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第1話 二敷怜奈の章
そこには、
漆黒の闇があった...。
しかし、その闇をよくよく見ると漆黒ではなかった。
漆黒の黒というよりはより明るいグラデー ションがかかった深い紺色。
まぶしい光ではない光を放つ夜空が目の前に広がっていた。
夜空の中に、なにかが見えた気がした...。
何か大小さまざまな白いもの。
無数の瞬く「なに」か。
それが「星」と呼ばれるものだと自分の「意識」が認識するまで、どれだけの時間を要したのだろう。
一陣の風が吹き、木々がざわめいた。
森を形づくる枝と枝の隙間から、夜空が抜けて見えていた。
自分の真上だけがすっぽりと空いていて、天窓のようになっていた。
(...わたし...?...ここは...?)
意識が動かない。
まるで脳が活動することを拒んでいるかのように、思考すらままならなかった。
ようやく、「自分」がここにいることを認識し、「意識」が動き始めた。
さっき吹いた風が自分の体温を感じさせた。
冷たい。
わたしは石と同じ温度になっていた。
そう、 大きく平たい石の上に横たわって空を見上げていた。
顔には霧になった滝からの水滴が時折降り注いでいる。
それがさらに体温を下げていた。
遠くに滝の水音が聞こえる。
すぐそばに滝がある。
身体が冷たいと感じても指の一本も動かすことはできなかった。
ぼんやりと目を開けて、遠くの 空を眺めていることしかできなかった。
(この場所...わたし...知ってる...お気に入りの......彼と寝そべった...あの石の...)
微かに首が左右に動かせた。
川とは反対の方を見てみるとそこには華が一面に群生していた。
辺りが真っ白になる程の曼珠沙華が闇の中で風に揺れながら光っていた。
霧になった水滴がまるで涙のように花弁に無数についていた。
(...どうなったん...だっけ?
.........を、わたしの...中に招き入れた...そして?)
ぼんやりした意識でここに至るまでの出来事を必死で遡ろうとした。
記憶が断片的すぎて思い出せなかった。
ただ、何をか成し遂げようと必死になっていたことだけは確かだった。
(どうして...招き入れたんだろう?...何のために...?)
花弁の水滴がその重みに耐えられなくなったのか、滴り落ちるのが見えた。
「...あ」
落ちていく水滴が地面に落ちるまで、無限のスローモーションのようだった。
(...泣かない...で、
......みゆ...きが悪いわけじゃない...)
群生する白い曼珠沙華の向こう、少し離れた場所に一本だけ咲いている血のように赤い曼珠沙華 が目に飛び込んできた。
(助けに...来たのよ...だから...泣かないで...
苦しまないで...)
曼珠沙華の首が横に揺れた。
艶々と光る赤がどす黒くなっていく。
(...来るのが...遅くなってごめ...ん...
ずっと...ずっと...話しかけてくれてたん...だね
今まで...毎晩...夢に現れていた...のに...
わかって...いたのに...)
口を動かして言葉にしているつもりが一言も言葉にはならなかった。
心の中で語りかけるしかなかった。
(一日も忘れたことなんてなかった...
ずっと、ずっと...
後悔して
会いたくて...でも、会えなくて
わたしのせいだって...思ってた...)
ついに曼珠沙華は真っ黒になってしまい闇に溶け込んで見えなくなってしまった。
視界から消えてしまうと同時に、頬に一筋の涙が流れた。
目を閉じて親友の名前を何度も何度もつぶやき続けた。
それしかできなかった。
(わたし...一緒にやりたいことが...たくさんあった
もっともっと...話したかったし、将来のことだって...結婚して、
子供ができて、旦那さんの愚痴言い合ったり...
そんなたわいもないこと...もっと...悔しかったよね)
大きな水滴が額に数滴落ちた。
びっくりして目を開けると黒い何かが上から自分の顔を覗き込み、 見下ろしていた。
自分の目に映るのは黒い影と2つの眼だけ。
それは人ではないように見えた。
人の気配はしなかった。
真っ黒な何か大きな影がそばにいた。
「!」
身体を仰け反らせようとしてもやはり動かなかった。
自分の意識だけが焦りを感じている。
しかし、「恐怖」は感じていなかった。
影はただただ自分の顔を覗き込んでいた。
何かを話しているような気もするが声や音は耳に届いていなかった。
2つの眼は深いエメラルドグリーンだった。
静かに、何かを伝えるように見つめ続けていた。
(どこかで...会って...る?
...懐かしい...感じがする...
小さい頃、父に連れられてここに来た時に会ってる...?
あ、もしかして黒い御柱さま?)
2つの眼の表情が少し優しくなったように見えた。
(わたしに、何をお望みですか...?
わたしは何も...できません。
父と違って、審神者の修行もしておりません。
今ここにいることすら、その理由すらわかっては...)
2つの眼はただ真っ直ぐに見つめ続けた。
それは強い意志を持って何かを伝えていた。
(親友の魂すら...満足に救えない者など...審神者には)
『審神者とは何か?』
地の底から響くような重い「声」だった。
(審神者は神の...「神託を受け、伝える者」でございます)
『審神者とは何か?』
(「受け、伝える...者」?)
自分の言ったことばを噛み締めた。
何かが自分の中で引っかかった。
『審神者とは何か?』
(「清庭」へとつなげる者。清められし場所へと導く者。)
はっとして、突然理解した。自分の中で忽然と何かと何かが繋がった。
霊媒体質以外の自分の役目を理解した。
(そして、神のことばを伝え、神と民との間を「繋ぐ」...者...なのですね...)
身体の硬直が自然に解けた。
上半身をゆっくり起こして、石の上に座りなおした。
目の前に立っている男性のような姿をした存在を見上げた。
そして、はっきりと自分の口でことばを話すことができた。
「わたしでなければ、みゆきの魂を導けないのですね」
2つの眼は、1度だけ瞬きをした。
その眼は微笑んでいるようだった。
『そなたに流れる「血」によって成すべきことを成すがよい』
眼を閉じると黒い御柱は蛇のように頭を下げた。
そして左胸の心臓めがけて突進し、消えていった。
痛みは感じなかった。
ただ身体が電流でも流れたように痺れ、熱くなっていた。
御柱が通り過ぎた後、ドス黒い色だった心臓付近には白い薔薇が咲き、次第に赤く色を変え、そして消えていった。
脈打つ自分の心臓に手を当てて、静かに立ち上がった。
さっきは目の前に見えていた赤い曼珠沙華が遠くに一本だけぽつんと見えていた。
「みゆき...」
そう呟くと、あたりは白い光に包まれた。
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