0人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
お嬢ちゃんの忘れ物。
最近話題に上がること……
友達の少ない私を心配して親が急に聞いてきた。
ー最近の若い子は何の話をしているの。
まあ、急に聞かれて思いつくものはドラマとかゲームとか雑誌のモデルとか……あ。
ー最近、”記憶を操作できる人”がいるって噂はよく聞くよ。どの記憶を消してほしいだとか誰の記憶を消したいだとか…
ーもう少し中身のある話はしてないの。
話している途中だ。聞いてきたのは誰だ。居心地が悪かったので他の話をしようかと思ったが、多分、これ以上何を言ってもまともに聞く気がないだろう。この人はそういう人だ。
ーそんなもんだと思うよ、女子高生なんて。
そういって自分の部屋に籠る。面白味なんぞ要らない。静かに普通に過ごしたいのだ。
次の日、学校に行って女子の中でわいわい話す。意味のない時間が幸せなのだ。頭を使わないでいい。そんな中で誰かがあの話題を口にする。すると皆が一層盛り上がる。あんな記憶、こんな記憶、皆が次々に口にする。私は傍観する。どうせ本心じゃない。消したい記憶なんて既にある程度曖昧になって頭の端に追いやられているだろうし、本当に消したい記憶なんて、他人に言うはずがないのだから。私は話の矛先が自分に向かないよう、存在感を消す。幸い皆が話たがるので私が話す時間はない。今は傍観者がちょうどいい。
学校が終わって、部活も終わって、部活仲間とご飯を食べに行く。部活仲間で食べるものは本当に軽いものばかり。正直お腹が満たされるわけがない量。家に帰ったら何食べようか。それを考えながらメニューを眺める。食べ盛りだから仕方がないのだ。それも運動後だから一層。周りがご飯を小で頼んでいるのに対して私だけは大を頼む。相変わらず大食いだねと茶化されるが、いつものこと。ネタとして受け止めてネタとして返す。こんなことで一日が終わる。これを5回繰り返せば休日が来る。休日を過ごせばこの日常が戻ってくる。此れの繰り返し。つまらないと思う者もいるだろう。私もつまらないと思う。だけれど、それでいいのだ。それがいいのだ。この日常がいいのだ。私はそれで息ができる。満足だ。息ができれば、居場所があり、其処で息さえできればそれで。
日常の中で、時々気になることがある。あれだけ噂になっている記憶操作だが、本人は何処にいるのだろうか。まさか、どこかで記憶屋でも営んでいるのだろうか。そんな安直なことはないだろう。だがもし私がその本人に会えたら何をお願いするだろうか。記憶、消したい記憶…そもそも記憶を消すとはどういうことなんだろう。断片的に思い出せなくなるのか。それとも違和感さえ感じないのか。何かしらの拍子にふと思い出してしまうことはないのか。何かに関係して覚えていることはどうなるのだろうか。どうせ私には到底分からないのだろう。関係がない。関係など持ちたくない。自分に嘘をつくなど簡単なのだ。自分の記憶などいくらでも消せる。トラウマも良い思い出さえも。
最初のコメントを投稿しよう!