奥宮にて

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 結局、護衛たちの負傷もあって今回の参拝は見送られることとなった。  無傷で帰ってきた皇子の牛車を見て、はたして何人の権力者たちが肩を落としたのだろうか。  皇子はまだ齢十にも満たない子供だ。齢十八になる春貴ですら、病で両親を失ったものの比較的平和に暮らしているというのに、皇子は獣の檻の中で常に危険を感じながら生活しなければならないのだ。  大ノ宮の中は物の怪よりも恐ろしいものであふれているのだろう。それはきっと金と権力によって生み出された深い深い闇だ。  そんな場所で生きる子供を憐れにこそ思うが、まっとうな一生を送りたいのであれば極力関わらないにかぎる。でなければ、自分など一瞬で飲みこまれてしまうだろう。  そんな風に常々思っていた春貴だったが、現在、その足は大ノ宮の門をくぐっていた。  もちろん望んだことではないが、他でもない皇子直々の招集だと言われてしまえば、たとえ魑魅魍魎の群れの中、なんの権力も持たない春貴は従う他ないのだ。 「守野春貴、参上いたしました」  床に額をあて、決して顔を上げるな。この部屋に入る前に口うるさく言われたおかげで、春貴が好奇心から顔を上げてしまうことはなかった。静まった空間で自分の鼓動の音だけが耳に響く中、ばさりとなにかを広げるような音が聞こえる。 「守野春貴」  部屋のすみのほうから甲高い獣のような声で名前を呼ばれ、返事をしてよいのかと考えあぐねていると、そのままその声が続けられた。  なにかを読み上げているのか、長々と述べられたそれを要約すると、つまり春貴の今回の活躍を評価しているということらしかった。 「守野春貴」  再び呼ばれた名前だったが、今度は「顔を上げよ」と続いたため春貴はうかがうようにしてそっと頭を上げた。  大股十歩でも足りないくらい広々とした部屋だ。無駄に広いくせになにもなく、その先に御簾のおろされた別の部屋が見える。その中に皇子がいるのだろうが、春貴のほうからは残念ながら影を見ることすらできなかった。 「こたびの活躍により、そなたを大ノ宮の屋敷護衛に任命する」  てっきり追加の報酬をもらえるものだと思っていた春貴は、述べられたその言葉にすぐに応えることができなかった。かといって黙りこむことも許されず、痛いほどの沈黙の中、結局流されるままに春貴は再び頭を下げていた。 「守りの名に恥じぬ活躍を期待しておるぞ」  御簾の奥から聞こえた声は、やはり年端もいかぬ子供の声だった。
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