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再発。
ツアーも、自由時間も、博之とテディベアちゃんと一緒に行動する。
そんな日々が続いた、3日目の夜。
日焼けをパックで癒していたら、突然、博之が部屋にきた。ツアーとはいえお互いに1人旅だから、何かあった時のために部屋を教えあっていたのだけど、まさか部屋に来るとは思わなかった。
……顔をパックしたままうっかり出てしまった私に、博之はごめんなさいと謝ってくれた。
「間が悪かったですね……」
「でもびっくりしなかったでしょ? 許してあげる」
「ありがとうございます」
部屋に招き入れると、すぐさま、屋台で売っていたというピンチョスやワインを取り出した。レストランではちょっと物足りなかったのもあって、私は喜んで手を出した。
「それで、これ持ってきたのは?」
「……ちょっと、話がしたくなったんです」
「話?」
「ええ。昨日、彼氏にフラれて旅行に来たって、おっしゃってたでしょう」
「そうね」
頷いた博之が、テディベアちゃんを膝に抱いた。
「私、ストーカーだったんです」
「……何それ?」
訳が分からず、私は聞き返した。
「ストーカーだったんです」
「……つまり?」
「ごめんなさい。変だってわかっているんですが、聞いてくれますか?」
神妙にうなずいて見せれば、博之は嬉しそうに笑って、テディベアちゃんを行儀よく膝上に載せた。
彼がストーカーをしていたのは、近所の女子大生だったという。
毎日、毎日、彼は女子大生がいつ起きて、いつ帰るかをじっと見つめていた。大量の写真、彼女の衣類、彼女の行動を記録した日記。
それらが、彼の部屋には詰め込まれていた。
でも博之は外側だけ見れば『大手銀行の有能な若手社員』というやつで、誰も彼がストーカーをしているなんて、気づいていなかったという。
「今思えば、完璧に病気。本当に犯罪者の思考でした」
「そう、ね……警察に言うべき案件よね、これ」
博之が頷く。
「そしたら、ある日、彼女が待ち構えてたんです」
「えっ……」
「バレてたんですよ、ストーカーのこと」
しかしそこで、女子大生は思いがけない行動に出た。
「付き合いたいって、そう言われました」
「ストーカーされてたのに?」
「はい」
「……変わった人ね」
そこで博之は、切なそうに笑った。
女子大生……彼女が付き合いたいと言い出して、博之はそれを了承した。もしかしたらストーカーのことをバラされるかもしれない、そう思ったからだ。その時にはすっかり冷静になっていて、自分がとんでもないことをしていたと後悔していた。
けれど、警察に自首しようとする博之を、彼女は止めたという。
「警察に自首なんてしないで、って泣きつかれました」
「普通、ストーカーされてたら、怖がらない?」
「私もその時には、すっかり冷静になっていたので……そう思いました」
その不思議な彼女と博之の関係は、2年にわたり続いた。デートもしたし、泊りにもいった。男女の関係にもなり、やがて。
博之は、彼女の秘密に気が付いた。
「……彼女ね、虐待を受けてたんですよ」
「虐待……?」
「体じゃないです。精神的なものですよ。彼女のことは全部否定されて、一緒に育ったお兄さんばかり、家族が褒めているんです。そんな中で、私が彼女のことをじっと、じっと見ていた。それを、あの子は『自分のことだけを見てくれた』って……」
何とも言えない感情に、口の中のトマトとチーズのピンチョスが変な味になる。
それから博之は、彼女が家族から離れられるように尽力した。やがて彼女を受け入れてくれる施設が見つかり、彼女もそこへ行くことを了承した。そのころには博之は、彼女とは付き合うのをやめることを決めていたという。
「ストーカーから始まった関係でしたよ。でもね……彼女には幸せになって欲しくなった、これから先を生きてほしかった。それなら、私とは別れるのが最善だと思いました。だってお互いに、いつ『ストーカーだったと自首するか不安』なんですから」
彼女も『別れる』という提案に、頷いた。今の彼女は家族から離れて生きていくために、必死だった。必死になっている自分を感じて、彼女はもう、博之が傍にいなくても大丈夫だと気が付いた。
最後にあった日、代わりに、と、このテディべアをくれたという。
「自分だと思って、そう言われました。この前もらった手紙だと、就職先も決まって、1人でも暮らせるようになったそうです」
「そう……すごいじゃない」
「でも、ストーカーでしたから」
博之は、そう言って笑った。
彼はきっとその1点を、自分で自分に赦せていないんだろう。
「……そういうのを『真実の愛』っていうのよね」
思わずつぶやいた私に、博之は何も言わなかった。
後輩と彼氏の恋愛が、彼の言う通り『本当の愛』だったのかどうかは、私には分からない。
でもそれなら、たとえストーカーで始まったとしても、最後には『別れる』と決めて、そして『幸せになって』と送り出せた博之の方が、愛情深いと思えてならなかった。
「パック、外さなくていいんですか?」
ふいに博之に尋ねられて、ぱっ、と時計を見る。
「本当だ!」
「……彼女が言ってたんですよ、パックは時間通りって」
「へぇ?」
「私に見られてるって気が付いて、肌の手入れを始めたそうですよ」
「……もしかして博之の肌が綺麗なのって」
頷いた博之は、自慢げに『彼女の受け売りです』と言うのだった。
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