13人が本棚に入れています
本棚に追加
ペルセウス座流星群と放射点
「やあ。間に合ったね」
光の速度を超えて。空間と時間を歪ませて、男と女が降り立ったその先では、ペガサスを操る青年が数々の小隕石を引き連れて鎮座していた。
どこか銀河の彼方から、鐘の音が響いていた。
「さあ、この小隕石に掴まっていて。もう時間がない、良く聞いて。
宇宙の塵と共に大気圏に入れば、その恒星は欠片も残さず燃え尽きて、魂は地上へと還るんだ」
男は歓びに打ち震えた。
──嗚呼。これで、願いが叶う……!
幾星霜、願い続けたことだろう。
それでも男にそれを実行する勇気などなかった。それ程に永遠の座は心地好い。肉体に左右されず悠久に存在することは、潮の満ち引きで出来た揺り籠で眠りに就くのに似ていた。時々みる妻の幻想を抱いて、男は甘んじてそれに身を委ねてきた。
男と女は顔を見れぬことを残念に思いながらも、その小隕石へと乗り込んだ。あとは待つだけだというペルセウスに、二人はほっと胸を撫で下ろす。
だが──、
「おっと、さすがは全知全能の妻。ダークマターの成す事は、やはり宇宙の法則が通用しないね」
星空のカーテンに、途轍もなく重いビー玉を投げつけたようにして現れた底の無いぬばたま。顔も何も無いただの真っ暗な穴が、突如として湧いて出た。強烈な重力を支配して、隕石が引きずられていく。存在する物すべてをただただ呑み込む永久の装置。物質最速を誇る光でさえ、脱出することすら困難な深淵が、自尊心を携え佇んでいた。
「まずい! 逃げろ‼︎」
ペルセウスがペガサスを棹立ちにして逃れる。事象の地平面は、はるか遠くにあっても、かの天体が持つ恐ろしさは未だ謎が多過ぎて、距離を取ることでしか身を守れない。
「嫌だ!」
「嫌よ!」
……彼らは従わない。悲しみの中で少しずつ固められた夫婦の決意はあまりに強く──そして深かった。
ズォズォと小隕石がいくつも呑み込まれていく中、女は一瞬眉根を寄せて悩み、その後には覚悟を秘めた瞳を湛えて、男の背から飛び出した。
「‼ なっ、何をっ⁈」︎
乗り込んだ小隕石の上で。
妻は腕を広げて夫を護る。
そして妻は、振り返って夫の姿を見た。
「会いたかったわ、貴方。
ずっと待っていたの。
本当に……会いたかった。
今夜を夢見て、此処まで来たわ。
今、やっと会えた……!
私、もう二度と、貴方と──‼︎」
女の躰が、恒星が、超新星爆発を起こすかのように眩く光る。美しく滑らかな柔肌の奥深くで重力収縮を起こし、白く瑞々しかった肌の表面に醜い亀裂が幾筋もはしっていった。
「やっ、やめるんだ!」
「ああ、なんて嬉しいのかしら。これでもう、貴方と離れないで済むのね……!」
迫る引力。のしかかる斥力。吸い込まれていく宇宙のさまざまな屑たち。彼らのしがみついた小隕石は速度を上げて、落ちながら引っぱられ、そして死に行こうとしていた。
「やめるんだ。お願いだ、やめてくれっ!」
乙女が祈るように崩壊していく。
男は崩れ行く星を押し留めんばかりに、女をしっかと抱き締めた。女も、最期、とばかりにひっしと抱き締め返した。
「こうすればきっと、貴方だけは助かるわ」
「やめてくれ頼むから! 俺はそんなこと望んじゃいない! 貴方も居ないと、意味がないんだっ!」
「嗚呼、貴方。私の貴方。私はそれでも……幸せでした」
一体何がどうなろうとしているのか。
忽然と現れたブラックホール、流星にならんと待機している隕石、何も知らず公転してくる惑星、終末を迎えようと核融合する恒星。それらが、同軸に犇めき合い、いま宇宙は混乱と混沌を極めている。
待ち望んだはずの抱擁は、だがしかし、別離をはらんで男と女を切なく燃やす。
「貴方を、心よりお慕いしております」
「やめろおおおおおっ‼︎」
鐘の音が聞こえる。
鐘の音が聴こえる。
星の訪れを告げる鐘。
刻一刻と近付いて。
流星群が降り注ぐ。
星よ、流れろ。
燃え尽きよ。
形ある命、その限り。
己が存在を知らしめよ!
「うわああああっ!」
「きゃああああっ⁉︎」
喰らわんとし、落ちんとし、引き寄せんとし、崩壊せんとし──
一度に多くの現象が重ならんとせんが刹那、太陽系銀河は音も無く、ただ燦燦とまばたきをしただけであった。
最初のコメントを投稿しよう!