再発。

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ

再発。

 ツアーも、自由時間も、博之とテディベアちゃんと一緒に行動する。  そんな日々が続いた、3日目の夜。  日焼けをパックで癒していたら、突然、博之が部屋にきた。ツアーとはいえお互いに1人旅だから、何かあった時のために部屋を教えあっていたのだけど、まさか部屋に来るとは思わなかった。  ……顔をパックしたままうっかり出てしまった私に、博之はごめんなさいと謝ってくれた。 「間が悪かったですね……」 「でもびっくりしなかったでしょ? 許してあげる」 「ありがとうございます」  部屋に招き入れると、すぐさま、屋台で売っていたというピンチョスやワインを取り出した。レストランではちょっと物足りなかったのもあって、私は喜んで手を出した。 「それで、これ持ってきたのは?」 「……ちょっと、話がしたくなったんです」 「話?」 「ええ。昨日、彼氏にフラれて旅行に来たって、おっしゃってたでしょう」 「そうね」  頷いた博之が、テディベアちゃんを膝に抱いた。 「私、ストーカーだったんです」 「……何それ?」  訳が分からず、私は聞き返した。 「ストーカーだったんです」 「……つまり?」 「ごめんなさい。変だってわかっているんですが、聞いてくれますか?」  神妙にうなずいて見せれば、博之は嬉しそうに笑って、テディベアちゃんを行儀よく膝上に載せた。  彼がストーカーをしていたのは、近所の女子大生だったという。  毎日、毎日、彼は女子大生がいつ起きて、いつ帰るかをじっと見つめていた。大量の写真、彼女の衣類、彼女の行動を記録した日記。  それらが、彼の部屋には詰め込まれていた。  でも博之は外側だけ見れば『大手銀行の有能な若手社員』というやつで、誰も彼がストーカーをしているなんて、気づいていなかったという。 「今思えば、完璧に病気。本当に犯罪者の思考でした」 「そう、ね……警察に言うべき案件よね、これ」  博之が頷く。 「そしたら、ある日、彼女が待ち構えてたんです」 「えっ……」 「バレてたんですよ、ストーカーのこと」  しかしそこで、女子大生は思いがけない行動に出た。 「付き合いたいって、そう言われました」 「ストーカーされてたのに?」 「はい」 「……変わった人ね」  そこで博之は、切なそうに笑った。  女子大生……彼女が付き合いたいと言い出して、博之はそれを了承した。もしかしたらストーカーのことをバラされるかもしれない、そう思ったからだ。その時にはすっかり冷静になっていて、自分がとんでもないことをしていたと後悔していた。  けれど、警察に自首しようとする博之を、彼女は止めたという。 「警察に自首なんてしないで、って泣きつかれました」 「普通、ストーカーされてたら、怖がらない?」 「私もその時には、すっかり冷静になっていたので……そう思いました」  その不思議な彼女と博之の関係は、2年にわたり続いた。デートもしたし、泊りにもいった。男女の関係にもなり、やがて。  博之は、彼女の秘密に気が付いた。 「……彼女ね、虐待を受けてたんですよ」 「虐待……?」 「体じゃないです。精神的なものですよ。彼女のことは全部否定されて、一緒に育ったお兄さんばかり、家族が褒めているんです。そんな中で、私が彼女のことをじっと、じっと見ていた。それを、あの子は『自分のことだけを見てくれた』って……」  何とも言えない感情に、口の中のトマトとチーズのピンチョスが変な味になる。  それから博之は、彼女が家族から離れられるように尽力した。やがて彼女を受け入れてくれる施設が見つかり、彼女もそこへ行くことを了承した。そのころには博之は、彼女とは付き合うのをやめることを決めていたという。 「ストーカーから始まった関係でしたよ。でもね……彼女には幸せになって欲しくなった、これから先を生きてほしかった。それなら、私とは別れるのが最善だと思いました。だってお互いに、いつ『ストーカーだったと自首するか不安』なんですから」  彼女も『別れる』という提案に、頷いた。今の彼女は家族から離れて生きていくために、必死だった。必死になっている自分を感じて、彼女はもう、博之が傍にいなくても大丈夫だと気が付いた。  最後にあった日、代わりに、と、このテディべアをくれたという。 「自分だと思って、そう言われました。この前もらった手紙だと、就職先も決まって、1人でも暮らせるようになったそうです」 「そう……すごいじゃない」 「でも、ストーカーでしたから」  博之は、そう言って笑った。  彼はきっとその1点を、自分で自分に赦せていないんだろう。 「……そういうのを『真実の愛』っていうのよね」  思わずつぶやいた私に、博之は何も言わなかった。  後輩と彼氏の恋愛が、彼の言う通り『本当の愛』だったのかどうかは、私には分からない。  でもそれなら、たとえストーカーで始まったとしても、最後には『別れる』と決めて、そして『幸せになって』と送り出せた博之の方が、愛情深いと思えてならなかった。 「パック、外さなくていいんですか?」  ふいに博之に尋ねられて、ぱっ、と時計を見る。 「本当だ!」 「……彼女が言ってたんですよ、パックは時間通りって」 「へぇ?」 「私に見られてるって気が付いて、肌の手入れを始めたそうですよ」 「……もしかして博之の肌が綺麗なのって」  頷いた博之は、自慢げに『彼女の受け売りです』と言うのだった。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!