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むかしむかし、あるところに木こりの一家が住んでおりました。一家はとても貧乏で、その日のパンを食べるのもやっとの生活を送っていました。お父さんは、毎日一生懸命木を切って働いていましたが、生活はちっとも楽にはなりませんでした。お母さんは、洗濯や料理をして家族を支えていましたが、一向に良くなる気配の無い毎日に嫌気がさしていました。
「あんた!!もうこんな生活続けてられないよ!一生この貧乏が続くのかい!?」
ところで、この一家には兄と妹の小さな兄妹がおりました。お兄ちゃんの名をヘンゼル、妹の名をグレーテルと言いました。二人は、毎日激しい言い争いをするお父さんとお母さんを物陰から、悲しそうに見つめていました。
「お兄ちゃん、パパとママ、また今日も喧嘩してるね。」
「しっ!!黙ってろ。余計なこと言うと、また殴られるぞ!」
二人の兄妹は、自分の家でもそろりそろりと歩き、両親に聞こえないようヒソヒソ声で話すのが、普通でした。なるべく見えないように、気づかれないようにふるまっていました。二人が自分がいるということを確かめられるのは、ただお互いの存在だけでした。二人には二人にしか分からない暗号がありました。眠るときはいつも手を握っていました。安心できるのは、両親を余計怒らせないように階段の下や戸棚の中に隠れているときだけでした。
「ねえお兄ちゃん、私たち、いつからこうなったのかな。」
不思議なことに、小さな兄妹には、幸せだったときの記憶がありました。着るものはつぎはぎだらけで、毎日固いパンに薄いスープを食べていましたが、それでも毎日お父さんとお母さんは笑い合っていました。ただ、いつからお父さんとお母さんが喧嘩するようになったのか、なぜ自分たちが殴られたり無視されたりするようになったのか、それが分からないままでした。兄妹の食事は一日一回だけ、朝起きたときに半分カビの生えたパンが部屋の外に置いてあるだけでした。ヘンゼルとグレーテルは、異常なほどやせ細っていました。お腹が空いて眠れない夜もありました。ひもじくて、自分の指をしゃぶっていることもありました。
ある日、二人が耳をそばだてていると、お父さんとお母さんがこんな会話をしているのが聞こえてきました。
「あんた、もうこんな暮らし限界だよ!いつになったら、私たちを楽に食べさせてくれるんだい!?」
「そうはいっても、最近世の中が上手くいってないんだ。仕方ないだろう。王様に収める税だって上がってるし、何よりあの恐ろしい黒死病が流行ってる。木材は売れないんだよ。俺たちは人里離れたところにいるだけで、せめて病気にはかからないですむんだ。それだけでも、ありがたいことだろう。」
「何を言ってるんだい!木材が売れないなら、せめて他のことでもして稼いだらどうだい!」
「そうすぐには上手くいかないよ、お前。今は大変でもまた良くなるときが来る。俺も実は、森の木を家具にして、街で売ったらどうかと思うんだ。まだ、切るだけで家具を作ったことは無いけどな。こんな時代だから、何とか新しい方法を考え出さないとな。」
物陰からじっと隠れて見ている二人は、お母さんが一変して、今まで見たこともない甘い声でお父さんに囁きかけ、きゅっと腕を触るのを見ました。
「あら、そんなこと考えてたの。もちろん、応援するわよ。でも、ねえ・・・とりあえず今の生活をしのがなくちゃならないし。それに、ねえ。言わなきゃいけないことがあるんだけど・・。」
「どうしたんだ、お前?」
お父さんは、お母さんの体を優しく包んで髪の毛を優しく撫でていました。二人ともヘンゼルとグレーテルに見られていることに気づく気配もありません。幼い兄と妹は、なぜだかこんな二人を見るのがとても嫌でした。
「私ねえ、赤ちゃんができちゃったみたいなんだよ・・・。だから、これからもっと大変になるの。」
「なんだって!!それは嬉しいよ!良かったなあ、俺も早く新しい仕事で稼げるように頑張るさ!!」
「パパ・・・!!」
「し、止めろ!!」
思わず父親に駆け寄ろうとしたグレーテルをヘンゼルが押しとどめました。ヘンゼルにはイヤな予感がしていました。グレーテルよりも少し余分に生きている分、そういったことを感じやすいのかもしれません。二人は、息をひそめてお父さんとお母さんの会話を観察し続けました。
「だからねえ、赤ん坊はずっと手がかかるでしょう。私も、お世話でかかりっきりになるし。とてもじゃないけど、今いる子どもを二人も面倒見る余裕は無いと思うの。」
「お前・・・、つまりどういうことだ?」
「ああもう、分かるでしょ?あの子たちをどこか山の中にでも連れ出して、捨ててきちゃってよ。最近、全然私にも懐かないし、食べるだけで何の役にも立ちやしないんだから。」
「そんな、あれは大事な子どもたちだぞ!!」
「まあ、そう言わずに考えてごらんよ・・・ね?」
お母さんは緑のらんらんと輝く美しい瞳でじっとお父さんの顔を覗き込みました。お父さんは、目を離すことができないようでした。まるで、メデゥーサの瞳に囚われたようにまるっきり動けなくなってしまったようでした。
「う・・うむ。まあ、お前の言う通りかもしれんな・・・。」
「そうこなくっちゃ!!じゃあ明日、あの子たちをピクニックにでも誘い出してごらんよ。あんたの言うことだったら聞くだろうからさ!」
「うん、分かったよ。お前。」
と言って、お父さんはお母さんの口に優しくキスをしました。ヘンゼルはグレーテルの泣き声が聞こえないように、しっかりと妹の口を押えていました。そして、自分だけは泣くまい、男の子だから、お兄ちゃんだから決して泣くまいとこらえていました。本当は、心の中で、大声で泣き叫びたい気分だったのですけれど。
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