ニキビとオネエ

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ニキビとオネエ

「今ならいけるかもしれないって思った私がバカだったのよ〜」  私は神谷先輩の胸でおいおいと泣いた。  泣いたと言っても、すでに涙は昨夜の段階で枯れ果てている。 「はいはい」  神谷先輩が私の頭を撫でてくれ、少しだけ落ち着いてきた。 「酔った勢いであんなことするんじゃなかった〜」 「私も酔ったままの美佐子を置いていくべきではなかったわ」  休憩時間だというのに、愚痴に付き合ってくれる神谷先輩はイケメンOLである。 「あら、こんなところで何をやってるのよ」 「あ、尾根課長」 「尾根課長〜」  こんなところとは会社の給湯室で、その入口から、男物スーツを華麗に着こなした尾根課長が、覗き込みながら話しかけてきた。  仕事から私生活の相談まで、尾根課長は何でもござれの頼れるオネエさんだ。 「ちょっと本当にどうしたのよ。あなた化粧もしてないじゃない」  尾根課長が給湯室に入ってきて、私の顔に鋭く気付く。  ショックが強すぎてなかなか寝付けず、寝坊して化粧をする時間もなかったのだ。  目が腫れなかったのは不幸中の幸いだった。 「昨日、我が部署と営業との合同企画が終わって、お疲れ様会をやりまして」  ボロボロの私に代わって神谷先輩が説明してくれる。 「ああ、あのデスマーチ進行だったやつね。よく飲みに行く気力があったわね」 「そこは終わった嬉しさに全員がハイになってまして。ヨレヨレの格好のまま居酒屋に行って、それで盛り上がったのは良かったのですが、美佐子がかなり酔っぱらってしまい、帰り道で勢い余ってやらかしたそうなんです」  だいぶ落ち着いてきたので、そこからは私が話を引き継ぐ。 「憧れだった営業の池山さんとたまたま帰り道が同じになって、企画は大変だったけど、終わりだと思うと寂しいねなんて言われて良い雰囲気だなとか思っちゃいまして……。告白するなら今しかない! と酔った頭では正常な判断も出来ず、そのまま好きですと……」  デスマーチあけのヘロヘロのみっともない姿とか最悪のタイミング過ぎて、飲み過ぎた自分を殴りたい。 「結果は……、聞かなくても分かるわね」 「はい。断られました。しかも、理由がニキビが多すぎる人はちょっとって」  これが一番、堪えた。  確かに、この企画が始まって忙しくて、まともなお手入れが出来ず、ニキビが増えていた。  久しぶりのニキビに慌てて対処したけど、何故かニキビは消えなくて、悩んでいた。  そんな気にしている部分を指摘されるなんて、しかもそれを好きな人に言われるなんて、死んでしまいたい。  今、思い出しても落ち込んできて、私は俯いてしまう。 「それは……。最悪だったわね」  頭が触られた感触がした。  尾根課長が撫でてくれているようだ。 「ありがとうございます……」  尾根課長に優しくされて、荒んだ心が癒されるのを感じる。 「そうね。ニキビが原因なら、ニキビをどうにかしちゃいましょ!」  尾根課長の提案に、私は驚いて顔を上げた。 「で、でもどうしても治らなくて、無理だと思うんですけど」 「そんなことないわ! 私に任せなさい!」  尾根課長が胸を張って、自信満々に笑う。 「仕事が終わったら、またここに集合よ」  そう約束して、休憩時間は終わった。  終業時刻が過ぎ、私は再び給湯室に来ていた。 「今日はすっぴんでちょうど良かったわ。洗顔のおさらいをしましょ」 「おさらいですか?」  私はヘアバンドで前髪を上げて、オデコ丸出しスタイルだ。 「ニキビの原因は色々あるけれど、洗顔が理由だったりすることもあるのよ」 「洗ってるのに原因になるんですか?」  全然知らなかった。 「そうよぉ。で、まずは洗顔料は何を使っているのかしら?」 「中学生の頃から愛用しているものを使っています」  そう言うと、尾根課長は驚いた顔をした。 「ダメよ! 思春期の肌と大人の肌は違うの。今の肌質に合った洗顔料を使わないといけないのよ」  そうだったのか……。  