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婚約解消大作戦
「……少し前までは、お支えしたいと思っておりました。家庭の事情に振り回され、自身の責務に押し潰されそうになりながらも懸命に王太子殿下として努力されていましたから」
「そう」
「でも…迷っています」
「迷っている?」
ナツミは、少し居辛そうに私を見てから、目線を落とした。
フランソワを恐れているというよりかは、ただ言うのを躊躇っているようで。
続きを促すようにそっと、努めて優しくナツミの手に触れると、ナツミは勇気を得たように再び視線を上げる。
「フランソワ様に謝って頂いて、お気持ちを伺って、…どうして同じお立場のフランソワ様に冷たくなさるのかと思うと、このままお傍にいて良いのか分からなくなってしまいます。フランソワ様が謝って下さった日だって、どうしてあんな風に……」
「……それはきっと、ハインリヒ王太子殿下がナツミ様に恋をしているからですわ」
「え?」
「恋は盲目と言いますでしょう?これでも、昔は仲が悪いわけではなかったのですよ。きっと、ナツミ様以外が目に入らなくなってしまったのです。だからこそ余計に、危害を加える私をナツミ様に近付けまいとしたのです。謝ったって、過去のことが消えてなくなるわけではありません。何か企んでいると思っていらっしゃるのでしょう。仕方がないですわ、男性は恋をすると少々お馬鹿さんになりますから。――ああ、ナツミ様、私の話も他言無用でお願いしますわね」
そう言って笑うと、ナツミも笑う。
ナツミの笑いはくすりとしたものから段々と大きくなんて、最後にはお腹を抱えて笑っていて。
淑女としてはあまり宜しくない姿だけれど、「私」としてはその笑い方が明るくて可愛らしくて、咎めようなんて気には一切ならなかった。
「けれど、ナツミ様がハインリヒ王太子殿下のことを想って下さっているのでしたら、安心致しましたわ。実は私、ハインリヒ王太子殿下との婚約を解消したいと思っているの」
「――え!?解消!?そ、そんなこと出来るんですか…?」
「私がハインリヒ王太子殿下の婚約者となったのは、ひとえに私が公爵家の唯一の娘であったから。逆を言えば、公爵家の娘であれば婚約者は私でなくても良いのよ」
「は、はあ……でも、この国にはフランソワ様しか公爵令嬢はいらっしゃいませんよね…?」
――そう。それが一番のネックで、ハインリヒ王太子殿下がどれだけナツミのことが好きでもフランソワとの婚約を破棄できなかった理由。
結局、フランソワが大罪を犯したりでもしなければ、ハインリヒはフランソワ以外を婚約者とすることはできない。
それを唯一可能にする手段を、フランソワは知っていて、ずっと言わなかった。
悔しかったから。王妃教育まで受け、散々色々なことを我慢してきたのに、他の者に譲りたくなかったから。
けれども、今の私ならば大歓迎。
王妃なんて一生不自由な役職なんて就きたくないし、そもそも好みではないハインリヒなんかとの婚約はさっさと解消して、自由になりたいのだ。
「ですから、ナツミ様が公爵家の娘となるのです」
「……え?」
「まず、ナツミ様をメルブルグ公爵家に養女として迎え入れるわ。そうすれば、ナツミ様は晴れて公爵家の娘としてハインリヒ王太子殿下の婚約者と相成りますわ!ハインリヒ王太子殿下も否とは仰らないでしょうし。ナツミ様には、ガイラン・グスマ様――お兄様がいらっしゃいますから、ご実家への影響はあまりない、で宜しいかしら?」
「そ、それは勿論、グスマ男爵家にしてみたら娘がメルブルグ公爵家に入ったとなれば、箔がつくというものですが――それでは、フランソワ様が損するばかりではないですか!もしかしたら、婚約者を取られたと悪評を流される可能性も…」
ナツミは心配そうな表情で、私を見た。
きっと、ハインリヒとの婚約解消後の私の嫁ぎ先のことも心配してくれているのだろう。
本当に優しい人だ。フランソワ、今はもう私だけど、どうしてこんな真っすぐな人を虐めることができたのよ。
「ありがとう、心配して下さって。でも良いのよ、私は元々婚約相手は自分で見つけたいタイプなの」
「フランソワ様…」
「あら。今後は私の妹となるのよ。呼び方は変えてもらわないといけないわね」
「……フランソワ、お姉様…?」
ナツミが恥ずかしそうにそう呼ぶと、私の心臓がきゅっと締め付けられた。
