奥宮にて

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「迎えに行けず、すまなかったな」  なんのことを言っているのかはすぐにわかった。そして、少しは気にしていたのかとほっとする自分に嫌気がさす。そんな未練を跳ね飛ばすように、口調は意識せずとも強くなった。 「別に。最初から期待なんてしてなかった」 「賢人の集まりがあったんだ。終えてからすぐに向かったが、すでにお前は宮を出たあとだった」 「あっそ」 「報酬はきちんともらえたのか?」 「……関係ないだろ」 「そうか。ならばあとで届けさせよう」  普段宮に入ることを許されない立場の春貴には、その申し出を突っぱねることができなかった。報酬は必要だ。小さな屋敷とはいえ、維持にも相応の金がかかる。上級貴族の屋敷警護に就いているとはいえ、春貴には牛車を持てるほどの余裕もないのだ。  もともとさほどの家柄ではないが、さすがに金なしでお家を潰すなど、死んだ先祖も泣くに泣けないだろう。 「あれからなにか変化はないか?」 「別に、なにも」 「ならばあの時、神はお前になんと言っていたんだ?」  二白の言葉に、春貴は思わず歩みを止めていた。  あの子供を神と言ったか。まぁ普通ではないとは思っていたが、賢人が言うならば間違いないのだろう。  こちらへと向けられた思いのほか真剣な眼差しに、春貴のほほがわずかに色づいた。 「な、なにって……なんだっけ……」 「いい、無理に思い出す必要はない。お前も混乱していたんだ。なにもないなら、それでいい」  再び歩き出した二白の隣へと、春貴が慌てて並ぶ。額の紋様のことを言おうかとも思ったが、これ以上心配をかけるのはためらわれ、口から出ることはなかった。 「食事はきちんととれているのか?」  二白が再び口を開く。 「食べてるよ」 「少し痩せたように見えるが」 「そんなことないだろ、平常だ」 「お前はほおっておくと偏った食事になるからな。塩気の強いものばかりでは体に響くぞ」 「言われなくても、自分の管理くらいできてるつもりだ。子供じゃないんだから」 「大人は突然癇癪を起こして屋敷を飛び出したりなどしない。最近まで顔すら見せようともせずに、どれほど心配したことか」 「いちいち報告する義務はないだろ。ただ、自分の屋敷に戻っただけだ。お前の屋敷を出たのだって、元はといえばお前が賢人になったから、」 「なにもすべてを報告しろとは言っていない。屋敷を出たのも咎めるつもりはない。ただせめて、顔を見せることくらいはできただろう」 「見せなくても、どうせ勝手に見てたんだろ」 「……たまたまだ」 「否定すらしないのかよ」  ふんっと鼻を鳴らした春貴に、二白が「それよりも、」と続ける。 「奥宮が開いたことで、人々の心も不安定になっている。宮内も後見人争いで緊張が続き……中には奥宮が開いたことを、力のない皇子のせいだと言う者もいる。今はまだ変化はないが、これから大きなことが起こるかもしれない。お前も、十分用心するように」  子に言い聞かせるような声色はあいかわらずだ。彼にとってはいつまでもこの身は子供なのだろう。 「ご忠告どーも。俺はお前と違って自分の身は自分で守れるから安心してくれ」 「……そういうことを言っているのではない」 「そういうことだろ。賢人様は神様のことだけ考えておけよ」  二白のため息が聞こえたが、ため息をつきたいのは春貴のほうだった。  いつになったら子供扱いをやめてくれるのか。それが原因でこちらはもやもやしているというのに、それすらこの男が気づくことはないのだろう。それが春貴にはどうしようもなく悔しいことだった。  顔をしかめた春貴にやはり気づくことなく、二白の話は皇子の定期参拝へと進んだ。 「こんな状況だが、予定通りおこなわれることとなった。護衛として今回はお前も呼ばれるだろうから、十分用心して、」  二白の言葉を聞ききることなく、春貴は目的地である三鷹の屋敷の門をくぐっていた。賢人ならば無断で入ろうがお咎めなしだろうが、二白が律儀に立ち止まることを春貴は知っていた。  だからあえて立ち止まってやることはしなかった。 「春……」  背中へとかけられた声を無視して、そのまま屋敷の奥へと進む。これ以上話していては、あの上質な胸ぐらを掴みかねなかった。  成長しないな、と思う。お互い様だ。一方的に責め立てるほど、春貴はもう子供ではなかった。  そんな春貴の背中を見つめていた二白の肩に、長い尾羽を持った優雅な鳥がそっと止まった。主人の様子をうかがうようにしてくるくると鳴き、賢そうなその目に悲しげな男の横顔を写す。 「彼についていてくれ」  二白の声を受けて、それはすぐに肩から飛び立った。  あの子をまた怒らせるかもしれない。そんな不安が二白にはあったが、それでもそばにいられない分、様子だけでも知っておきたいと思っての行動だった。 「ままならないな……」  ひとり残された二白はもう一度青年の名前をつぶやいたあと、控えていた牛車に静かに乗りこんだ。
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