第2話 眞壁慎之介の章

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第2話 眞壁慎之介の章

「報告は、以上です」 眞壁はあまり感情的にならず、事実だけを時系列で春彦に伝えた。 見ていたファイルを閉じ、ソファの横に置いた黒い革のバッグにしまった。 長い沈黙の後、春彦は深いため息にも似た一言をつぶやいた。 「ありがとう。眞壁君。」 「二敷さん」 「あの状況下で、私だったら怜奈を取り戻せなかっただろう。 橋沼にさらわれた時、気が動転してしまって、私は「黒柱会」の代表でも、この美鱒を統べる審神者でもなくなっていたからな。」 「……」 「玲奈の父親でしかなかった。 娘のことを心配する…ひとりの父親でしか」 「それは…致し方のないことです。」 眞壁は静かに春彦の思いを受け止めた。 「君が娘に悪霊を降ろすと言ったとき、君は私には無理だと言っていたね。 そのことが本当に身に染みたよ」 春彦は、ちょっと苦笑いをして立ち上がって、バーカウンターへ近づいた。 「冷静でいられないのは肉親ならば当たり前のことです。ましてや愛娘であればなおさら。ですから私たちがいるのです。私たち『庭園の錬金術師』が」 「そうだな」 グラスを2つ取り出すと肩を並べるようにトレイの上に置いた。 春彦はいくつもある琥珀色の瓶の中から1本を選び出した。 「飲むかい?」 「ええ」 「ロックで?」 「いえ、ストレートで」 春彦は驚いた顔をしていた。 眞壁とは長い付き合いである。 彼の好みは熟知しているつもりでいたからだ。 「! なんだ珍しいな。」 「らしくありませんか?」 「いや、そうは言わないが。いつもの眞壁君とは違ったように思えてね」 その言葉を聞いて眞壁はくすりと笑った。 「そうですね。確かにそうかもしれません。 二敷さんの前で、ああは言ったものの、相手も長い年月を経て力を溜めながら存在を拡大していた悪魔でしたし。実際、危ないところでした。」 春彦はウィスキーをグラスに注いで、眞壁に手渡した。 「結果的には黒い御柱様に最後の浄化をしていただいた形になりましたが」 「御柱様…か」 春彦は再びソファに戻ってくると深く腰をおろした。 遠い目をしながら過去の自分を振り返るように思い返しているようだった。 「何か気になることでも?」 「いや」 春彦は回していたグラスの手を止めて、ウィスキーを一口口に含んだ。 眞壁には春彦が話そうかどうか迷っているように見えた。 「眞壁君に曼珠沙華の話はしたかい?」 「曼珠沙華?赤い彼岸花のことですね」 「ああ、そうだ。君たちが水蛇滝から戻ったあの日。私の元に曼珠沙華が届けられた。」 「届けられた?」 春彦は自分の言葉が足りなかったこと理解し、話を続けた。 「すまない。現実に花が届いたってわけではなく、神託を視たんだ。私の審神者としての眼でね。本来、私の審神者としての力は巫女もしくは鏡がないと視えないものなのだが。どうやら今回は特別なようだよ。」 「とすると、それは…」 「そう。御柱様からのメッセージとして届けられた。」 「……」 眞壁はその意図を考え込んだ。 「黒柱会」について随分長い間調べている彼だからこそ興味深い話だった。 ただ、非常に個人的な事柄を含んでいる気がしたので、真剣に聞かなければと自分に言い聞かせた。 「曼珠沙華のイメージの後に怜奈の笑顔もあってね。私はそれを見て、全て終わったことを悟ったよ。」 「御柱様は何と?」 眞壁の問いに春彦は何も言わずに微笑んだ。 「言葉としての神託は、何もなかったんだ。眞壁君、『黄色』の曼珠沙華が何を表しているか知っているかい?」 「西洋魔術においては、黄色は黄金の色。つまりティファレトです。 美と調和。太陽の象徴です」 「そうだね。太陽は不死の象徴。仏教においては曼珠沙華は『天界の花』なんだ。悪業を払う花。黄色は「決意」を表すと言われている。」 「決意…」 「曼珠沙華は「死」の象徴でもある。 「死」を受け止め、前を向いて歩いて行こうという「決意」を表すと…御柱様は私にそう伝えてくれたような気がしたよ」 春彦はグラスに残っていた琥珀色の液体を全て飲み干した。そして、困ったように笑うと眞壁の顔を見た。 「怜奈は一度言ったことは曲げない頑固なところがあってね。それでよく泣いていたんだ。 やれ、友だちとケンカをしたと言っては泣き、思い通りにならないと癇癪を起こして泣き。そんな泣き顔だけが浮かんで、いつまでも小さい子どもだと思っていたのに…」 幼かった怜奈とこの場所で悪霊と闘う決意を述べた怜奈の姿が目の前で重なった。 「気づかないうちに…いつの間にか大きくなるものなのかな?娘というものは」 「二敷さん」 「それとも私が子離れ出来ていないだけなのか」 ちょっとさみしそうに、自分に言い聞かせるように呟いた。 怜奈は自分の決意を現実のものとし、審神者の「力」にも目覚めたのだ。 ようやく春彦は娘を一人前として扱わなければと思ったのかもしれない。 春彦は再び立ち上がると2杯目をグラスに注いだ。 