた冬の頃。
小さなテーブルで宿題に勤しんでいた私は、その言葉に顔を上げる。いつも明るく笑みを湛える優里さんの顔色が明らかに優れない。
「…何かあったんですか?」
開いていた教科書とノートをそっと閉じる。
「あのね、子供が出来たの」
「え?」
いきなりの報告に、私は少しだけ椅子から腰を浮かせてしまう。
「おめでとうございます」
「…それとね、一穂ちゃんが病気だったの」
「…え?」
「あと、半年…」
詳しい説明を聞いた訳でもないのに、頭の中で何故か直結した言葉に目の前が色を失くす。
余命。
私の身体は見えない何かに負荷を掛けられたように、座面に引き戻される。
「どういう事ですか…」
無駄に空気を噛む口とは逆さまに、やっと出たのは短い言葉。
優里さんは深く息を吐いてから、ゆっくりと話し始める。それは医師の話し方をそっくり再現したようで、怖いくらいに淡々としていた。
一穂さんが告げられた病気とは、膵臓癌だった。
会社で定期的に行われる健康検診で、血糖値の数値が異常に高かったそうだ。食生活や生活習慣に心当たりのなかった一穂さんは、優里さんにも促され念の為にと精密検査を受けた。
腹部超音波検査や、CT、MRI検査を受けて出た結果は、ステージⅣの膵臓癌。
肝臓にも転移が見られ、根治を目的とした手術は既に出来ない状態と知らされた。
「あと、どれくらい生きられるんですか」
他にも聞きたい事は山程あっただろうが、一穂さんの口から出たのはまずそれだった。
医師の回答は、もって半年。
小説やドラマではよくある展開なのかもしれない
それが現実だと受け入れるのに、余命を使ってしまうと一穂さんは笑ったそうだ。
その話を聞いた時私の頭の中に浮かんだ一穂さんは、いつも通りに笑ってはくれなかった。
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