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はじまりの物語
雨が降る。
またこの世界に雨が降る。
道行く誰もが鬱々とした表情で、その体を降り注ぐ雨に濡らしていた。
色のない世界――。アイはそう感じていた。
誰もが他人を気にすることもなく、俯き気味に歩いている。おかげでアイがそれを手にしていることにすら、誰一人気付いていないようだった。
やるなら今日がいい。
14回目の誕生日を迎えるこの日こそ、それに相応しい気がしていた。
密かに抱いていた決意を胸に、少女は足を止める。
そして、アイは手にしていた真っ赤な傘をさした。
色のない世界に、ぽっと明かりが灯されたかのように傘の花が開く。
アイは傘に当たる雨音を聞きながら、頭上を覆う赤を満足げに眺めていた。
ちょうど近くを歩いていた初老の男性が、その光景に気付き目を見開く。その瞳に浮かんだ驚きの色は、徐々に言いようのない怖れの色へと変わっていった。
「な、なんてことを……」
真っ直ぐとこちらを見ている少女にむけて、男は震える口を開きなんとか言葉を紡ぐ。
「なんてことをしてくれたんだ!か、傘を……傘をさすなんて!」
そう言い終わるかどうかのその刹那、男の胸の辺りから上部が一瞬で失われた。つい今しがたまで生きた人間だったソレの断面から、おびただしい鮮血がほとばしる。アイは赤い雨に打たれながら、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「きゃあああああ!!」
女性の悲鳴で、アイは正気を取り戻す。
眼前には、現実とは思えない光景が広がっている。
――なに?いったい何が起きたっていうの?
理解のできない出来事を前に、アイの心臓は早鐘を打ち、足は震えを抑えきれずにいた。
「奴だ……」
アイは声の方を見る。
「奴が来たんだ!」
その中年男性は、まるで食いちぎられたような人間の体と、アイの手にする真っ赤な傘を見てそう叫ぶと、一心不乱に駆けだした。
付近にいた者たちも、つられるように叫び声を上げながら散り散りに逃げ出していく。
「待って!」
アイは傘を手放すと、訳も分からず必死に駆けだした。
――なんなの?何が起きたの?どうして傘をさしてはいけないの?奴っていったいなに?
私はただ、この世界に色を足したかっただけなのに――。
そう思ったアイの目の前で今度は別の男性が、血しぶきをあげてその半身を失った。
「いやあああ!」
方向を変えて走り出すアイの周りで、次々と大人たちが犠牲になっていく。
――助けて、誰か、助けて!
と、それは突然アイの視界に入り込んできた。
鮮やかな青。晴天の澄んだ空のようなその色が、目の前の少年が持つ傘の色だと気付くのに一瞬遅れた。
「離れて」
穏やかな声がそう告げると、アイは一歩退く。
自分と同じくらいの歳であろうその少年は、斜め上空へ向けて傘を勢いよく開いた。
その瞬間、この世のものとは思えない怖ろしい叫び声が響くと、見たこともない異形の生物が地面に倒れた。
動くことも声を出すことも出来ずにいるアイを落ち着かせるように、少年は言った。
「これで大丈夫。こいつらは傘のせいで現れてしまうけど、こいつらを倒すのもまた傘ってわけ」
栗色の髪をしたその綺麗な横顔を見つめながら、アイは感じていた。
何かが始まってしまったのだ。
これは、はじまりの物語だ――。
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