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その日の試験が終わり、暑さで溶けそうになりながら2号館に飛び込んだ。
都心のキャンパスの為か、建物間の移動距離は短いが、その刹那にも汗は滝のように流れる。
節電のせいでエレベータにも熱気が篭っており、寝不足の身体は立ってるだけで辛い。
降って湧いた調査に勉強時間が不足し、今期の幾つかの試験は、徹夜で勉強することになった。
今夜も学科の友だちに飲みに行こうと誘われていたが、到底行けるような体調では無かった。
苦渋の末に飲みを断ったが、どうやら正解だったようだ。ーー……身体は寝不足と暑さが相まって、熱中症気味だった。
せめて何か飲む物をと、このキャンパス砂漠のオアシスへと、足を進めていた。
17階に着くと早足に南側の奥の部屋へと向かう。
1702号室。
扉を開けようとした時、自分が開ける前にドアノブが回った。
驚きたたらを踏んでいると、長い黒髪を後ろで一括りにした男が、ドアから顔を出した。
長いこと部屋に居たのだろうか、顔は涼しげで、汗の一条すら見えない。外の暑さの片鱗も感じられなかった。
「試験終わったのか?」
端正な顔を、口以外は微細も動かさず、長髪の男が言った。
返事をしたいところだったが、暑さに耐え切れず、先に男の開いたドアの脇をすり抜ける。
応接椅子の中でも、一番クーラーに近いポイントに陣取った。
「……あとは、提出課題のレポートだけです」
「あー疲れた」と続けながら、襟を揺らし、服に風を入れつつ、疲労で背もたれにずるずると身体を預けた。
ふと気になって、そこから奥を覗くと、部屋を区切る大きな本棚の向こうで、いつもは机に向かっている影が無い。
「教授は?」
背後の男にそう尋ねると、男はドアから出ようしていた足を止め、こちらにちらりと視線を寄越した。
「フィールドワーク合宿の打ち合わせ」
「今年もやるんですね。場所は?」
「……新潟だってよ」
「いつもの場所ですか。行くんですか?」
「……まぁ、行くな」
その返答が、些かひっかかる。
何処がどう変だ、と表現はできないが、彼の言葉は歯切れが悪かった。何かネガティヴなことでもあるかのようだ。
だが、それ以上追及する気もなく、
「有松研究室所属でも無いのに大変だぁ」
他人事のように言った。
椅子に仰け反るようにして喘いでいると、男はボソリと何か呟いた。
聞き取れなかったため、「え?」と顔を上げる。
ところが、男はそれには答えない。
背を向け手を振りながら、
「歩きやすい靴用意しておけよ」
と言い、歩みを進めようとした。
その服装に目を留めると、違和感を感じた。
「どっか行っちゃうんですか?」
てっきり飲み物でも買いに行くかと思っていたが、男は軽装ではなく、いつも愛用している小振りのバックパックを提げていた。
「次の時間、TAなんだよ」
男はこちらを一瞥すると、にべもなく歩き去った。
途端詰まらなくなり、残された自分の足元に目線を落とす。
気に入ってよく履いている、革靴。
これではダメなのだろうか。
しんと静まり返る研究室で、歩きやすい靴について、一人ぼんやり考えた。
そんなでくの坊のような自分に嫌気がさし、溜息を吐きつつ勢い込んで立ち上がると、この研究室の主である、教授の冷蔵庫の前へ歩みを進める。
教授が好んでいる冷たいハーブティーを拝借しようと冷蔵庫を開けた。
と、教授らしからぬ飲み物が、冷蔵庫のサイドポケットに鎮座していた。
黒褐色の中でゆっくり上がる気泡を見つつ、「珍しいことがあるもんだ」とラベルを見る。
赤いそのラベルに、見慣れた熊の付箋が貼ってあった。
この付箋を、誰から貰ったのか、それとも彼自身が買ったのかは知らない。けれど、最近気に入ってあの朴念仁がよく使っているものだった。
『適度に寝ろよ』と書かれたそれを見ると、自然と笑みが溢れた。
「素直じゃ無いなぁ〜」
そうひとりごちて、サイドポケットからそれを取り上げる。
再び椅子を1つ占拠すると、付箋をとりあえず手帳に挟み、ペットボトルのキャップを捻った。
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