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「夕飯なら六時と女将さんに聞いてますよ? もし都合悪ければ、その時、お伝えしています」
物盗りというわけでもないだろうし、彼もまた、どうせ父さんのことが気になって様子を見にきたのだろう……この狼狽ぶりをみると、「あなた、今、部屋の中覗いてたでしょう?」と直球で問い詰めるのもかわいそうだったので、僕は彼に話を合わせると、穏やかにその無礼極まりない行為を批判してやった。
「そ、そうですよ……し、失礼しましたあぁあぁぁ~!」
嘘のバレてるのがわかつたのであろうか、彼は叫ぶようにして謝ると、這う這うの体で僕の前から逃げてゆく。
けっこうな小心者らしいが、だったらこんなことしなきゃいいのにと思ったりもする。まったく、庭や温泉は申し分ないが、この宿は従業員の教育がなっていないようだ。
こんなこともあるから、やはり父さんには僕がついていなくては駄目なのだ。
「待たせたね、父さん。一人にしちゃってごめんね。テレビも飽きたろうし、庭でも見に行こうか?」
鍵を開けて部屋へはいると、やはり父さんは僕の点けたテレビをチャンネルも変えぬまま、ただ黙ってぼうっと眺めていた。
こんなことではよりいっそう惚けが進んでしまう。僕は父さんに声をかけると、夕飯までの空いた時間、先程の見事な庭を二人で見て過ごすことにした。
もちろん、父さんは人目を嫌うので再び覆面とミトンの手袋を着け、歩けないので僕が負ぶってである。
「どう、父さん? 綺麗な庭でしょう? ちょっと座って夕涼みでもしようか?」
回遊式庭園なので、築山に登ったり、池にかかった石の橋を渡ったり、一通りぐるっと廻った後、ちょうど置かれていた休憩用の椅子に、父さんも下ろして二人して座ってみた。
この庭の風情を壊さぬようにとの配慮だろう、円筒形をした陶器製の趣のある椅子なのだが、父さんは関節が固まっているし、背中も丸まっているので座らせるのになかなか苦労した。
バランスよく座らせないと、ころんと転がって地面に倒れてしまう。
そうしてしばらくあくせくしていると、気づけば他の宿泊客達も姿を見せていて、僕らの様子を訝しげにじっと覗っていた。
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