眞壁もグラスを空けると同じように2杯目を注いでもらった。 午後の光を反射して琥珀色の液体は黄金のようにも見えた。 春彦は立ったまま、窓のそばに立つと外に広がる美鱒の美しい自然に目をやった。 「なぜこの地の水蛇滝に御柱様はおられるのだろうな。なぜ二敷の者が「黒い」御柱様の審神者の血筋なのだろうか」 眞壁は春彦の言葉を聞いて意外そうな表情を浮かべた。 それをわかっているのか、春彦は言葉を続けた。 「こんなことを私が言うとは思わなかったかい?」 「ええ…。」 「私は自分が二敷の跡取りでいることに疑問を持ったことはない。勿論、黒柱会の代表であると言うことにもね。私の役目はこの地を守り、この地に伝わる信仰を残すことだと思っている。ただ、その役目を怜奈に…」 「二敷さん」 春彦は視線を外からグラスに移し、ゆらゆらと表情を変えるウィスキーと戯れていた。 「もう私の代で審神者を絶えさせてもいいのではないかという思いも何処かにはあるんだ。 支えてくれる者も少なくなってきているし、審神者というものは今の世の中に必要ないのではないかと…ね」 「……」 眞壁はちょっと考え込んだ。 長い沈黙が2人の間に流れた。 どう自分の思いを言葉にしようかと悩んでいた。 「二敷さん、私の個人的な見解を述べさせていただいてもよろしいですか?」 「ああ、構わないよ。ぜひ、聞きたいね。」 眞壁もソファから立ち上がると春彦の方へと歩み寄った。 「日本古来の神道の考え方に言霊というものがありますね。髪は神に通じるゆえ、神事の前には髪を切らないというあれです。その考え方で、「二敷」という名字を考えてみてください。にしき。二=に。2つのものを表します。 2つのものとは、私は2つの異なった世界だと思います。敷=しき。これは元々は、広めるという意味でもありますが、「統べる」という意味です。音だけで考えれば、「この世とあの世という2つの世界を統べる」という意味なのかもしれませんね。ですから、審神者の家系にふさわしかったのではないですか?」 「ああ」とうなづくような素振りを見せて、グラスのウィスキーを一口飲んだ。 眞壁は片方の手をポケットに突っ込んだまま、反対の手でグラスを持っていた。 「もう一つ。「黒い」御柱様ですが…。私は長い年月を経て神格化した地母神だと思っています。伝説の類がもしかしたら本当のことを伝えているかもしれないですが、どんな始まりがあったにせよ、間違いなくこの地の守り神であることは確かです。」 そう言うと眞壁は目を閉じた。 そしてあの夜のことを思い出していた。 「庭園の錬金術師」たちと堂宮、怜奈が共に闘ったあの夜を。 一瞬だが、完全に世界の時間が停止したあの瞬間を。 (この2つの世界の重なりを統べる扉そのものを守っているのかもしれない…な) 「あるいは、二敷さんがこだわっているのは「黒」という色の方ですか?」 伏し目がちに開いた眼で眞壁は春彦の顔を探るように見つめた。 「邪悪なものではないかと?」 「……」 春彦は何とも言えない表情を浮かべて返答に困っていた。 眞壁は、厳しかった表情をふっ…と緩めた。 「人間が持っている色に対するイメージは単なるイメージなんですよ。色は比較するものがないと表現できない。よく引き合いに出される虹は何色?というのがいい例です。世界中の人たちが同じものを見ているのに見える色の数が違う」 眞壁は春彦から視線を外すとウィスキーを口に含んだ。 そして、「空」を見ながら独り言のように呟いた。 「だから黒は黒であり、白がなければ黒ではありえない。ゆえに黒は白と同義なんですよ。」 春彦はその言葉を聞いて、少し目を見開いた。 「なんだか禅問答だな。」 「そうですか?西洋魔術では結構有名な考え方です。 その神を白い神と見るのも黒い神と見るのも人間次第ということですよ。 この世界に存在するものに善悪など存在しないのですから。 それを決めるのは「人間」だけですよ。 自分にとっての善なのか、それとも悪なのか…」 「だから、今回のように恐ろしいことも起こるか。人間の「業」ゆえに」 「ええ。」 眞壁は再び美鱒町の緑豊かな自然に目をやった。 午後の明るい日差しが影を落として、一層緑を引き立てているのがわかる。 「いずれにしても御柱様はこの地をとても愛しておいでですよ。そうでなければ、あの場面であのように力をお貸しくださるとは思えない」 春彦は納得したようにうなづいた。 そして眞壁の正面に近づいた。 「最初に申し上げた通り、あくまで、私個人の意見ですが…」 眞壁はそう言うとグラスを持っていた片手だけ上げて、すっと肩をすくめた。 春彦は静かに笑うと持っていたグラスを眞壁の方へ差し出した。 2人は持っていたグラスの中に眠っている琥珀色の液体を通して互いの顔を見た。 今までの色々な想いが交差して、重なり合い、この中に全て溶け込んでいく気がした。 穏やかに過ぎていくこの時間の中で、琥珀色の宝石が互いの腕に消えた。
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