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上京
プロアマ混合大会の前々日、東京を訪れた中也は、マロンへと向かった。カノコは、嬉しそうに迎えてくれた。
「大城君、久しぶりねえ!」
「カノコさん、ご無沙汰しています。百合子ちゃん、お元気ですか?」
百合子というのは、不妊治療の末二年前に産まれた、露木夫妻の一人娘である。高齢のため、妊娠は難しいかもしれないと医師に言われていただけに、夫妻の喜びはひとしおだったようだ。
「おかげさまで。見て、昨日撮った写真よ」
カノコは顔を綻ばせて、スマホを取り出した。
「おお、大城君」
露木も現れた。彼もまた、一人娘を溺愛している様子である。かつてはタイトルなど、はなから諦めた態度だった彼も、娘の誕生をきっかけに俄然やる気が出たらしい。直近の十段戦の本戦では、久々に良い所まで進んだそうだ。
「色々な大会で活躍しているそうじゃないか? 私も誇らしいよ」
「何言ってるのよ」
カノコが突っ込む。
「あなたは何回か指導碁しただけでしょ。都合のいい時だけ師匠面するんじゃないの。大城君の師匠は秋江君なんだから」
「秋江君ね」
露木はフンと鼻を鳴らした。
「あそこの文ちゃんも随分騒がれているようだが、今だけさ。すぐにうちの百合子が追い抜くに決まってる」
秋江夫妻の長女・文は、手術後すっかり健康になり、碁を始めたのだ。たちまち頭角を現した彼女は、七歳にしてすでに注目を浴びる存在である。
「指導碁が終わりましたよ」
そこへ、辰雄がやって来た。彼は、中也を見て微笑んだ。
「お疲れ様。そうそう、大城君。清滝さん、とても評判が良いのよ。来て頂いて助かっているわ」
カノコは、手放しで喜んでいる様子だ。
「そうだ、清滝さん。今日はもう上がってもらっていいわ。大城君も上京したことだし、親子でゆっくり過ごしたいでしょう」
露木も、そうそうと頷く。中也と辰雄は、夫妻の言葉に甘えることにした。
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