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 翌日の教室は永田くんのにおいがした。  正確には梅雨特有の木が湿ったなまぐさいにおいなんだけれど、わたしはなぜか永田くんに抱きしめられているような感覚になった。もしかしたら、いままでのこういう湿ったにおいはぜんぶ、永田くんの体内でつくられていたのかもしれない。 「小泉(こいずみ)さん。入んねえの?」  教室のとびらの真ん前でフリーズしていたら、だれかがそう声をかけてきた。  慌てて振り返ると、そこには永田くんがいた。スモーキークオーツの瞳が、怪訝そうにわたしを見下ろしている。  ひっと声をあげて、道をあける。  永田くんは、ぎょっと目をむいた。 「(みなと)、小泉さんになにしたんだよー」 「いや、なにも」  苦笑いをうかべながら、永田くんは友だちの橋本くんと一緒にわたしの横を通りすぎた。  おもわず、永田くんの右手とガーネットがしまわれている位置に目がいく。永田くんは、このたった二か所のみで別人のように生まれ変わることができるのだ。  おずおずと自分の席に着く。わたしの右どなり、栗原さんの席の右斜め前に座る永田くんを盗み見る。  友だちに笑いかける永田くんの瞳は、光をたくさん集めていて、まぶしい。昨日目撃した底のない瞳よりこっちのほうが永田くんという感じがするけれど、それはいままであっちの永田くんを知らなかったからであって、もしかしたらあっちの永田くんのほうがほんものの永田くんという可能性だってあるのだ。 「おはよう」  教室に芯の通った声音が響いた。みると、栗原さんが教室に入ってくるところだった。  ぴんと伸びた背筋がいかにも栗原さんって感じ。覆面をしていても栗原さんだってわかる自信がある。それはきっと、彼女のことを好きな永田くんもおなじなのだろう。 「おはよ、栗原」  栗原さんが横を通りがかったタイミングで、永田くんがそう声をかける。  栗原さんは微笑をうかべて「おはよう」と、きちんと「う」までを発音してこたえていた。  そういえば、栗原さんから永田くんに挨拶をしているところは見たことがない気がする。いつも永田くんからだ。いまとなっては永田くんが栗原さんを好きだからなんだとわかるけれど、わからなかったらごくごく自然な行動に思える。永田くんは恋心を隠すのがじょうずらしい。  水分量の多そうな黒髪を背中でゆらしながら、栗原さんがきびきびと着席する。昨日、永田くんが液体を塗りたくっていた、あの椅子に。
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