金無しでトルコへ

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金無しでトルコへ

ある旅の日記  アナトーリー・ヴラーソフ(サマリー翻訳、著作者の承認獲得積み) トルコで過ごした三週間に亘ってシャワーを一回も浴びたことがない。地中海に潜れたのも2週間後の事。 リュックが重く、古いチャリンコが頻繁に壊れ、数時間かけて修理したり、じりじり進んでいた。雨でびしょ濡れになったり、夜はテントの中で寒がり、偶に失望するに至った。しかし、どこかの時点で苦しみに慣れ、苦しさに激励されるようになった。。。 この旅自体は2001年の時だったが、最近結婚し、大好きな妻にその時のストーリーを語りたくて13年前の日記を取り出し、この本に纏めて見た。日記だからあることが繰り返されたりするが、   読者さん、ご容赦下さい。 一人で行っても良かったが、知り合いのアントン君を誘ったら道連れになってくれた。金がなかったので4週間分の食材とテントを背中に自転車で動く旅であった。食材といえば、蕎麦、米、缶詰、バター、クッキー、コンソメスープ、砂糖、茶等がぎっしりとリュックに詰め込まれた。非常に重かった! リュックが重かったので我々の古い自転車が頻繁に壊れていた。 10月10日にペンザ市を出発した。駅まで見送ってくれた友達が私のリュックを持ち上げてみたが、目が丸くなって、顎が垂れた。 列車でソーチ市(ソーチオリンピックのあの「ソーチ」-翻訳者のリマーク)まで行って、そこからフェーリーでトルコのTrabzon市に渡る予定だったが、秋にはイスタンブールまでしか通わないと分かり、仕様がなくイスタンブールまでの切符を買った。後になって意識したが、Trabzonまで行くとなれば南下がりの山道で我々の自転車が恐らくサバイバル出来なかったと思う。そういう意味ではイスタンブルまでとなったお陰である程度助かったと言える。  フェーリーの出発が翌日だったので黒海でちょっと泳いで、携帯ストーブで初の「旅飯」を作った。夜はサイクリングの先生がサイクリングクラブの地下室で泊めてくれた。 翌日に無事にフェーリーに乗れた。「フェーリー」といっても小型の寂れたエンジンボートだ。我々以外に乗客として乗ってきたのはモーターバイクで旅行していたスイスのカップルだった。
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