闘魂

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闘魂

島内(しまうち)さんだけど、他の人に担当してもらうことになったから」  その翌朝、中也は出勤するなり、たい子にそう言われた。  ――やはりか。  島内というのは、中也の担当生徒で、若い女性会社員である。どうやら中也に恋心を抱いているようで、対応に困っていたところだった。 「これで何人目? 困ったわね」  たい子が言うのは事実である。ここ最近、中也は女性の生徒から言い寄られることが増えていた。  ――以前のスクールにいた時は、そんなことは無かったんだけどなあ。  中也は、首を傾げた。実はそこには、中也自身気づかない意外な理由が隠されていた。   京都へ旅立つ日、秋江は中也に『勝ちをもぎ取る気迫が、あなたにはどこか欠けている』と言った。中也は、その言葉を糧に三年間、自らを精神的に鍛えてきたのである。女性たちを惹きつけたのは、中也のそんな内なる強さに違いなかった。 「女性よけに、ダミ―の指輪でも付けといたら?」  たい子はそんなことを言ったが、中也はためらった。 「それはちょっと……」  中也は、左手の薬指を見つめた。そこにはもう、白秋から贈られた指輪の跡は無い。それでもこの場所に、他の指輪を付けたくはなかったのだ。たとえ、ダミ―だとしても。 「真面目な話なんだけど」  たい子は、改めて中也の方を向き直った。 「実は、教室をもう一つ開く計画があるの。そこのマネージャーは、あなたにお願いする予定よ。そういう責任ある立場になった時は、指輪は付けておく方がいいと思う」  中也は、目を見張った。このスクールの運営が順調であることは知っていたが、まさかもう二つ目の教室を作るとは。そして、その責任者が自分とは、思ってもみなかった。 「マークの事件の時、大変だったでしょう」  唐突に、彼女は言った。 「でもあれは私にとって、いい経験だったと思っているの。看板講師だからと、彼を甘やかしすぎたわ。もっと注意していれば、事件は防げたかもしれないのに」  確かに独立してからのたい子は、講師の人選や管理を厳しく行っており、職場内にも細かく目配りしている。あの事件の教訓だったのか、と中也は合点した。 「というわけだから、心づもりはしておいてね」 「はい、ありがとうございます」  そうは答えたものの、中也は申し訳ない気持ちで一杯だった。たい子の気持ちは有難いが、彼女の期待に沿えないことは、もう分かっているからだ。
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