第一話

3/4
21人が本棚に入れています
本棚に追加
/27ページ
 先祖代々続く専業農家の次男として生まれてきた俺は、神様が何を間違えたのか、小さな頃から女の子の洋服を着たり、可愛い髪型がしたくてたまらない男の子だった。  子供のうちは、従姉の悦ちゃんが 『慎ぢゃんヘナ子(女の子)みたいにめんごい(可愛い)から似合う!』と髪を結んだり、スカートを履かせてくれるのを、両親も笑いながら見ていたが、小学生になり、おらもスカート履いで学校さ行ぎだぇと泣いた時、母が心底不快な表情を浮かべたのを、今でもはっきりと覚えている。  心配して父に相談したのだろう。  俺は父に『このたがらもの(馬鹿者)が!二度とへな()の格好がすてえなんて言うな!』と殴られこっ酷く叱られた。それでも、小学校低学年のうちは、中々男らしくできず、俺はすぐにクラスの奴らに『おがま!』といじめられるようになる。  そんな俺を、いつも庇い助けてくれたのが、5つ年上の兄、誠だったのだ。 『大丈夫、慎司は変でねよ。いずめられだらすぐおらに言うんだぞ!あんにゃ(お兄ちゃん)が助げでけっから!』  俺は物心ついた頃から優しい兄が大好きで、小さな頃の夢は、何の迷いもなくあんにゃのお嫁さん。  うちは農家だったから、土日は家族で遊園地や旅行にお出かけなんて滅多にできなかったけど、どんなに大変な農作業も、兄が一緒なら全然苦にならなかった。  でもだからこそ、クラスの奴らに 『兄貴もおめと同じおがまだ!きも兄弟!』と揶揄われるのが悔しくて、兄まで馬鹿にされてたまるか!と思った俺は、父に頼んで空手を習い、少しずつ男らしくなる努力を重ねていった。   おかげで中学生になる頃にはすっかり普通の男ぶりが板につき、おかまと揶揄されることはなくなったけど、あんにゃが好きだという気持ちは消えず、その想いはやがて、子供特有の純粋なものではなくなっていく。    田舎が嫌で都会に出ていく人間も多い中、兄は将来は家業を継ぐべく地元の高校から農業大学へ進学し、俺の本当の地獄が始まったのはここからだった。中学二年生の夏休み、兄が初めて彼女を家に連れてきたのだ。  照れくさそうに彼女を紹介する兄と、優しげに微笑み挨拶する彼女を無視して、俺はすぐさま自分の部屋に閉じこもった。彼女への羨望と嫉妬で、狂いそうなほど苦しくて、俺は半ばやけくそのように、兄が彼女を抱いている姿を想像しながら自慰に耽る。  果てた後、精液で濡れた掌を見つめ、俺はこの日、自分が異常であることを認識せざるおえなくなったのだ。  自分で自分が恐くなり、この世から消えてしまいたいと願うほど落ち込み続けていたある日、テレビのバラエティ番組で、女装したおかまタレントと呼ばれる人達が目に入ってくる。  彼ら(彼女達?)は、とても堂々と男が好きである事を公言し、皆に認められていて、幸せそうで、気付いたら俺は、涙を流し食い入るように彼らを見つめていた。 (俺もあそこに行きたい!たとえ普通の人達と違っていても、幸せに楽しく生きていけるあの場所へ…)  彼らのようになるには一体どうすればいいのか?田舎に住む無知な中学生なりに考え行き着いた方法は、東京へ行くこと。  田舎の人間は学歴や肩書きに弱い。いい高校に入って、都内の名の知れた大学に受かれば、親も東京へ行く事を許してくれるはずだ。  その日から、兄への想いを断ち切るように、俺は受験勉強に没頭し、努力の甲斐あって無事公立の進学校へ入学した。そこまでは、中々順調に東京行きの計画を進められていたし、家族の前でも、彼女が遊びに来ている時も、俺は少しブラコンながら、ごく普通の男を演じられていたと思う。  だけど、兄と彼女の付き合う年数が長くなり、なんの悪気もなく発せられる母の言葉を聞いているうちに、俺は不安に駆られ出す。 『賢ぐでいい子だす、美里ぢゃんがこのまま誠のお嫁さんになってくれたらいいんだげどね』  当時の俺は高校2年生で、兄は大学4年生。  田舎は早婚も珍しくなく、早ければ俺が高3の間に、二人は結婚してしまうかもしれない。  今までは、たまに家に来るだけだったからなんとか耐えることができた。でも、兄が結婚したら、俺は兄と彼女が幸せに暮らす姿を、すぐ近くで見ていなくてはいけなくなる。   結婚の具体的な話など出ていないのに一人焦りはじめた俺は、もうこれ以上普通の男や弟のふりをするのは限界だと、卒業を待たずに家出する決心をしたのだ。  せめて高校卒業してからにしろ、何て無知で浅はかなんだと、今の俺は、過去の自分の首根っこつかまえて説教してやりたくなる。  けどあの頃の俺は、心を殺していないと魂がすり減っていくような世界から、少しでも早く逃げ出したくて必死だった。  女の格好がしたくて、男が好きで、実の兄に抱かれたいと本気で願ってしまうような人間の居場所などここにはない。  だけど東京なら、あの有名な新宿二丁目なら、自分の居場所があるかもしれない。こんな俺でも、もしかしたら幸せになれるかもしれない。   俺は、テレビで見えている世界を鵜呑みにし、東京をまるで、夢の理想郷のように思ってしまったのだ。結果それは、正しくもあり、間違いでもあったのだけど…。  そして、18歳を迎えたばかりの高3の夏、家出決行の日。俺は家族に怪しまれないよう、いつものように農作業を手伝った後、予備校へ行く時間だからと皆より先に母屋に戻る。  書いておいた置き手紙を座卓に残し、自分の通帳と荷物を持って出て行こうとすると、なぜかその日に限って、一旦家に戻ってきた兄と鉢合わせし、お前何か隠すてんべと問い詰められた。  俺は観念し、自分は男しか好きになれない異常な人間だから、もうこの家にいることはできないと兄に告げる。 『慎司はおがすくなんかね。男好きだがらなんだっていうんだよ?うず()出で行ぐ必要なんてね』  兄は幼い頃と同じように、俺を否定せずそう言った。 『じゃあさ、あんにゃおらのこど抱げる?』  自分でもめちゃくちゃな質問だと思ったけど、俺はこの時、何も気づかず彼女と結婚し幸せに暮らしていくであろう兄に、憎しみにも似た感情を抱いた。  大好きでたまらないはずなのに、俺が出ていくのはお前のせいだと、困らせてやりたくなったのだ。でも兄は、俺の言葉を真っ直ぐに受け止め、清く正しい残酷な言葉で応える。 『それどこれどは違うべ?おらは慎司が女だったどすても抱がねよ。おめは大事な家族だがら』  男云々以前の問題。俺がこの人に愛される可能性は0。 『あんにゃ』  いつものように呼びかけて、俺は兄に不意打ちのキスをする。 『ざまあみろ!弟どキスすたおめも、これでおらと同類だ!』  固まる兄をじっと見つめ、俺はもう二度と会うことはないだろう兄に捨て台詞を吐く。 『おらはあんにゃのこと大好きだったよ。家族じゃなぐ、男どすで』  朴訥な男らしい見た目に似合わぬ柔らかい唇と、身体に染み付いた、太陽と土の混じった男の匂いを記憶の宝箱にしまって、俺は逃げるように家を飛び出した。 『…慎司!』
/27ページ

最初のコメントを投稿しよう!