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 あの液体の名称はなんだったか。  保健体育の授業だったか友だちの家にあったちょっとエッチな漫画だったか。どこかで学んだような気がするけれど、思い出せない。身近なようでいてそうでもないような、そんな単語だった気がする。  調べたいけれど、調べていいのかがわからない。どう調べていいのかがわからないというわけではなく、そんなことを調べたりしていいのだろうかという葛藤があった。どう検索すればヒットするか。検索方法はたくさんありそうだけれど、そんなことをおいそれと調べたりするのは、たとえば大人に隠れて煙草を吸うような行為に似ていて、わたしがそんなことをするわけにはいかない。幼い妹たちの見本にならないようなことはなにも。  スマホをベッドにほうって目をつむる。まぶたの裏で、昨日の永田くんを再生した。  まだ一日しかたっていないのに、もう細部が思い出せなくなっている。永田くんの声の湿り気も小鳥のないしょばなしの大胆さも鈍いガーネットの輝きも、昨日の夜はもっともっと鮮明だったのに。明日にはもっとおぼろげになって、来週には再生できなくなるかもしれない。そんなの耐えられない。  耐えられない、とまで思っている自分に驚愕する。だって、わたしは永田くんのことを好きなわけではない。  そりゃあ、一度くらいは永田くんみたいな人気者が人知れずわたしに恋をしていて、ほかの、それこそ栗原さんみたいな美女にも見向きもせず「おれは小泉のことが好きなんだ」とかクラスみんなの前で告白してくれたりしないだろうか、なんて妄想したりしたこともあるけれど、それは永田くんじゃないとだめというわけではなく、永田くんの友だちの橋本くんでもよかったし、となりのクラスのみんなが憧れるような男子であればだれでもよかった。  けれど、永田くんであれば尚可であることはたしかだった。永田くんは人気者のなかでもさらにとくべつだ。  まず、顔が格別にいい。小さな骨格にくりっとした二重の目。鼻筋はすっと通ってくちびるは少し薄め。体型もいま流行りの細身のスタイルで、脚が長く、身長が百八十ちかい。これといったくせも個性もない完ぺきな造形で、百人みたら百人イケメンと口をそろえそうな男子だった。運動神経も抜群によくて、勉強はそこそこって感じのようだけれど、成績が悪いってほどでもない。性格はよくわからない。なんせしゃべったことがない。けれど、人気者としては合格ラインの人当たりの良さはあった。  そんな永田くんが、だれもいない教室で自分を悦ばせて、かつ栗原さんのことが好きで、好きな子を椅子を介して犯すような卑劣な人間だったなんて。きっとこのひみつは永田くんのご家族だって知らないだろうし、もしかしたら永田くん自身も知らなかったことかもしれない。  そのことをこの世でたったひとり、わたしだけが知っているという事実に、わたしはいたく興奮した。と同時に、そんな自分自身に嫌悪もしている。  わたしという人間は、こんなことにとらわれたり執心したりする、浅はかでいやらしい人間だったのだろうか。こんなことでは妹たちの見本になれない。  永田くんのせいだ。あの日の永田くんがわたしをおかしくしている。責任をとってほしいけれど結婚までは望まないので、どうか昨日の永田くんをもう一度見せてはくれないだろうか。  いっそすれちがいざまに「見たわよ」なんてささやいて脅してしまおうか。それとも土下座をして頼んでみようか。はたまた切なるこの想いを手紙にしたためてみようか。  どのシチュエーションを想像しても、目の前にはおびえきった永田くんがいる。  わたしはその夜、白濁したスライムの沼に永田くんがもがき苦しみながら沈んでいく夢をみた。
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