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ともすると尻が座敷から落ちそうになる中、冬弥はぞぞっと蕎麦をすすった。
箸で麺をつまみ、みょーんと伸ばして猪口のつゆに先だけ浸し、すする。
彼のその動作は慣れたもので、吸い込む音も威勢がいい。
近くにいた客が、「旦那、食い方を分かってるねえ」と賛辞を送ってきた。
「外から心張り棒を外そうとしたら、骨の折れることだと思うんだよなあ」
しばらくもぐもぐと口を動かした後、冬弥はようやく己の考えを披露した。
運ばれてきた蕎麦には手を付けず、利吉は耳をそばだてる。
「格子窓でも付いていればやり方はあるだろうが、あの部屋には付いていないだろう。戸を開けようとすれば、蹴り倒すか障子を突き破るかだ」
ああ、と思わず声が漏れる。
「確かに、米さんとこの障子は破れちゃいないですね。年越しの前にみんなで張り替えたばっかですから、破れてればあっしも気に留めてやす」
「だろう? それに米介は、心張り棒が立て掛けられてあったと言っていた。ということは、無理やり外したわけではない。十中八九、内から開けられている」
「それがおちかさんだと」
「そうだ。そうとしか考えられんだろう。不審な点はまだあるぞ。もし外からの侵入だったとしたら、なぜ他の誰も知らないんだ? 知らないやつを見かけたら普通、誰かが見ているだろう。三度だぞ。内二度は、昼日中だ。なのに、女房連中の誰もそんなことは言っていなかった」
「長屋の連中の誰かなのかもしれねえんじゃ?」
だとしたら、うろついていても誰も疑わない。
しかし、冬弥は首を振った。
「もし長屋の誰かだったとしても、何度も別の部屋に入っていく他人は噂になるはずだろう。誰それが米介の部屋に入っていったのを見かけただなんだと、意見交換をしているはずだ」
利吉は黙り込んだ。
冬弥の言葉には、反論の余地がなかったのである。
筋の通ったその考えに納得しかけていた利吉だが、冬弥の推測はまだ終わっていなかった。
「最初に品が混じっていたとき、風呂敷の中から見つかったと言っていただろう。いつもは開けないが、その日に限って開けたと」
「へい」
「おちかもそれは想定外だったはずだ。いつもの米介の手順を知っていて、風呂敷を選んだんだろうからな」
「どういうことです?」
「米介がいつもの通り、おちかから風呂敷を渡されてそのまま納品しに行っていたとしたら、混じった品はそのまま受取人の目に止まったはずだ。三河屋が褒めるくらいのものだ、どこぞの受取人とて興味を持ったに違いない。おちかはそれを見越して、風呂敷に混ぜたのだろう」
だが、風呂敷は開けられた。
「分からんのはその後だ。おしぎと枕元なんて、あからさまが過ぎるだろう。初めは慎重に確実な線を狙ったくせに、なぜその後が雑なんだ」
分からん、と冬弥はあっさり投げ出し、再び蕎麦を口に運んだ。
ぞぞっという音をもって、彼の話は終わる。
利吉はまだ食べる気になれず、自分の膝に目を落として考えていた。
いつの間にか腹の虫もおとなしくなっている。
おちかを疑う理由は分かった。
話を聞けば、なるほどそうだろうと思わざるを得ない、綺麗な筋書きだ。
しかし、動機がさっぱり分からない。
そこで、独り立ちしていない半端者の見習いという線を思い出す。
「おちかさんに、間男でも?」
隣にいる冬弥にというより、ひとり言のつもりだった。
しかし冬弥はそれを聞きつける。
「俺もそう考えた。もしくは、今よりいい暮らしをしたくて、亭主より腕のいいやつの品を売りさばきたい、とかな。だが、おちかはそんな女子ではない」
「旦那に、おちかさんのことが分かるんで」
声が図らずも、低くなってしまう。
なぜ分かったような口を利けるんだ。
そんな不審が胸を尖らせ、尖りは口調を重くさせる。
知り合って数日のくせして、違うと断言できる根拠がどこにあるというのか。
付き合いの長い利吉の方が迷い、疑っている。
俺にはっきり分かってることといやあ、てめえの手足に指が五本ずつ付いてるってことぐれえなもんだってのに。
「分からん」
再びそう言って、冬弥は声を出さずに笑った。
その笑みはわさびのように、ぴりりと目に染みる。
「俺は新参者だしな。だが、俺の勘がなあ、これが結構当たるんだ」
「はあ」
思わず気の抜けた返事になる。
勘などという不確かこの上ない言葉で片付けられてしまったら、つんけんしてしまった己が恥ずかしくなるではないか。
気張っているのもばからしくなり、利吉もようやく箸を持った。
先だけつゆに浸した麺をすすり、口の中に広がる風味に思わず舌鼓を打つ。
つゆは味噌を土台にしているが、蕎麦本来の香りを殺すことなく絶妙に調和している。
うまい。
ふと、自分と冬弥の組み合わせが、周囲からどう見えているのか気になった。
侍と町人が二人で蕎麦を食べながら、真剣に話をしている。
一人は同心だとすぐに分かる格好だ。
まあ……十中八九、同心と岡っ引きだあな。
そう思うと、なんだか背中がむずむずした。
誰も咎めてなどいないだろうに、なぜだか後ろめたくなる。
しかし、冬弥はそんな利吉に気付かないようだった。
いつの間にかざるを空にしており、「おかわりでもしようか」などと呟いている。
利吉は慌てて残りの麺を、ごっそり蕎麦猪口に放り込んだ。
「そう慌てんでもいいぞ。ゆっくり食え」
利吉の背を叩く冬弥。
まったく、なんとくだけた侍だろう。
利吉は口いっぱいに頬張りながら首を横に振り、飲み込んでからもはっきり「いいえ」と拒んだ。
「さっさと解決しちまいやしょう。旦那もお暇じゃねえでしょうし」
「俺は暇だぞ」
暇でたまるか。
利吉は聞かなかったことにして、先を続けた。
「とにかく、長屋に戻っておちかに話を聞かねえとなりやせんね。寝込んでるところに押しかけるのは気が引けやすが」
「仕方あるまい。まあ、まずは米介をもう一度つついてからの方がよさそうだがな」
冬弥はそう言ってから、「馳走であった」と大仰に手を合わせた。
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