祖父

1/1
前へ
/210ページ
次へ

祖父

「辰雄さん、お帰りなさい。中也、久しぶりね。元気にしてた?」  辰雄の家で二人を出迎えたのは、祖母稲子である。あの後東京へ移り住んだ辰雄は、鱒二と稲子の面倒を看たいと申し出た。しかし鱒二は、その申し出を頑なに拒み続けたまま、昨年帰らぬ人となった。その後辰雄が稲子を引き取り、以来二人で暮らしているのである。  夕食を終えると、中也は一局打たないか、と辰雄を誘った。 「うん。でもその前に、ちょっと見て欲しいものがある」  そう言うと辰雄は、囲碁の新聞や雑誌の束を持ち出してきた。何やら、妙ににこにこしている。 「これが誰の物か分かるか?」 「誰って、父さんのじゃないの?」  中也はきょとんとした。 「違う。これはおじいさんが持っていた物だよ」 「まさか」  囲碁といえば、大嫌いな辰雄のイメージしか無かった鱒二は、囲碁を忌み嫌っていた。その彼が囲碁関連の新聞類を集めていたなんて、何かの間違いとしか思えなかった。 「それが本当なんだ。ほら、ここを見て」  辰雄が指した箇所を見て、中也は驚いた。それは、中也が出場したアマチュア大会に関する記事だった。入賞者欄の中也の名前には、印が入っていた。 「お前が出る大会は、欠かさずチェックしていたようだよ。おばあさんによると、こっそり囲碁番組も見ていたんだって」  辰雄は微笑んだ。 「僕のことはともかく、中也のことは本当に大事だったんだよ。囲碁をやるのを反対した手前、引っ込みがつかなくなったんだろう」  ――それなのに、自分は彼らを置いて東京を離れてしまった。  激しい後悔が、中也を襲った。 「もうすぐ、一周忌だね」 「ああ。来てあげてくれ」  しんみりした空気のまま、二人は打ち始めた。すると、ノックの音がした。稲子であった。 「ごめんね、邪魔をして。テレビを見ていたら、速報が入ったの。囲碁関係のニュースだから、二人に知らせた方がいいかと思って。よく分からないけど、七つのナントカを取った凄い男の人が、引退するとか」  その瞬間、中也は立ち上がっていた。  
/210ページ

最初のコメントを投稿しよう!

383人が本棚に入れています
本棚に追加