決意

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お父さん、ありがとうね。日曜日の昼下がり、私以外の息を飲む音が聞こえた。投げ掛けた少し丸まった背中はゆっくりと直線を取り戻し振り向いた。いつもより深く刻んだ目尻と口元のシワは、共に過ごした時間の長さを感じさせる。 「優子、、、どうしたの。突然。」 「うぅん、今日父の日でしょ。ちゃんと言っとこうと思って。」 そう言うことかと頷きながらも、こちらこそありがとうと言った表情はなぜか曇り始めた。その様子にお父さんこそどうしたのかと聞いても黙ってこちらを見つめるだけだ。カチッカチッと一定のリズムが不安を煽ってくる。それでも我慢強く待てば、ぽつりぽつりと話始めた。 「こうやってありがとうって言ってもらえて嬉しい。うん、有難い。俺は、、、仕事は必死にやってきた。仕事自体も好きだったし何より家族がいるんだ、当然だよ。でも今は時間に余裕ができて家にいる時間がほとんどだ。それで考えるようになった。優子に言ってもらえるような父親でいられただろうかって。」 突然の彼の思わぬ言葉に、優子は黙って続きを待った。 子供の成長は早いとはいえ自立するまでには何年もあるはずなのに、寝顔を見ているうちにあっという間に親元を離れていった。それに気づいたときには、小さかった子供たちはもう居なかったのだ。それでも子供との間に溝が生まれなかったのは、子供の話をしてくれる夫婦の時間があったからで今では感謝しかない。 自分だけならとうに子供との関係が破綻していただろう。そんな自分に向けられた感謝の言葉にドキッとしたのだと真司は言った。 「お茶いれるけど飲む?」 頷いた姿を見て二人分の湯飲み、急須、少しの羊羮をカチャカチャと用意して真司の隣に腰を下ろした。 「はい、お父さん。」 ありがとう、と置かれたお茶を啜る真司に優子は話を始めた。 「今日、父の日にきちんとありがとうって言ったのはね、本当に感謝してるからなの。真司さん。」 真横に座る優子から親となってからはほぼなかった名前で呼ばれた。久しぶりに優子の声で響く自分の名前の心地よさに驚き、年甲斐もなく胸が高鳴った。そうとは知らずに優子は続けた。 「さっき父親としていられたのかって言ってたけど、真司さんはずっと父親だったわ。子供が出来たら喜んで産まれたら泣いてたのを今でも覚えてる。一緒に親になってくれた。確かにいつも仕事で忙しかったから子供達との時間が短かったとは思う。居て欲しい時になんでいつも居ないのって思う時もたくさんあった。だけどね、仕事後でも私から子供達の話を聞いたり、寝顔を見て微笑んでいたりするなんて最高の父親という以外に何者でもないのよ。あの子達のお父さんになってくれて、真司さん、本当にありがとう。」 優子の言葉に胸につかえていた罪悪感のような後悔のような何かがとれたような気がして、こんな歳になっても泣きたくなるんだなと目を閉じた。 カタッと音がしてすぐに目を開ければ、ふふっとこれも見てと少し洒落た封筒を差し出してきた。真司は両面に何も書かれていない事を確認し、封を開け中に入っていた紙を取り出した。 『父さん、今日は父の日だね。まずはありがとう。とうとう兄弟全員が社会に出た事で、別の角度からも父さんの凄さを感じる事が出来ました。前にも言ったけど、改めて本当にお疲れ様。ありがとう。これからは家で母さんとゆっくりしてな。俺達もたまには帰るから。体には気をつけて。これからもよろしくお願いします。 p.s.封筒の中ちゃんと見てな。 楽しんで。 優樹 真樹 樹里 』 書かれていた通り封筒をきちんと確認すれば、なにか紙が入っているようだった。取り出したその紙には今日の日付と、優子と行きたいと目星をつけていたホテル名が書いてありディナーチケットだとすぐにわかった。 「あいつら、やるな。」チケットを手に項垂れた真司だったがすぐに顔をあげた。 「優子、今日ディナーに誘ってもいいかな。」 「あの子達に感謝しなくちゃね。デート、楽しみね。」とふふっと笑う優子が側にいる。 こんなの俺ばかりが幸せだと思った時、私達は幸せ者ねと呟く彼女によって心が満たされた。 「ああ、本当にな。ありがとう。」 早く準備しなくちゃと歩き出す強く素敵な妻を、 どんどん大人になっていく我が子達を、 大切にしようと父の日に真司は改めて決意した。
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