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――悔しい。悔しいわ。私は、どこまでもあいつに……!
「おい」
嘆き、どうにか死に抗いたいと願っていたマリアンヌの耳に。低く突き刺すような声が聞こえた。
え、と思えば。自分が油断する原因を作った――あの無力なはずの人間の少年が。未だに自分のドレスを掴んだまま、こちらを睨んでいる。
マリアンヌの力が尽きかけ、崩壊していく黒い世界。金色に包まれる視界で見えるのは、マリアンヌと目の前の少年だけだ。少女のように愛らしい顔をした長い銀髪の少年に、マリアンヌはかつて見たプリンセスの姿を幻視する。
――!
ああ、どうして、気づかなかったのか。
確かに数百年も前で、記憶が薄れていたのは事実。あの妖艶な娘が、よもや男性に転生しているなどとほとんど想定していなかったのも事実。でも。
自分を睨んでくる彼の顔には、確かに自分達が知る、忌まわしいエリオスの姫君の面影がある。その顔が今、ギラギラと殺意に満ちた眼でマリアンヌを睨んでくるのだ。
「良かったなあ、お前。あいつに殺して貰えてよ」
「え……」
「俺がやってたら、もっともっと酷いことになってたぜ?こんな楽になんか死なせてやらなかった、確実にな」
そして、そいつは。消えていくマリアンヌの耳元で、確かに囁いたのである。
「よくも私の愛する騎士を傷つけたな。ザインの民……絶対許しはしない。皆、揃って地獄に堕ちるがいい」
マリアンヌは思い出していた。あの戦いで、プリンセスがどのような末路を辿ったのかを。
多くのザインの民達には、“姫は皇帝の求婚を撥ね付けた結果拷問と陵辱を受け、惨殺された”としか知らされていないはずである。だが、実際前線に立っていたマリアンヌは知っているのだ。
姫はただ、無残に切り刻まれただけではない。その状態になるまでに散々自分達の部下をその膨大な魔力で殺し、手足の腱を斬られるまで獣のような抵抗を続けたのである。可憐な姫君の姿からは程遠い、殺意と狂気に満ちた姿だった。そして拷問され乱暴されても、その眼はけして絶望に沈んでなどいなかったのである。あの目は、隙さえあれば敵の喉笛を噛み切ってやらんとする手負いの狼そのもの。どれほど傷つけられても誇り高さを失わないどころか、敵をいかに残酷に殺してやるかを考え続ける女の眼はあまりにも恐ろしく――それが結果、姫への暴虐をより苛烈なものにしたと言っても過言ではない。
そう、プリンセス、なんて呼び方のせいで誤解されがちだが。
あの女は、そんな可愛らしい存在では断じてなかったのだ。愛する者を守るためなら、どんな手段も使う苛烈な魔女。腹を裂かれて胎児を殺されてなお、あの女の眼から復讐の焔が耐えることはなかったのである。
――ああ、お前が、お前があの時の、あの時の……!
思い出していた、あの時見たプリンセスのおぞましい眼を、恐怖を。
マリアンヌは絶望しながら、それ以上声を出すことも、自分達の本拠地に通信を送ることもできず――ゆっくりとその意識を、奈落の底に沈めていったのである。
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