読み切り版

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読み切り版

 8月終わりの中学校。校舎やグラウンドのあちらこちらに初々しい掛け声が響く。  夏の大会やコンクールも終わり、3年生が完全に引退したこの季節。大半の部活が新しい主将や部長を迎え、新体制が始動しつつある。この時期はどの部にしても独特のぎこちなさがあったりするものだ。  それでも――うちの部は何ら変わらない。 「今度のテーマは宇宙(そら)よ! 宇宙(そら)を見ましょう!」  長机を挟んで向かいに座っていた部長が、何の前触れもなく叫んだ。胸には今日発売の天文雑誌を抱えている。  たぶん思いつきだな――瞬間的に自分は悟った。  さすがに半年も一緒にいれば部長の行動原理くらい少しは見えてくる。  良く言えば好奇心旺盛、悪く言えばミーハー。そんな部長の下、部員は自分だけ。たった2人で構成された科学探求部。部長は2年生だし、自分は1年生だから新体制も何もない。顧問については一応いるらしいけど部長曰く、部室に来るのは雀の涙ほどしかないらしいとか。  そんな科学探求部の活動目的は主に科学の分野に関係のあることの知見を深めること――早い話が蘊蓄(うんちく)部。だから部室も半ば倉庫になりつつある小さな相談室で。ちなみに理科室で化け学とかを取り扱ってる部は実験部でそちらの方が部員は多い。  ともあれ、人数が少ないながらに活動日は多く、夏休みになっても平日はほぼ毎日と運動部に勝るとも劣らない活発っぷり。部長の思いつきを実施する日もあれば、単に雑談だけで終わることもあるから日によって活動内容に温度差があるけど。  ちなみ今日は部長が天体観測を言い出すまで自分は携帯ゲームをしていた。 「ちょっと聞いてるの?」  訂正、今もしてる。  そのせいで部長が頬を膨らませながら身を乗り出してきた。 「ちゃんと聞いてますよ。天体観測がしたいんですよね?」 「そうそう! 良いと思わない? だって時代は宇宙よ~。この分野の探求こそ我が科学探求部の使命だわ」 「その台詞、先週は地学で言ってませんでしたっけ?」 「地学はもう探求しつくしたもの」  そんなバカな。立派な学者だってひとつの学問を究めるために一生をかけている。それなのにどうして中学生が探求しつくせようか。 「それ単純に飽きただけでしょ?」 「失礼ね! まぁ、私の心は天の川銀河より広いから、大抵のことは大目に見てあげる。そう、たとえビッグクランチが起きたって平気なんだから」 「天の川銀河もろとも消滅してるんでるんですがそれは」  ビッグクランチって言葉のソースはその雑誌かな。  とにかく覚えた言葉を使ってみたいのは部長が抱える不治の病のひとつだ。自分はどうか人前で間違った使い方をして恥をかくことがないようにと願うばかり。 「とにかく! 今日は天体観測をするわよー!」  意気揚々とした部長は完全に実行モード。こうなってしまうともう自分が何を言っても止まらない。たぶんこの人の脳内辞書には「中止」とかそんな言葉はないんだろうな。  ……あ、負けた。  ちょうど今やってたゲームも負けたし、やる気満々の部長につきあいますか。 「それで? どこでやるんですか? あと望遠鏡の準備とか」 「あ……」  最低限必要なことを尋ねたつもりが、それだけで硬直してしまう部長。それはつまり――。 「なるほど。一切考えていなかったと。そういうわけですね」 「……」  無言の肯定。  この人ほどそれがわかりやすい人ってそうそういないような気がする。 「とりあえず、顧問に相談して計画を進めましょう」  こういう活動はまず大人に相談するのが手っ取り早い。自分達だけじゃできない準備をしてくれるし、何より合法だから。 「実は顧問なんだけど……私も知らないんだよねー。ほら、前に言ったでしょ。雀の涙ほどしか来ないって。実際入部してから顧問の来るような活動してこなかったからねー」 「もうそれ雀の涙も枯れてますね。顧問がわからないんじゃ、実行どころか計画すら進まないですよ」 「うーん、困ったわね」  頭を抱える部長。  逆に今までよくそれらしい活動ができたなとむしろ感心したくなる。 「だったらこうしましょ。じゃんけんで勝った方が職員室に行って先生を探す。今日はみんな出勤日みたいだから確実に見つけられるわよ」 「じゃんけんってそれは部長が行くものじゃないんですか?」 「いいえ、君も科学探求部の総務会計なんだから行ったって何の問題もないはずよ?」 「え、そんなの聞いてないんですけど」 「あれ? これも言わなかったかな? じゃあ、部長権限において命令します。