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「今、開けますね」
「……あぁ。頼む」
立川は制服のポケットから部室の鍵を取り出して、扉の施錠を解く。立川によって開かれた扉の先には昨日までと何も変わらない写真部の風景がそこにはあった。
「この部室で皆沢先輩と会えることは、もうないんですね……」
「そうだな……」
立川の言う通り、この部室で皆沢先輩と会うことはないだろう。
俺と皆沢先輩とがそうであったように、短くはあるものの立川と皆沢先輩にとってもこの部室は思い入れの深い場所であろう。それこそ、二人が結ばれた場所はこの部室である。下手したら俺なんかよりも立川たちにとってこの部室の思い出は深いのかもしれない。
「とっとと、始めるぞ」
「そうですね」
俺たちは卒業式で使用したカメラを机の上に取り出して、データをパソコンへと転送する。
「小室先輩どのくらい撮りましたか?」
「どうだろうな。まぁ、数えられないほどには撮ったかな」
「まぁ、そうですよね」
「そういう立川はどのくらい撮ったんだ。三笠と同じでほとんどまともに撮れたものがありませんでしたってのはなしだぞ?」
「そんなことないですよ。きっと見てもらえればわかります。もう少し待ってくださいね」
パソコンの画面ではカメラで撮った写真がデータとしてパソコンへと転送されており、ほどなくして、転送が完了した。立川の操作によって立川が撮影した写真が画面に映し出される。
「うまく撮れてるじゃないか」
「ありがとうございます」
立川は俺と同じで趣味としてこの部活に入り写真を撮り始めていた。いい意味でも悪い意味でも、固定概念にとらわれず自由奔放に写真と撮っていた。そんな撮り方を皆沢先輩も特に批判することはなく、むしろ楽しんでいるかのようだった。その分写真には立川という人間らしさのようなものも垣間見えていた。
「これなんか、うまく撮れていませんか?」
「本当だな。卒業式で涙する卒業生って意味では満点だな」
「そうでしょう。じゃあこれは採用ですね!」
「ダメだ」
「えぇ?! どうしてですか?」
「確かに卒業式で涙する学生ってのは絵になる。甲子園で負けた選手みたいに。でも、よく考えてみろ。一年。十年経った時にそんな写真を撮られた本人が見た時どう思うか。俺だったら恥ずかしくて見てられないな」
思い出というのは曖昧な中でこそ美化される。そして、その思い出の中に自分の顔というのはほとんど存在しない。あるのは記憶の中にいる自分という存在。だから、写真なんかではっきりと記憶の中の自分の姿を見せられるのは耐えられないのだ。「こんな顔をしてたんだ」と思うのが大抵の人の感情だろう。
「そんなもんですかね……」
「小さい頃に泣いている写真とかを笑いながら見せてくる両親とか、親族がいなかったか?」
「あ〜。いましたね……」
「どうだった?」
「嫌でしたね……」
「まぁ、そういうことだ」
「でも、それだと泣いていない人の写真ってことですか?」
「いや、別に泣いている人の写真が悪いってわけじゃない。問題なのはカメラが捉えている人だ」
「カメラがとらえている人?」
「そうそう」
自分のカメラのデータをパソコンに送る工程を加えながら、画面に展開されている立川が撮影した写真から一つの写真を探し当てる。
「これなんかはいい」
開いた写真には多くの卒業生の写真が写っており、その中には涙するもの。下を向いているもの。隣を見ているもの。様々な生徒が映し出されていた。
「あくまで人物ではなく、情景として人を映し出しているこの写真なんかがいいんだ。この写真だと自分が写っていても、その瞬間にいた一部であり、全てではない。卒業を迎える生徒に過ぎないのだから」
「なるほど、勉強になります」
「もっともらしいこと言っているが、俺も独学の類だ。あまり、気にしないほうがいいかもしれないぞ」
「いえ、自分も小室先輩の写真好きですし。それに、そもそもこの写真部のモットーもそんな感じじゃないですか」
「それもそうだな」
たわいない会話をしながらマウスを使って画面をスクロールしていると、ある人物の写真が何枚も映し出されていた。
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