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「彼」のこと
「ママ……ヒゲが生えてる……」
亮二さんを庇って刺されて、入院した病室で。纏ったシーツから出て来たママの顔には、短い――無精ヒゲが生えていた。鼻の下にも、頰にも、顎にも。
「片手だと、上手く剃れないのよ。だから、明日退院前に、亮二が手伝ってくれる約束だったのに」
ママは、開き直ったように、サバサバと笑った。
「えっ……と……待って、僕、まだよく、分かんない……」
どういうこと? ママは……「ママ」じゃないのか? ウチは「母子家庭」じゃなかったの?
「混乱するのも、無理ないわよね。あたしは、生まれたときは男。少しずつホルモンとかで変えているけど、身体はあんたと同じ男なのよ」
「じゃ……じゃあ、僕はっ? ママの子じゃないの?!」
「あたしの子よ、アキラ。あたしの精子で、体外受精して、産んでもらったの」
「ホント……?」
「あのね。亮二は、昔からの恋人だった。彼に頼んで、外国であんたが産まれるように手を尽くしてもらった。それから、彼の店で働いてきたわ」
ママは、愛しげに僕を見詰め、頭を……髪をくしゃくしゃっと撫でた。
「ケガは大したことないけど、今の店は危険だから閉めることになったの。マンションも引っ越す。ごめんね、アキラ」
「……ママ」
僕は、右手を伸ばした。そして、「ママ」の頰に触れた。不揃いで固い男の証が、指先にチクチクした。
「……痛いでしょ」
ママは、悲しそうに微笑んだ。
「ううん。気持ちいいよ」
微笑み返すと、頰に当てた僕の掌ごと右手が優しく包み込んで、ママはポロポロと泣いた。
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指先が温かな熱に包まれる。目を開けると、ナオヤが、僕の右手にキスしていた。
「……何、してるの」
「結婚式の練習」
「も、馬鹿っ」
カアッと顔に熱が上る。
「もう少しで、着くぞ」
気付くと、車は路肩に止まっている。
カーナビの表示は、目的地の温泉旅館まで「あと5km」とある。
「ありがとう」
ナオヤは、再びエンジンをかけた。
僕達は、今夜、ママに会いに行く。
亮二さんの店を閉めたあと、傷の療養を目的に湯治に行った温泉宿で、ママはヒデさんに再開したのだという。
今ママは、ヒデさんの旅館で仲居の仕事をしている。
ママは、いつか『孫の顔を見るのが夢だ』と言っていた。ごめん。僕はその願いを叶えられない。
こんな親不孝な僕だけど、将来を誓い合った素敵なパートナーと巡り会えた。だから、「彼」のことを聞いて欲しい。
きっと……僕のママは、分かってくれると信じているから。
【了】
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