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リアルフラワーにもぐもぐされるなんて、夢にも思いませんでした
そう、確かにわたしは騎士様に憧れていた。
恋していたといっても過言ではない。
画面を隔てる、薄いガラス面が憎い。
どうして私は二次元じゃないんだ!!
……そう嘆いた日々は、両手指の数だけではたりない。
「だからといって、これはない」
半笑いで虚空を見詰める。
いや、実際はそのさらに上に、あんぐりと開いた大きなお口があるのだけど。
ぽたり、滴る涎が、糸を引いて私のスカートに落ちた。
誰もが一度は妄想したことがあるだろう。
――巨大な花の中央に、ぱっくり開いた口があったらどうしよう、と。
今、それが私の目の前にある。
お行儀よく並んだ牙が、花びらの波打ちに合わせてうねりを見せた。
いやいやいやいやグロテスク~!!
きしゃーっ!! じゃないよ!? あなた植物でしょ!?
どっから声出してるの! やだやだやだやだ死ぬってこれええええ!!!!
どうやら私は半笑いではなく、半泣きしていたらしい。
喉奥を引きつらせて、必死に後ろへずり下がる。
けれどもへたり込んだ身体はいうことを聞かず、大袈裟なくらいガタガタ震えていた。
毒々しい紫色の花びらが、ずいとこちらへ顔を寄せる。
ぽっかり空いた中央の、花弁の奥が、うぞりとうごめいた。
――ははっ。おばあちゃん、どうしてそんなにお口が大きいの?
それはお前を食べるためさ!!
現実逃避してる場合じゃないんだけどさ!!
無理だよ! 身体動かないよ!!
真上に迫った花びらに、固く目を閉じた。
両腕で頭をかばって、へたり込んだ身体を精一杯縮める。
風を感じたのは、一瞬のことだった。
耳をつんざく絶叫に、慌てて目を開ける。
頭をかばうように出した腕の向こうで、銀色がきらめくのが見えた。
「怪我はないか?」
しなやかな体躯が、軽やかに剣を鞘へおさめる。
耳に心地好い声音は低めで、少々素っ気なかった。
息ひとつ乱すことなく人喰い花を倒した青年が、こちらへ向けて手を差し出す。
その顔に、唖然とした。
――わたしには、お気に入りのスマホゲームがある。
夢見る乙女系の冒険ファンタジーだ。
そのゲームに登場するキャラクターに、そっくりなんだ。この青年。
赤い髪に、紺碧色の目。
引き結ばれた唇は凛々しく、無口そうな印象を受ける。
騎士団の制服をきっちりと着込んだその姿は、何を隠そう、わたしの人生を狂わせている騎士様その人だった。
――課金した総額? ははっ、聞かない方がいいよ。
動揺して震えるわたしをどう思ったのか、彼が小首を傾げた。
怪訝そうな顔で、ぼそりと低音を吐き出す。
「……立てるか?」
「ひゃ、はいぃ!!」
裏返った声で返事し、慌てて差し伸ばされた手を掴む。
わたしの手より遥かに大きなそれは、革手袋越しでも男性らしさを感じるものだった。
うっ、うわあああっ、どうしよう! 緊急握手会!!
二度と手を洗えない!!!
立ち上がった際に気づいた、身の周りの情景。
崩れた瓦礫に枯れたツタが這い、ぶすぶすと黒煙を上げている。
……この瓦礫、ついさっきまで、わたしの家だったんだ。
完全に倒壊している我が家と、自分で持ち出した知識に、あれと首を傾げた。
――待って? わたし、こんなファンタジー世界の住人じゃないよ?
現代社会を生き抜く生粋の日本人で、オフィスレディを営む……、あれ?
名前が、思い出せない!?
「俺はエミリオ。君は?」
美丈夫に話しかけられ、びくりと顔を見上げる。
あわわ、と繋いだままだった手を離し、大急ぎで頭を下げた。
「たっ、助けていただいて、ありがとうございました!! わ、わたし、ジル……、ジルコニアといいます!」
自分で名乗った名前に、ぎょっとする。
そしてお辞儀したときに視界に入った、真っ白な長い髪。
牧歌的なスカートをおさえるわたしの手は、色が白すぎて、とても不健康そうだ。
状況が読み込めずに硬直するわたしの頭を、大きな手がぽすりとたたく。
はっと顔を上げると、エミリオさんが苦笑を滲ませ、こちらを見下ろしていた。
……どうしよう。自分がすごく混乱している自覚はあるんだけど、エミリオさんの顔がいいことだけは把握した。
「いい。怪我がなくて、何よりだ。……君、家はどこだ? 良ければ送ろう」
「あ……」
気まずさから視線を俯け、ふらふらとさ迷わせる。
……いや、うん。何て言おう……。
「……? どうしたんだ」
「ここ、です」
「……」
「わたしのおうち、ここ、なんです」
どこか辿々しくて、澄んだ声がわたしの喉から落ちる。
ぴたりと止まったエミリオさんが、ぐるりと周囲を見回した。
断っておくが、決してわたしは、自ら危険をおかして人喰い花の群生地に来たわけではない。
勝手に生えてきたんだ。そして襲ってきたんだ。
不法侵入と、器物破損が過ぎるだろう、あの花。
確かにわたしの住まいは、王都から外れた森の入り口という辺境にあるけど……。
それでも、この16年間、この家で平和に生きてこられたんだ。
うん? 16?
……とても、嫌な予感がする。
早く鏡を見て、自分の顔を確認したい……!
「……そう、か。……住む場所がなければ不便だろう。保護という形になるが、騎士団へ案内しよう」
「っ、騎士、団」
「別に怖がるところではない。俺が案内する」
顔色を悪くさせるわたしをどう思ったのか、エミリオさんが弁解する。
――違う。そうではないんだ。
このままだと、『ジルコニア』は死ぬ未来を辿る。
はっと、エミリオさんの腕に切り傷を見つける。
自然と、わたしの手がそこへのびた。吸い寄せられるようだ。
こちらを向いた紺碧色の目が、驚いたように瞠られる。
「――っ怪我! 手当てします!!」
「は!? お、おい!!」
ぐっと指先の進行方向を変え、彼の手首を掴んで、元我が家の瓦礫を退ける。
とてもではないが持ち上がらないそれに、思いっきり踏ん張った。
ええええええい!!!
慌てたエミリオさんが、私の両脇に手を入れる。
あっさりと、足が地面から浮いた。
ぴゃあああああああッ!!!!!
「馬鹿! 率先して怪我をしにいって、どうする!?」
「で、ですけど! ここに救急箱が!」
「いい!! この程度掠り傷だ!!」
「ああっ、でも! そ、そうだ! ばんそうこう!!」
ぺん! 叩いたスカートのポケットから、引っ張り出した絆創膏を、エミリオさんの怪我に張りつける。
驚いた顔をした彼とそのまま見詰め合い、ぶらんとぶら下がった状況に、今さらながら恥ずかしさが込み上げてきた。
我に返ったエミリオさんが、そっとわたしを降ろしてくれる。
ただいま、地面!!
「あ、ありがとう、ございます……」
「いい。行くぞ」
再び差し出された手に、おずおずと右手をそえる。
大きな手に握り返され、ずっと鳴ってる胸が、高鳴った。
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