取得資格~教員免許編~

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取得資格~教員免許編~

あおじは中高の社会科の教員免許を持っている。……というのは前につぶやきで言ったことがあると思う。 まぁ免許があっても採用試験に受からないと駄目だし、社会科の先生なんて需要ないらしいしね! それにあおじ自身先生になりたいとは今も昔も微塵も思っていない。 なら何故免許を取ったのか? となるのだが……“取れるから取った”に尽きる。 あおじが通っていた大学の、あおじの学科では教員の資格、図書館司書の資格、学芸員の資格、その3つが取れたと記憶している。 “折角大学に入ったのだから何か資格くらい取って卒業しとくか”みたいな気持ちで、考えた結果。 図書館司書→資格の講義の取り方が複雑 学芸員→学芸、員……??なにそれ? はい、教員に決定。 本当に教員になりたいと思っている学生は少なかったなぁ。 教員免許を取る為に、座学だけでは当然駄目で実習がある。 皆さんがよく知っているのは“教育実習”だと思われ。皆さんの学校にも“教育実習の先生”てのが来たんじゃなかろうか。 もしこれを読んでいる人で学生さんがいるなら、教育実習の先生に「どうして先生は先生になりたいの?」とは聞いてはならない。別になりたくないヤツもおるからな。 しかし、実習とはこの教育実習だけではない。メインは教育実習なのだが、他には、 “特別擁護支援学校での実習” “介護施設での実習” というものがある。 特別擁護支援学校は兎も角、介護施設での実習は何故? と思いました。最終日にカラオケで“故郷(ふるさと)”を歌わされた恥辱は今も忘れない。絶対に。※あおじis音痴 特別擁護支援学校と介護施設の実習はまぁまぁ楽しかった。 問題は教育実習。 教育実習はたいてい出身校に行くことが推奨されている。更にいうと、中高両方の教員免許が取りたい人は出身高校じゃなくて、出身中学に行くことをすすめらる。中学の方が実習期間が長いので沢山学べるだろうというのが理由。 あおじは出身中学に行ったのだが、散々だった。 まずあおじは地歴公民の先生になるだったのでどれにでも対応出来なくてはならなかったが……あおじは歴史学科。教えるならやっぱり歴史がいい。 大学の先生も「教育実習は、実習生のメンタルを保つために得意な分野をやらせてくれる」と言っていた。 が、地理。……地理だけはやめて。あおじは地理が出来なさ過ぎて捨ててた位で、中学時代なんざフツーに居残りしてたレヴェルですわ。 世界地図も日本地図も分かんねーし、地理用語もちんぷんかんぷん。 でもこれはちゃんと勉強していなかったあおじが悪いのでしゃーない。これはあおじが悪かった。 そして受け持ったクラスが40人位の2年生だったのが……なんと2年生は1クラスしかなく、担任の先生も1年生の頃から変わってないみたい。 担任の先生は体育顧問で、何事に対しても(ちょい)熱血みたいな先生だった。 生徒の方は、他の先生達が口を揃えて「2年生は鬼門。大人しいを通りすぎて覇気がない。打っても響かないから、理解しているか分からない。忘れ物も多いし、こちらの投げ掛けにも無反応。まぁその、頑張ってね、」という有り様。 担任と生徒の相性が悪すぎね? てか、1年生の頃からメンバーも担任も変わらないので、1年時に友達が出来なかった子がいつも一人ぼっちでいて、あおじにめちゃ懐いていなくならんでみたいなこと言ってたわ。 ちなみに授業は本当に無反応過ぎて心折れそうになったし、給食中も誰ひとりとして喋らないのであおじもどうしたらいいのか分からなかった。 大学では殆ど模擬授業はしなかった。でも教育実習先ではめちゃくちゃ授業させられた。 大学に戻って「え? こんなに授業したの? ……うわぁ、」と先生にドン引きされる位にした。他の人と比べたら突出してた(笑) 実習先で授業をする時は、教科の先生が後ろで見守って(?)いてくれるのだが──これも仕方ないことではあるが、その先生の身内にご不幸があったらしくあおじはポツンと一人残された。それも、特別支援学級に。 授業がない他の先生とかが来てくれるわけでもなく、あおじだけ。なのでかなりフランクな感じでやらせてもらって生徒とは仲良くなりましたが。あの時授業が一番楽しかった。 連絡先を教えてー! とか言われたけど、それはご法度。大学から駄目だとキツく言われてる。 大学側は実習に行く学生に 「実習させてもらっている身。理不尽なことがあってもたてつくな。そして“本当は先生にはならない”ということをバレてはならない。心象を悪くするから。そうしたら来年から受け入れ拒否をくらう。いいか? 分かったな」 ということを徹底していました。 なので、どうして先生になりたいの? とか、卒業後はどういう風にするの? という質問には当たり障りなく答えていた。が。 大学の先生が実習先の校長先生に挨拶しにくるというイベントがあり、あおじと一緒に実習へ来ていたいつもの友人のゼミの先生が来た。 あおじのゼミの先生は駄目。テキトーが服着て歩いてるようなヤツだから。 校長室であおじ、友人、ゼミ(せん)、実習先の校長というメンバーで話していたのだが……ゼミ先が言いおった。 「教員免許を卒業記念に取るだけって子が多い。先生にはならない。君たちもでしょ?」 ゼミ先以外、凍った。 いや、正直かーいっ!! うまいこと取り繕ったがそれからは針の筵。大学はなんてヤツを送り込んできたのか。刺客かよ。 そんなこんなで、丁度台風の時期でもあって最後の2日は早退やら休校で待機室でばかうけ食べながらだべるだけで終わった。休校の時は給食がないので先生方の車に乗り合わせて昼飯食いに行きましたわ。 以上は全てあおじが学生時代の頃の話で、今はどうかは分かりません。 小さな頃からの夢で、教師になりたいと本気で思っていた子も教育実習がトラウマになり夢を諦めるってのもあったみたいです。 “教育実習” が上手くいくか、いかないかが運命の分かれ道なのだ。 そして最後に。 うちの中学はあおじがいた頃から川柳が盛んで、実習に行った時にもまだそうだった。なので“川柳”という文字を校内で見たり書いたりすることが多かったが、2年生のクラス担任は“柳”の字を間違っていた。しかも「この学校の掲示板は全部“柳”の字が違う。俺の字が正しい。皆間違えるなよ」と生徒に言うのだから驚いた。 あおじも事を荒立てたくなくて黙っていたが、あの先生は今も間違え続けているのだろうか? おわり!
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