はじまりのスイッチ

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ステージのそでのところで、こっそり深呼吸をする。 そろそろだ。 今、壇上にいるヤツの審査が終わったら、次は俺の番。 大丈夫、俺はきれいになった。 今日のために、あれやこれやと手を尽くしてきたのだ。 ちらりと審査員席を見る。 ──いた。 中学時代のチームメイト・嵯峨沢。 あいつに「10点」の札をあげさせるために、俺は今ここにいる。 だから、ワンピースの肩幅がきついとか、ふとももがスースーして頼りないとか、そんなことを気にしている場合じゃない。 「……ありがとうございました」 会場内から拍手がわき起こり、俺はこくんと息を呑んだ。 「つづきまして、エントリーナンバー13番……」 きた、俺の番だ。 スカートの布地がまとわりつくのを無視して、俺は大股で歩き出した。 X高校・第28回「ミスコン」のステージにあがるために。 きっかけは2ヶ月前。 中学時代に所属していたバスケ部の合宿に、顔を出したときのことだ。 そこで、嵯峨沢と再会した。 実に卒業以来のことなのだから、「よう、久しぶり」とても声をかけるべきだった。 なのに、俺は後退った。一年ぶりに履いたバッシュのかかとが、がつんとみっともなく壁に当たった。 身長184センチが近づいてくる。 いや、これは中学時代の情報だから、今はもっと伸びているのかも。 やつが立ち止まるまであと一歩──のところで、俺はようやく手をあげた。 「よ、う」 やば、声かすれた。 なんでこんな怯んでるの、俺。 嵯峨沢は、じっと俺を見た。 特待生としてバスケの強豪校であるX高に進学したこいつと、バスケは中学でやめて、今はただ毎日ぼんやりと過ごしているばかりの俺。 そりゃ、青春の充実度というか経験値というか、そんなものがあまりにも違いすぎている。 でも、だからって……だからってさぁ。 久しぶりに会った元チームメイトに、こんな一言はないだろう? 「お前、そんな顔していたか?」 あのとき、周囲にいた連中はみんなゲラゲラ笑っていた。 「なんだ、ボケてるのか?」とか「もう里崎の顔を忘れたのか?」とか。 でも、俺は違った。 元ポイントガードとして、試合中に何度もあいつとアイコンタクトをとってきた俺は、あいつの言いたいことを正確に理解してしまった。 「そんな顔」──つまりは「覇気のない顔」。 自覚はあった。 バスケをあきらめて以来、俺の顔は日に日に変化していった。 だらしない。 やる気がない。 つまりは「覇気がない」──そんな顔。 おかげで、毎朝顔を洗うのが憂鬱になった。 当然だ。洗面所に立つたびに、変わってしまった「自分」と対面しなければいけないのだから。 でも、だからって、どうすればいい? わけあって、バスケはもうできない。 というか、スポーツ全般、ガチでやるのはたぶんもう無理。 じゃあ、何をすればいいんだ? 音楽? ゲーム? ユーチューバー? どれもピンとこなかった。 そうして、バスケをあきらめた隙間を埋められないまま夏休みが訪れて── 嵯峨沢の、あの一言をくらったわけだ。 どうにかしたい。 どうにか熱くなれるものを見つけ出したい。 ついでに、嵯峨沢にあの言葉を撤回させたい。 あの、いかにも「毎日充実しています」みたいなあいつの口から、もっと違う言葉を引き出したい── 転機が訪れたのは、姉さんが持っていた一枚のチラシだ。 「ミスコン? X高の?」 「そう。せっかく腕をふるうつもりだったのに、出場するはずだった子が『やっぱりやめる』って言いだしてさ」 姉は、昔からヘアメイクが好きで、俺はよく実験台にさせられていた。 おそろしい思い出だ。 特に、まぶたをピンクに塗られたのは、誰にも話せない黒歴史── 「そういえば、ミスコンの審査員にあんたの友達が選ばれてたよ」 「え、誰?」 「嵯峨沢って子」 思わず「はぁっ」って声が出た。 嵯峨沢が? あのバスケバカが? ミスコンの、審査員? 「なんで? どう考えても人選ミスだろ」 「そんなの私に言われても……」 まあ、目立つ子だからね、と姉は言った。 「バスケ部期待の星なんでしょ、彼」 「まあ……そうらしいけど」 「だからじゃない? 女子生徒からの推薦。そういう子が選ばれるみたいだし」 あーなるほど。あいつ、モテるもんな。 彼女、いたことなかったけど。 バスケのことで頭いっぱいすぎて。 「絶対ムリ。あいつに女子のきれいさをジャッジできるはずがない」 「女子だけじゃないけどね」 ──うん? 「男子も参加できるんだよねー、うちのミスコン」 ──ハイ? 姉いわく、昨今のいろいろな状況をかんがみて、X高では「ミスコンの参加者は男女問わずOK」ということらしい。 しかも「部外者大歓迎」ときた。 つまり、俺でも参加できる? その瞬間、カチ、とスイッチが入った。 ほんと、久しぶりじゃね? 俺の本気スイッチ。 「ミスコンで、嵯峨沢に10点出せてやる」── で、今度はあいつに違う言葉を言わせてやろうじゃないの。 というわけで、俺の「X高ミスコンへの道」がはじまった。 アドバイザーは、もちろん姉。 新たな黒歴史が増える可能性もあったが、俺ひとりで挑戦した場合のリスクと照らし合わせて、頭を下げることにした。 「だったら、まずは肌をととのえて」 ──うん? 「あんた、ちゃんと鏡を見てる? 有り得ないから。その顔」 姉は容赦なかった。 けれども、鏡に映った自分の顔は、もっと容赦ないものだった。 