君を本日付で我が部の総務会計に任命します」 「無茶苦茶です!」  わめく自分をよそに部長は右手を差し出してくる。そして誰もが知っている掛け声に合わせてそれを上下させた。 「はーい、行くわよ。じゃーん、けーん――」  いきなり総務会計だなんて、そんな部長命令反則だ。だいたい、部員2人だけなのに役職も何もないと思うんだけど。それにじゃんけんで勝った方って……ホント思いつきで突っ走る人だ。  職員室に入る前に、近くの掲示板に貼り出されている各部活の活動表を眺めてみる。そこには各部の代表者と顧問の名前があるからこれを見れば顧問も一目瞭然……あれ? 科学探求部のところ顧問が空白なんだけど。  とりあえず誰に相談しよう?  部長? 教頭? 担任?  部長はないとして教頭かな。あ、でもあの頭部裸電球はちょっとニガテ。となるとまずは担任か。  相談相手が決まれば後は当人のところに行くだけ。  職員室前と廊下を仕切る扉の前に立ち、息を呑んでそれをノックした。   「君が訪ねてくるなんて珍しいね」  担任は作業をやめてこちらを向くと優しい笑みを浮かべる。  その笑顔にホッとしながら本題を切り出した。 「科学探求部のことなんですけど、活動表のとことが空白になってまして」 「あぁ、それね……今年なった顧問の先生がちょうど産休に入っちゃって。で、学校にいないんだよ」 「あ、そうですか」  どうしましょう部長。早速暗礁に乗り上げたんですけど。  とりあえず部室に戻って部長に報告からか。  あの人どんな顔するだろう?  悲しむかな? 「ありがとうございました。それでは失礼します」  ちょっぴりやるせない気持ちを押し殺し、普段通りの表情で担任に頭を下げた。 「あ、ちょっと待って」  回れ右をして立ち去ろうとした瞬間、担任が呼び止めてきた。 「顧問を探してるってことは何か大掛かりな活動でもするつもりかい?」  完全に的を射た質問に完全に歩くモーションに入っていたその状態で停止する。 「実は――」  自分は担任の方に向きなおし、天体観測について話し始める。 「うんうん、なるほど。今日、科学探求部で星空を見たいと」 「はい」 「そのために許可と場所と機材が必要だと……」 「はい」  担任は復唱しながら付箋に要点を綴ると、それを机の目立つところに貼る。そして「先生に任せてもらえないか?」と訊いてきた。  自分はびっくりして付箋に落としていた視線を担任の目に向ける。 「どうするつもりですか?」 「先生がね、臨時で科学探求部の顧問をしようかなと。今日は幸い美術部も休みだしね」 「でも望遠鏡とかの準備がありますし今日ってなると許可も……」 「まぁ、先生に任せない。大船に乗ったつもりで待ってるといいよ」 「わかりました。ありがとうございます」 「詳細はまたあとで伝えるとして、最後に少しいいかな?」 「はい?」 「今回の天体観測は君の発案かい?」 「いえ、部長ですけれど……」 「あぁ……そういうことか」 「えっ?」 「いや、気にしないでくれ」 「はぁ、そうですか?」  まさか担任が協力してくれるなて。  こんな展開予想してなかった。  それと最後の意味深な問いかけは何だったんだろう……。  まぁ、何にしても部長の落胆する姿は見なくて済みそうだ。    部室に帰ると雑誌を読みながら待っていた部長にことの顛末を1から10まで全部伝えた。 「ホントに! すごいわ! さすが総務会計よくやったわ! エライわ!」 「総務会計っていうか交渉ですけどね……」  雑誌を引きちぎりそうな勢いで喜ぶ姿にホッとする。同時に自分もちょっぴり嬉しかった。 「君がいれば来年も科学研究部は安泰だわ」  来年って言われると少し意識してしまうことがある。  それは2人のこの空間が2年間という期限付きであるということ。それに新入生勧誘についても考えないといけないということ。 「ところで部長、このまま部員が増えなかったらどうするつもりですか?」 「何縁起でもないこと言ってるの! これからよこれから!」 「……ですよね。縁起でもないこと言ってすみません」 「でも……もし私が卒業して君が1人になるなら……無理して続けなくてもいいわ」  部長って何でこんなにズルいんだろ。  権限を乱用してくるのもそうだけど、それ以上にときどき見せる優しさと儚さが入り混じった笑い方。それが自分の不安を慰めるし煽るし……。  でもそんな笑い方は一瞬しかしなくて、すぐにいつもの部長に戻る。 「さ、そうならないために頑張りましょう。大丈夫、私がとっておきの対策を考えてきたから」  この人が「とっておき」とか言い出すと通常運転の証拠。だいたいその続きは斜め上を行っている。