初めて知る事実に驚いていると、尾根課長はため息を吐いた。 「これは鍛えがいがありそうね」  尾根課長にアゴを上げられて、切れ長の目が私の瞳を見つめてくる。 「私の指導にちゃんと付いてくるのよ」 「は、はい」  こんなに近くで誰かと顔を合わすのなんて初めてで、私の心臓が跳ね上がった。  それから、洗顔の仕方にもダメ出しされ、洗顔料は尾根課長がオススメするのを使うことになった。  帰りには一緒に食べに行き、食生活のアドバイスも受けた。  尾根課長の言うことを全て実行するのは大変だったけど、尾根課長が親身になって私のことを考えてくれてるのは分かっていたので、嬉しくて続けることが出来た。  ニキビなんて嫌だったのに、いつの間にか尾根課長とニキビについて話すのが楽しくなっていた。  そして、ニキビが良くなっている成果を、尾根課長に見せられるのが誇らしかった。  その報告に、笑う尾根課長をもっと見たくなった。  最近、キレイになった? ニキビが薄くなってるって神谷先輩に言われて、ニキビがなくなったらこの関係も終わることに気が付き、胸が苦しくなった。  私は池山さんへの告白がすでに過去となり、新しい気持ちの芽生えを感じ取っていた。 「なんだか元気がないみたいだけど、大丈夫?」  昼食に誘われ、カフェの席に着いてからそう尾根課長に聞かれた。 「大丈夫です」  私は尾根課長に笑顔を見せる。  今日はあの報告をするために気が重いだけだから。  私は意を決して、尾根課長に告げる。 「尾根課長。私、ニキビがなくなりました」 「あら、本当に?」 「はい。尾根課長のおかげです」  尾根課長はいつものように、私の好きな爽やかな笑みを見せてくれる。 「良かったわね」 「ありがとうございます」 「そっか……。ニキビが治ったのね……」  尾根課長が少し遠い目をしている。  今までの大変だった毎日でも思い出しているのだろうか? 「ということは、営業の池山にリベンジ出来るわね」 「そう、なんですけど……」  尾根課長にそう言われるのは、私との気持ちのキョリを感じて辛かった。  今日でニキビの繋がりもなくなる。  尾根課長は優しいから、会社では普通に話してくれるだろう。  けれど、特別な関わりがない私は、他の仕事仲間と同じ扱いになるのだ。  そんなのは……。 「嫌だ……」 「え? なあに?」  私は膨れ上がった心を押さえることが出来ず、こぼれ出していた。 「仕事の悩みでもないのに、真摯に受け止めてくれる尾根課長が大好きです。私なんかでも心を砕いてくれる尾根課長が大好きです。これからも一緒にいたいです。付き合ってください!」  言ってしまった。  尾根課長からの返答待ちの時間が、一生に思えるほど長く感じる。  尾根課長を見ていると、心臓が脈打ちすぎて痛かった。  けれど、お酒の力を借りて下を向いたまま結果を待っていた告白の時とは違い、ニキビがキレイになった自負が私の顔を上げさせた。 「もちろんよ。私は指導が終わったらはい終わりなんて薄情な人間じゃないんだからね? さっそく明日は休みだし、どこに行く?」  もちろんという言葉に、天高くまで気持ちが浮上したが、そのあとの軽すぎる言葉に違和感を覚える。  あれ?  これはもしや付き合う違いが発生している?  恋愛の付き合いじゃなくて、交友の付き合いになってる?  もしかしなくとも、私の気持ちが伝わってない?  私の返事を待ってにこりと笑う尾根課長に、さらなる勇気はふり絞れなかった。  断られてダメになるより、遊びに行ける関係の方が良いじゃない……。 「そうですね……。神谷先輩も誘って、ショッピングにでも……」  ガックリと項垂れる私は、尾根課長が近付いてくるのに気が付かなかった。  いきなり耳元で囁かれた声と息遣いに、背筋がゾクリとする。 「つれないな。明日はデートじゃないの?」  顔が真っ赤になるのを感じながら、耳を押さえて見た尾根課長は、イタズラが成功してニヤリと笑う今までで一番魅惑的な表情をしていた。  end
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