奥宮にて

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 そのまま簡単な朝食を済ませ、身支度を整えてからいつものように大路へと進む。大路は国の中心をまっすぐ走る道で、その幅は春貴の小さな屋敷を二つ並べてもなお余裕のあるほどだ。  普段貴族しか通ることを許されない道は、その地位によって歩ける位置すらも厳しく決められている。下級貴族である春貴は大路の端を這うように進む必要があるのだが、その両端に植えられた花木を楽しむにはうってつけだった。  大路を歩くと、季節の移り変わりを強く感じることができる。  今の時期は香り高い花が咲き、それが時間をかけてゆっくりと散ってゆき、青々とした葉をしげらせて、それが坊主になるころにきれいな雪が降るのだ。  そんな景色を「人生のようだ」と言ったのははたして誰だったか。春貴はそれをあの男から聞いたような気がした。書物でも数多く書かれるようなありきたりな言葉だったが、その時の春貴は素直に男へと笑みを見せていただろう。  あの時隣にいた男は、まだ美しい黒髪をしていた――  そんな風にぼんやりと歩いていた春貴の横を、のんびりとした牛車が通り過ぎてゆく。  ほとんどの貴族は牛車を使うので、歩いているのは春貴か、もしくはお付きの者たちくらいだった。そのこともきっと貴族たちには面白おかしく映るのであろう。  だがどう思われようとも、牛車やお付き人を雇うお金のない春貴にはどうすることもできなかった。まぁ理由なんて所詮奴らには関係ないのだ。そしてその理由を知られたところで、からかいがなくなるとも思えなかった。  何台目かの牛車が通り過ぎてゆき、次に過ぎた牛車が春貴の歩幅に合わせるようにして歩みを遅めた。  そのひときわ立派な車に見覚えがあったため、春貴はあえて止まろうとはしなかった。 「乗っていくか?」  側面の御簾がわずかに上げられ、その奥から予想通りの声が届く。わざわざ大路の中心から端に寄るなんて変わり者は、きっとこの男くらいだろう。 「三鷹の屋敷へ行くのだろう? 送って行くぞ」  返事のない春貴へと、再び声がかけられる。こちらが無視しようがおかまいなしだ。まさか喜んで乗りこむとでも思っているのだろうか。まぁこの男ならばそう思っていてもおかしくはないが。  顔を向けようともしない春貴に、ついに牛車が先へと進み出る。ようやく諦めたかと思ったのもつかの間、牛車は少し先のほうで完全にその歩みを止めた。  後部の御簾が上がる。そして、二白がゆっくりと大路へと降り立った。  雪だ。春貴はその真っ白い姿を、いつも雪のようだと思っていた。賢人はみなそうらしいが、きっとその中でも二白はとびきり雪のようだろう。不純のない洗練された姿とでも言うのか、素直にそれは美しいと思えた。  そして、その雪のような手が暖かいことを、春貴は知っているのだ。 「屋敷までともにゆこう」  そう言って隣に並んだ二白に、ようやく春貴がしかめた面を向ける。 「……賢人様が歩くなよ」 「賢人でも歩きはする。それにこんな天気だ、たまにはいいだろう」  そう言ってずるずると長い裾を引きずりながら歩き出した二白に、結局春貴は手を貸すはめになるのだった。  身軽さを一切感じさせない重ね衣は、いっそ置き物として作られた可能性すらあった。そんな重たげな衣から飾り紐を一本拝借して、春貴がその長い裾を少し乱暴にたくし上げる。多少不格好になったところで、この男が気にすることはないだろうから容赦はしない。  最後にぱしりと背中を叩くのもお約束だ。  そうして再び歩き出した二人の姿に、通り過ぎてゆく他の車から奇異なものを見るような視線が寄こされた。賢人と下級貴族の組み合わせは、よほど異質に映ることだろう。  だが厄介だと思いつつも、それでもちらりと見上げた二白の白髪に、咲き誇る花はよく映えた。やわらかい風がその横顔をかすめてゆく。  視線に気づいたのか、ふいにこちらへと向けられた男の優しい表情に、春貴は懐かしさすら覚えてしまった。  白くなっただけで、中身はなんら変わらないのだ。  それでも、その白さが決して超えることの許されない壁となったのは確かだった。
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