だから自分もいつまでもグズっていられない。 「とっておきですか?」 「ええそうよ。略称を考えてきたの」 「確かに『科学探求部』だと長いですよね」 「だから『学探(がくたん)』って略称はどうかしら?」 「無難でいいんじゃないですかね」 「それか英語にしてその頭文字を……」 「やめましょう。部長って英語の成績そんなに良くないじゃないですか」 「君はそうやってすぐ先輩をバカにする。こう見えても私、前回の期末テストに向けて猛特訓したのよ。他の科目全部捨てて」 「そんなに頑張ったんですか?」 「えへん! 聞いて驚くな! 何と32点だったのよ」 「誇れませんから」 「でもでも、前々回の到達度テストに比べると11点も増えたのよ」 「どんぐりの背比べです」 「うわーん、心ない部員がいじめる~」 「とにかく『学探』でいいんじゃないですか? 語呂的にも言いやすいですし、必要要素は備えてますし。さすが先輩です」 「ホント! もっと敬ってもいいのよ」 「権力厨ですか?」  はたから見ればくだらないやりとりだと思うだろうし、自分でもなかなかにくだらないと感じている。だけど、狭いうえに散らかっててちょっと臭い部室で、部長とヘンな会話ができるほど平和な毎日を過ごす。これが10年後、20年後には青春の1ページとしていい思い出になっているんじゃないかな。  ただ……いずれ違う道を進むことになる部長を、思い出にしてしまうには少しもったいないような。  その日の夜、担任の計らいとお天道様の気まぐれで無事に天体観測ができた。  場所は中学校の屋上。  近くに大きな建物がないこの地区でここが一番宇宙(そら)に近い場所だ。  風雨に晒され薄汚れたタイルにしっかりと両足をつき、思いっきり天を仰ぐ。遮るものが何一つないそこには満天の星空が広がっていた。その壮大さに踏ん張っていないと吸い込まれそうな気さえする。 「……すごい」  13歳の語彙力ではこれが精一杯。 ――ではみなさんは、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れたあとだと言われたりしていた、このぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか――    昔読んだ童話でそんな問いから始まる小説があったっけ。  なるほど、確かに先人がそういう表現をするのも納得がいく。  幻想的な天の川にもし鉄道が走っていたら自分も乗って旅をしてみたいな。そのとき自分の隣にあの人がいてくれたら……。  顔の角度はそのまま、瞳を左右に動かして部長の姿を探す。  すぐに見つかった。  少し離れた位置で瞼を閉じ、両手を広げ――まるで全身で宇宙を感じているようだ。  そんな部長を目にして寂しくなった。  今声をかけないともう手の届かないところに行ってしまいそうだ。けど声をかけると全てが壊れてしまいそうで。  そんなよくわからない感情に苛まれて立ち尽くしていると、担任が自分のことを呼んでいた。 「懐かしいな……天体観測なんていつい以来だろう?」  職員室から望遠鏡を運ぶ途中、担任は確かにそう呟いた。でもそれは自分に向けた言葉じゃないみたいで。「えっ?」と訊き返しても「何でもないよ」と言い切られた。  それからしばらく続く沈黙。  再び担任がそれを破ったのは屋上へと通じる扉がすぐそこに迫ったときのことだった。 「君は……部長のことが好きなのかい?」 「え、ちょ……せんせっ!」  あまりの動揺に望遠鏡を危うく落としかける。 「いや、年寄りのお節介だ。無理に答えなくていい」 「自分は……」  言わまいかと思った。  でも――。 「ミーハーで、無鉄砲で、自信過剰で……ときどき何言ってんだって思うこともありますけど……。それでも自分は――あの人の笑顔が好きです。だからいつか違う道を進むその日が来るまで一緒にいたいです」  本音は嘘を交えて自然と口から出ていた。  薄暗くて担任がどんな表情をしているか見えなかったけど。「そうか」と相槌を打っただけで、それ以上何かを訊いてくることはなかった。 「あ、流れ星! こんなにいっぱい!」  扉の向こうから部長の無邪気な声が聞こえてくる。 「今日は流星群が見えるんだったね。早く行こうか」  担任に促されるがまま、自分も歩幅を広げ部長の待つ屋上へと急ぐ。  まだ、部長はそこにいるから。  星の降る日の夜、自分の淡い気持ちは確かに動き始めた。                           ――fin――
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