フランソワも私も、妹というのはいたことがない。
私の世界で言う妹萌えというのはこういう感情のことをいうのかしら、と考えながら、私はナツミの両手を自身の両手で包んだ。
「嬉しいわ、ナツミ。貴女のような可愛い妹ができるなんて、私は幸せよ」
◇ ◇
あのナツミと二人きりで会った日から少し後に開かれた茶会に、ナツミは私からの贈り物であるドレスを着て出席した。
エスコートは、ハインリヒ。フランソワは体調不良を理由に欠席した。
ハインリヒにナツミのエスコートを頼みに行ったときの、ハインリヒの顔といったら笑い種だ。
隣で成り行きを見守っていたナツミも思わず吹き出してしまう程。
散々と疑っていたハインリヒも、結局ナツミのエスコートを断るわけもなく茶会では楽しい時間を過ごしたようだ。
ナツミは事前の打ち合わせ通り、茶会の最初でドレスは私から贈られたものであると発言。公爵家令嬢からの贈り物であるドレスを貶したり、汚そうとしたりするような勇者は勿論いなかった。
何事もなく平和に終わった茶会後、私に対してある程度の信用を取り戻したらしいハインリヒとナツミと、三人で話す機会を作った。
勿論、あの作戦を説明するために。
「――ということなのですが。ハインリヒ王太子殿下のご意見はいかがですか?」
「……それは、まあ、勿論俺にとってはこれ以上ない話だが……。お前は本当にいいのか?俺に近付くのが気に入らなくてナツミを虐めていたんじゃ…」
「ちゃんと話を聞いて下さってましたか?私はただあまりにも貴方様が私のことを気に掛けて下さらないから、我慢の限界が来てしまっただけですわ。どれだけ王妃教育が忙しいと思っておりますの?ちょっと声を掛けるだけで目の敵にされて、いくら私でも傷付かないとでも?ああ、気付きませんわよね、ハインリヒ王太子殿下は鈍感でいらっしゃいますから」
「…………お前、性格変わってないか?それとも別人なんじゃないか!?」
「まあ、失礼ですわ!ちゃんと貴方様の婚約者のフランソワ・フォン・メルブルグで間違いありません。5つのとき、小さかった貴方様が私に駆けっこで負けたのが悔しいと言って泣きじゃくったことも、6つのときに足を滑らせて何故か庭園の噴水に突っ込んだことも、7つのときに虫が――」
「もういい!貴様、ナツミの前で!」
「ふ、ふふふ…!」
ナツミの笑い声が響く。
ハインリヒとこうして楽しく話をしたのはいつぶりだろう。
あれ程までに冷えた関係になってしまったのはハインリヒがナツミと出会ってしまった所為だけど、こうしてハインリヒとまた笑って話せるようになったのはナツミのお陰だ。
フランソワの虐めを許し、受け入れてくれた、ナツミの。
「まあそういうわけですから、今後暫くナツミ様は公爵家で過ごして頂き、行動も私と共にして頂きます。今までよりナツミ様といられる時間が少なくなるご覚悟をしておいてくださいませ」
「な、何故…」
「何故、ですって?」
ぎら、と視線でハインリヒを睨み付けると、ハインリヒはびくりと肩を大きく震わせた。
「先程も言いましたけれども、王妃教育がどれだけ忙しいかお分かりですか?私が幼いときより受けていた勉強を、ナツミ様は短期間で習得せねばならないのです。ナツミ様は確かに優秀ですけれど、私だって出来が悪い方ではありませんわ。正直、全ての教育を終わらせるには到底間に合いません」
「す、すみません…」
「ナツミ様はこれっぽっちも悪くありませんわ。――ですから、ハインリヒ王太子殿下。貴方様にも、今まで以上に勉強してもらわねばなりません。これまで私が担っておりましたが、外交上の要人の名前は勿論趣味嗜好まで把握しパーティーなどでナツミ様をフォローして頂かなくてはなりません。ナツミ様が婚約者となってから駄目になったなどと難癖をつけられないよう、成績は常に上位を目指してください。ナツミ様にはナツミ様にしかできないことを優先的に学ばなくてはなりませんから、それ以外は貴方様が補ってくださいませ」
「む…、そ、そうか。そう、だな。ナツミのために……」
これまでフランソワが諫めることへ反抗するかのように勉強を遠ざけてきたハインリヒだが、今後はそういうわけにはいかない。
けれども、ナツミのためであればしっかりとやってくれそうだ。
ハインリヒだって、やればできる子である。
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