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「もうこんなもんですかね。僕の五目半負けでしょう」  一時間半に及ぶ熱戦の末、ようやく治からその言葉を引き出せた中也は、安堵のため息をついた。あれから三年の月日が流れ、中也は二十五歳になった。棋力は六段、かつての指導者である治と並ぶまでになっていた。そして今日は遂に、互先(たがいせん)(棋力が同じ人同士の、ハンデをつけない対局)で彼を破ったのだ。 「検討の前に、少し休憩を入れましょうか。お茶でも入れますよ」 「ありがとうございます。僕、治さんの所で頂くお茶がお気に入りなんですよ」  中也は微笑んだ。治のことを本名で呼ぶようになって、久しい。京都へ来て一年経った頃、治は『もう僕があなたに教えられることは無い、指導者で無い以上、先生と呼ばれる資格は無い』と言い出した。それを機に呼び名を改めたのが、その時中也は初めて、『ホリ』というニックネームの由来を知った。治がたまたま愛読していた小説『風立ちぬ』の作者が『堀辰雄』、つまり中也の父と同じ名であったからだというのだ。それを聞いて中也は、改めて治の父への心酔ぶりに驚いたものだった。 「そういえばこの前、芙美子さんとウィリアムさんが寄ってくれましたよ。新婚旅行の帰りだそうで。中也さんにも会いたがっていました」 「あの時は残念でした。大会に出ていましたからね」  芙美子とウィリアムは、先月入籍したのだ。旅行好きの二人は、中也が引っ越した後、よく京都に遊びに来てくれた。その時紹介した治の指導が気に入った二人は、以来関西を訪れる度に、治に教わりに来るのである。 「碁が作る人の縁には、本当に感心しますねえ」  これは、治の口癖であった、 「僕が辰雄先生と出会って、中也さんと出会って。中也さんの紹介で、芙美子さんたちと出会って。彼女たちは碁を通じて知り合って、結婚して。僕が碁を愛してやまないのは、もちろん碁そのものが面白いからですが、こうやって人と人を結び付けてくれる、というのも大きな理由ですね」  本当に、と中也は頷いた。それにしても、と治はお茶を飲み終えて言った。 「本当にお強くなられましたね。プロアマ混合大会に出られるまでになるとは。指導者冥利につきますよ」  中也はこの週末、プロ棋士との混合トーナメント戦に出場する予定なのだ。出場権をようやく獲得した時の感動は、今でも中也の胸に焼き付いている。 「言っても仕方ありませんが、もう少し早く囲碁を再開されていれば、プロも夢では無かったでしょうに」  治は無念そうに言った。治が中也に教え尽くしたと言い出した時、辰雄は新しい師匠として、『Ogai』の常連客だったという元プロ棋士を紹介してくれた。彼は気のいい老人で、中也の指導を快く引き受けた。彼に教わり出してから、中也の棋力は飛躍的に向上したのである。今や中也は、各種の大会で名を知られる存在だ。
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