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五分歩いて住宅街に戻ってくる。
手持無沙汰に空き缶をぶらぶらさせながら歩いた。みっともない思いを引きずりながら。
父母を交通事故で亡くした僕は住んでいた一軒家を売り払い、今は小さなアパートで暮らしている。
両親二人を同時に失い、呆然としている僕を支えてくれたのは早紀とその家族だった。感謝している。だから、幸せになってほしい。宏樹は申し分ない相手だ。
皆が天を仰ぐ夜。僕は地面を睨みながら暗い道を行く。
視界の端で何かが光った。
右手にある小さな路地にそれは転がっていた。掌ほどの大きさの金平糖のようなもの。それは光り輝いている。まるで星のようだ。
おもちゃだろうか。だが、その光はあまりに美しい。引き寄せられるように近づく。すると、そこから小さな声が聞こえた。
友達百人出来ますように!
聞き覚えのある子どもの声だった。
僕は息を呑む。これはさっき土手で聞いた願いだ。顔を上げると、点々とその星は転がっていた。
路地に足を踏み入れる。
星々はひとつずつ小さな声を放つ。
彼女が欲しい。
そんなありきたりな願い。
病床の父が快方に向かいますように。
そんな切実な願い。
僕はそれらに耳を澄ませた。
きらきらと輝く星々。その中に込められた願い。それはあまりに優しく、温かだった。
路地を抜けた先にも星は落ちていて、僕はそれに従い歩いた。
そして、アレに出会った。
電柱の後ろ。猫だろうか。そう思った。だが、違った。
確かに大きさは猫くらいだ。だが、その四肢は、人間の手足。前足二本が腕、後ろ足二本が脚。それを繋ぐのは楕円の体。身体の端から端まで、裂けた口。
僕は悲鳴を上げることもできなかった。
ソレは地面に転がった星を飲み込んだ。
「ウマイ、ウマイ!」
黒板を引っかいたような不快な声を上げる。僕の足は震えて動かない。
その一匹が声を上げたのを皮切りに、闇からソレらは這い出してきた。
一匹、二匹、五匹、十匹。
「ウマイ、ウマイ、ウマイ、ウマイ!」
けたたましい声が夜の住宅街に響く。
ソレらはありがたいことに星にしか興味がないようで、僕には目もくれない。襲われることはない。それがわかると、僕の足は動き出した。
この場から逃げ出したい。一刻も早く。
家までの最短距離。細い路地を通るショートカット。そこにも星々が落ちている。
「ウマイ!」
アレの声が聞こえた。
これらの星も喰われてしまうのだろうか。だが、今の僕にはどうでもよかった。
宏樹と共に幸せな人生を歩めますように。
その声を聞くまでは。
僕はとっさに早紀の声のする方へ走り出した。そして、ひときわ輝くオレンジの光を拾い上げ、割れないようにそっと手のひらで包み込んだ。
これだけは喰わせてはならない。使命感が僕を突き動かした。
アパートのきしむ階段を駆け上がり、ポケットから素早く鍵を取り出す。だが、こういう時に限って、なかなか鍵がささらない。
「ウマイ、ウマイ!」
それの声が近づいてきている。やっと、扉が開いた。僕は部屋に飛び込んだ。
ワンルームの部屋で荒い息を上げる。
手には早紀の願いが光り輝いている。僕はほっと息をついた。
これだけは、誰にも奪わせやしない。
落ち着いてくると、腹が減ってきた。よくよく考えたら仕事から帰り、むしゃくしゃして飛び出したから、何も食べてない。
星をちゃぶ台の上に置き、冷蔵庫をあさろうと立ち上がる。
ドン、と窓から鈍い音がした。続けてドン、ドン、と。ドン、ドン、ドン、ドン。
カーテンを開ける。
無数の黒い人間の手足が窓に張り付いていた。そして、ソレはその裂けた口でニタァ、と笑った。
僕は早紀の星を手に持ち、ウエストポーチに詰め込んだ。
窓にはソレらがびっしり張り付いており、ガラスを破ろうと手足をばたつかせている。
長くはもたない。そう思った。
僕は部屋を飛び出した。鍵を閉めるのも忘れて、ソレらから逃げる。だが、飛びついてくる。背中に張り付いてくる。
「クソッ」
僕は悪態をついて、ソレらを引きはがし、地面に叩きつける。手にべっとりとヘドロのようなものがついた。だが、そんなことも気にしていられない。
ソレはどんどんと僕の周りに集まってくる。狙いはきっと早紀の星だ。
土手にはあれだけ人がいたというのに、辺りは閑散としている。誰もいないかのようだ。ただ、自分の足音と耳障りなアレの声が響くだけ。
地面に落ちている星の数は明らかに減っていた。アレらが喰ってしまったのだろう。
…ように。
声を聞いた。
早紀が、俺が、そして、涼真が幸せになれますように。
それは宏樹の声だった。目に涙が浮かぶ。
どうしてお前はそんなにいい奴なんだ。
僕の体はそちらに動いた。
口をあんぐりと開けたソレを蹴飛ばし、僕は緑に輝く宏樹の願いを拾い上げようとしゃがんだ。
その背に衝撃が走る。しがみつかれた。どんどんどんどん重みが増し、僕は耐えかね、地面に押しつぶされる。
早紀の星が入ったウエストポーチ。宏樹の星。二つを抱え込む。
ソレらがついに僕に噛みついてきた。腕に、背に、肩に、頭に。
懐に黒い腕がねじり込まれる。宏樹の星が、早紀の星が入ったウエストポーチが引きずり出される。
「やめろ!」
そんな言葉、ソレが聞くはずもなく。
二人の願いは真っ赤な口の中に消えた。
守り切れなかった。悔しさに歯を食いしばり、涙を零す。
それでもソレらは消えてくれない。
僕は自棄になって暴れまわる。だが、その数には敵わない。
ソレが頭に張り付く。
「イエ」
僕の耳元で言った。
「オマエ、ネガイ、イエ」
ソレらが何を欲してるのかを理解した。
「イエ、イエ、イエ、イエェェェ!」
やがてそれは大合唱になる。
耐えた。耐えたんだ。だが、全身に走る痛みと、肌が粟立つひどい音、そして、死ぬかもしれないという恐怖に僕は屈した。そして、願いを口にした。
早紀の願いは叶わなかった。宏樹の願いも。そして、勿論、僕の願いも。
アレはきっと願いを喰う存在。アレに喰われた願いは叶わないのだ。
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