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後発。
それから。
旅行も7日目になり、私たちはバルセロナから東京へ帰るべく、飛行機を待っていた。
空港に行き交う人の波を眺めながら、私は頬にできたニキビをつんつんと触りそうになり、ハッとした様子の博之に止められた。
「ダメですよ」
「流石に、暴飲暴食が過ぎたわね……」
「でも魅力的ですよ」
「ええっ、そう?」
「……ほら、見てください」
そう言った博之が、私にスマホの画面を見せた。出発の時の飛行機で、私がテディベアを抱っこしている様子を撮ったものだ。泣きはらした真っ黒な目元に、肌荒れで赤い頬。
そして画面が一瞬暗くなり、私の今の顔がぼんやり写る。
泣きはらした黒い目元は消えて、涙で出来た肌荒れは日焼けに変わった。
博之は、真剣な顔で言う。
「綺麗になりましたよ。この1番最初の写真より、ずっと」
博之が笑う。私も、笑い返した。ほっぺたを指さして、言い返す。
「でも、ほら見て。大人ニキビよ?」
「大丈夫。赤色だから、ちゃんと殺菌効果のある化粧水使ってケアしてけば治ります」
それも彼女さんからの受け売りなんだろうか。妙に詳しいし、具体的なのが面白くて、思わず笑ってしまった。
「ありがとう。そうする」
博之はやっぱりぬいぐるみを取り出して、窓の外を見せてあげている。可愛らしいテディベアは、ふわふわと揺れながら、つぶらな瞳で外を見ていた。私の顔も、その少し上に写っていた。
帰宅したら私はきっと、博之が言う様にニキビのケアをすると思う。綺麗な肌になって、毛穴も埋まって、マドリードの日差しに焼かれた思い出も消えていく。
私も博之も、連絡先を交換してはいない。しよう、とも思わない。私たちは一緒に旅をしたけれど、本当はずっと1人旅をしていた。まるでお互いが鏡のようになって、深く、ふかく、自分を見ていたんだと思う。
別れたあいつのために流した涙は、日焼けのケアで消えていく。
博之が抱いた愛情は、ぬいぐるみが吸いこんで、優しく失わせていくんだろう。
そしてきっと、彼は、自首をしないだろう。
生きていてほしい『彼女』のために、全てを黙り込むだろう。
それがどんなに自分を傷つけ、苦しめても、本当に罪を犯したと分かり切っていても、きっと黙り続けるんだろう。
それが正しいかどうかは、私には、決めようがない。
ツアーコンダクターが飛行機が来たことを知らせて、手を振った。
私と博之は一緒に立ち上がり、そちらへ向けて歩き出すのだった。
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