誰かを動かすひとこと

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「ねぇ、最近肌キレイになった?」 その声に、ハッと振り向いた。信号が青に変わるのを待つスクランブル交差点の横断歩道の前、2人の女性が話していた。 「ほんと!? 最近ニキビできなくなってきてさー」 茶色の髪をゆるくくるくると巻いた女性が笑う。 「私たちの歳だと吹き出物じゃん?」 黒髪のショートヘアと赤いリップが目を引く女性がつっこむ。先程、私が反応してしまった声だった。 「やめてー! 歳感じる!」 くるくるの髪を指に巻きながら私の心の声を代弁してくれた。車の走る音が遠くなり、周りの人間も動き出す。押されるように私もスクランブル交差点へと入っていく。彼女たちの姿は見えなくなった。 「星野先輩! おはよーございますー」 会社に着き自分のデスクへ荷物を置く。すると、今日もメイクばっちり、服も手を抜かずな、キラキラな新卒の後輩が駆けてくる。嫌な予感がした。おはよう、と返すと目の前にバッと書類が広がる。 「ここ、数字が合わなくて……」 助けてください先輩〜と泣きそうな声が響いた。 「ほら、ちょっと見せて。まだ時間あるから大丈夫だよ」 デスクの上に鞄を置きっぱなしにして、後輩のパソコンを覗きに行く。ふんふんと画面を追っていくとよくあるケアレスミスだった。私も新人の頃はよくやっていた。手順を教えると、メモを取りつつうんうんと画面を見ている姿。ありがとうございます! とめいいっぱいの笑顔で言われるものだから眩しくて敵わない。ふと、スクランブル交差点で見た女性を思い出した。彼女もこんな風に笑っていた。 事務は営業や販売に比べたら楽だろう、なんて気持ちで新卒時に内定を貰った弊社で働き初めて早3年。事務が向いていないわけではなかったけれど、他と比べて楽なのは間違いだった。元々の要領の悪さから残業は当たり前。お金はあるけど、使い道がなくてなんだか虚しい。かと言って、パーっと食事やエステに使う気にもなれず、たまーに会う友達との交際費以外はほぼ生活費のみの出費だ。 上手く発散しきれないストレスと日々の生活の乱れから、いつしか顔にポツポツと赤いものが現れ始めた。思春期の頃、ニキビに悩んでいたことを思い出すが明らかに現れる場所が違っていた。もはや、顔というより首では? という位置にもあった。ニキビはTゾーンにできる、と思い込んでいたが、年とともにニキビの位置も変わると、上手く眠れない夜、スマホが教えてくれたのだった。 それからというもの、なんとなくニキビを触っていたり、鏡を見る時間が長くなった。嫌だな嫌だなと落ち込むことも増えた。たがらこそ、あの女性たちの会話が耳に張り付いて離れない。今日は集中できないかも、と思いながらデスクに着く。 「失礼します」 「あ! 秋月先輩じゃないですかー! 今日もかっこいいですね!」 「いや……星野はいるか……いた」 彼が来ると女子社員の声が響くものだからインターホンの様だと思う。秋月は営業課に所属している同期だ。営業マンにしてはお堅すぎるような気がしないでもない真面目な奴。サラサラの黒髪に、高身長、もう忘れたけど昔は運動部だったらしく筋肉質な体。おまけに顔も整っている。なんだ、近くで見ると肌も綺麗だ。むかつくな、と心の中で呟いて消化させる。 「何ですか」 「いや、契約取れたからさ。これ星野に頼みたくて」 そう言うと、顧客情報の書かれた書類等々を渡される。 「了解。……この辺はメールで送ってよ」 こっちは手書きで書類作って送るわけじゃないんだから、と釘を刺す。 「いや、やっぱ俺、パソコン無理だわ」 この何処までも完璧な外見をしておいて、何処までもアナログな人間に仕事を頼まれるのも、残業が増える要因の一つだ。諦めをため息にして仕方ないと言い聞かせる。 「……なによ」 いつもなら用事が済むとすぐに帰っていくのに。未だに突っ立っている秋月は、私をじぃっと見つめてくる。 「いや、」 「ふっ……その"いや"って、口癖だよね」 思わずふふっと声が零れてしまう。 「笑うな」 「ごめんごめん。なんか、初めて話したときもすっごい気になったなーと思って」 思い出し笑いが止まらなくなる。秋月の表情は分かりにくいけど、どんどん不機嫌になっているのは気がついていた。ついには書類を奪われバサッと頭を軽くはたかれた。 「あー……ごめん」 「星野は変わった。なんか、最近は印象が違う」 急に何? と考えている間に、秋月の姿は消えていた。 「先輩、私がその仕事引き受けてもいいですよー」 「ちょうど昨日で頼まれてた仕事終わったから大丈夫でーす」 軽くあしらうと、先輩は頑張りすぎですよ! と不満も込めて心配される。 「残業ばっかしてたらだめですよー」 ぷに、と人差し指で頬をつつかれる。 「お肌もお疲れじゃないですか。化粧で誤魔化しちゃうくらいならちゃんと寝てください!」 ぐきりと顔が強ばった。ニキビを隠すため、最近化粧が厚くなりがちなのだ。 「バレてた……?」 「私に隠せるとでも? 秋月先輩に気づかれてる時点で相当ですよ」 そうか、さっきの言葉はそういうことか。人のことなど考えてませんみたいな顔しておいて、よく見てるじゃないか。 「おすすめのスキンケア商品とか教えますし」 「ありがと」 「あと、なるべく私も早く仕事覚えます……」 さっきまでの強気な態度は何処へやら。無理しないでよ、と自然と頭を撫でてしまった。 その日のランチは、ひたすら「これがオススメです!」とクレンジングや化粧水をプレゼンされた。そういえば、どれが自分に合ってるかとか考えずに、世間が良いと言っている物をとりあえず買っていたなあ、と薬局にきて思う。ほぼ定時に上がり、まだ人の多い店内で教えてもらった商品を探した。 帰宅すると、いつもより時間に余裕があって嬉しいけれど、なんだかソワソワしてしまう。 「早めに試してみるか……」 袋から取り出した洗顔料とクレンジング、化粧水を持って洗面所へ向かった。身体全体を洗い終えてから、化粧を落としてみる。 「いつもよりすっきりしてるかも」 湯船につかり、両手で頬を包み込むと肌がなめらかになっている気がした。 湯船から上がり、体を拭いて、毛穴が閉じる前に急いで化粧水を吸い込ませる。うん、気持ちいい。ぺちぺちと叩きすぎず、じんわりじんわり、肌に溶け込んでいくのを感じた。相変わらず鏡に映った自分は、クマもあるしニキビもあるし疲れた顔をしているけれど、心はワクワクしている。 数週間、同じスキンケアを試してみると、着実に肌が綺麗になっていく。自然と健康に、肌に良くないことは避けるようにもなった。残業はまだ少しするけれど。 ある朝、化粧をしようと鏡の中の自分を見ると、ニキビがほとんど目立たなくなっていた。 「仕事以外で達成感得たの久しぶりかも」 と苦笑してしまった。
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