「やばいな、これ」 口のまわりと額ににきび、唇はガサガサで口内炎まで発見。 鼻の頭は、あぶらぎってベタベタ。 「まずはスキンケアからね。私、そんな顔にメイクしたくない」 うるせぇ、とは言えなかった。 そのとおりです。 こんな顔で申し訳ない。 というわけで、俺の「肌の手入れ」がはじまった。 洗顔剤は、姉さんが用意したものを使用。 他にも、その日食ったものと睡眠時間を毎日報告。 正直「面倒くせえ」と思わなくもなかった。 途中で放りだしたくなったことだって、何度もあった。 特にやばかったのが、スキンケアをはじめて1ヶ月目くらいのこと。 夕食前のおやつにコロッケを5個食ったことで、大喧嘩になったのだ。 「別に食べるなとは言わないけどさ! 油モノはもう少し控えてって言ったじゃん!」 「仕方ないだろ、腹が減ってたんだから!」 「だったら果物でも食べなよ」 「果物で腹がふくれるかよ!」 このときのケンカは翌日まで引きずって、ふてくされたまま俺は家を出た。 「絶対、今日の昼はカツ丼を食ってやる」 さらに別売りの唐揚げも買って、放課後はドーナツ店へ直行だ! でも、その決心は、朝の通学電車で潰えた。 同じ車両に、嵯峨沢の姿を見つけたからだ。 実は、X高と俺の通う高校はそう遠くはない。 だから、うちの生徒とX高の生徒は通学電車がよくかぶる。 通学中に嵯峨沢を見かけたのも──このときが初めてではない。 本当は、何度も見かけていた。 ただ、声をかけられなかっただけだ。 つり革につかまっているあいつのまっすぐな背中を見るたびに、今の自分とのどうしようもないへだたりを感じてしまうのだ。 わかっている。 こんなのは勝手な感情だ。 俺が、ひとりで壁を作っているだけなのだ。 でも──ダメなものはダメだ。 今の俺は、あいつとチームメイトだったころの俺じゃない。 『里崎』 試合中の、熱を帯びたあいつの声がよみがえる。 あいつがボールを望んだとき、「今だ」と手をあげ訴えかけてきたとき、きれいにパスを通すのが俺の役目だった。 俺は当たり前のようにあいつの隣にいたし、あいつだってそれを許していたはずだ。 なのに── (あんな言葉、もう二度と言われたくない) その日の夜、俺は姉さんに謝って、またアドバイスをもらうことにした。 洗面所の鏡を見るのが苦痛じゃなくなってきたのがその少しあとで、楽しみになってきたのはミスコンの一週間前。 そして、ミスコン当日── 俺は、用意してきた衣装とヅラをかぶり、姉にメイクをしてもらった。 男子の参加者は、意外と多かった。 ウケ狙いのヤツもいれば、ガチで勝ちにいっているヤツもいる。 でも、そんなことはどうだっていい。 俺はこのミスコンで優勝したいわけじゃないのだ。 (とにかく、嵯峨沢が「10点」を出しさえすれば) 自信はあった。 この数日、クラスの連中によく言われていたから。 「お前、最近キレイになった?」 なんだよ、男相手にキレイって。 そう笑ったけど、悪い気はしなかった。 だって、この2ヶ月、そうなれるように頑張ってきたんだから。 キレイ、ってつまりは努力の方向性が間違っていなかったってことだろ? 「エントリーナンバー13番……里崎さん」 名前を呼ばれて、俺は壇上へと向かう。 さあ、見ろ、嵯峨沢。 絶対お前に10点出させてやる── で、翌日。 俺は、ぼんやりと通学電車に乗っていた。 (あー終わった) やった……とりあえず、やりきった……はず……。 なのに、どうもすっきりしない。 ミスコンの結果は、出場者32人中14位。 で、肝心の嵯峨沢の点数は…… (有り得ないだろ、『見えませんでした』って) 壇上にあがって気づいたのは、照明がキツくて審査員席が見えないということ。 そのせいで、嵯峨沢を含めた審査員の点数がまったく確認できなかったのだ。 (なんだよ、このオチ) すげー不完全燃焼。 中学時代、念願だった全国大会の第一試合・開始わずか30秒で大ケガをして、バスケそのものをあきらめざるを得なくなったきとそっくりだ。 まったく、やってらんねーよ。 俺ってこういう星の下に生まれてきてるのかな。 (ああ、でも……) 点数が出るまでは楽しかった。 ていうか、点数以外のことは満足だ。 やっぱり本気スイッチが入ると楽しい。 どんなに大変でも、毎日が充実するから。 さすがに、これ以上「キレイ」を頑張るつもりはないけど。 (また何かはじめたいな) (本気になれそうな、新しい何かを……) と、どこからか視線を感じた。 顔をあげると、少し離れたところに嵯峨沢がいた。 しかも、こっちを見ている。 (あ……) 俺は、ひょいっと手をあげた。 かつて、あいつと同じコートにいたころのように。 嵯峨沢は、律儀にもこちらに移動してきた。 推定184センチ+αの長身を丸めて、他の乗客の間を縫うようにして。 偶然にも、俺のすぐ前のつり革は空いていた。 嵯峨沢の手は、もちろんその丸い円を捕まえる。 「おはよ。久しぶり……」 ああ、でも昨日ステージ上で顔を合わせたっけ。 嵯峨沢は、少し首を傾げた。 バスケのことしか頭にない特待生── だからこそ、こいつは他人の美醜に興味がないし、お世辞やひやかしの言葉を口にすることもない。 そんなこいつが、不思議そうにまばたきをした。 「お前、最近キレイになったか?」 「……ふえっ!?」 ──もしかして。 今、俺のなかで、新しい本気スイッチが入ったかもしれない。
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