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「ちょーっと、ひ、と、や、す、みっ」  俺はうめくように言って、道路脇のアパートの外階段に親父を下した。ちょっと乱暴になってしまい、下した瞬間に親父が唸った気がした。が、俺もさすがにしんどくなっていたので、スルーした。  結局起きださない親父の横に、俺はドサリと腰を下ろした。 「さーっすがに疲れた」  両腕を伸ばし、背中を反って体をほぐす。家まであと3分の1くらい。  まったく起きる気配のない親父を横目で見たら、さすがにため息が出た。 「俺って、やさしー…」  どうやら親父は、俺の母親、つまり自分の妻のことをまだ好きらしい。  男と逃げたのかどうかは知らないけれど、どちらにせよ、出て行く理由も言わず、親父と俺を置いていった人のことを、まだ想っている。  肉体労働で体を酷使し、お酒に溺れる。考えたくないってことだろう。 (と、"シュウ"が言ってただけだけど)  冷静で頭はいいシュウが、そう親父を分析していた。俺にはピンとこないけれど、全面否定もできないし、そーかもしれないなーくらいで聞いた。  うちには母親の痕跡がまったくない。親父がまだ好きだというのなら、こっそり写真の一枚でも隠してるのではないか。そう思って、家中探し、酔って眠りこけている親父の身体検査もした。けれど、そんなものはなにもなかった。ここまできれいさっぱり何もないと、好き嫌いの前に、たんに思い出したくないだけではなかろうかと思えてくる。 「だけど思い出しちゃうから、お酒を飲む、と」  親父は母親のことを、そもそも話さないが、悪しざまに言ったことがない。口にしたくないほど恨んでいる、という気配も、どうにもない。  だからといって、それが、まだ想っているということの証明になるのだろうか。  わからんなー、と俺は階段に寄りかかり、軽く目を閉じた。  仲間の"パル"に頼めば、母親の情報を見つけることはできるだろうな、と思ってはいる。パルは、コンピューター関係にめっぽう強く、情報収集も得意だ。あちこちのサーバーに潜り込んで、探し出してくれるだろう。  今どこにいるのかとか、きっとわかるだろう。  ただ俺は、それを知りたいと思っていない。
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