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祖父
「辰雄さん、お帰りなさい。中也、久しぶりね。元気にしてた?」
辰雄の家で二人を出迎えたのは、祖母稲子である。あの後東京へ移り住んだ辰雄は、鱒二と稲子の面倒を看たいと申し出た。しかし鱒二は、その申し出を頑なに拒み続けたまま、昨年帰らぬ人となった。その後辰雄が稲子を引き取り、以来二人で暮らしているのである。
夕食を終えると、中也は一局打たないか、と辰雄を誘った。
「うん。でもその前に、ちょっと見て欲しいものがある」
そう言うと辰雄は、囲碁の新聞や雑誌の束を持ち出してきた。何やら、妙ににこにこしている。
「これが誰の物か分かるか?」
「誰って、父さんのじゃないの?」
中也はきょとんとした。
「違う。これはおじいさんが持っていた物だよ」
「まさか」
囲碁といえば、大嫌いな辰雄のイメージしか無かった鱒二は、囲碁を忌み嫌っていた。その彼が囲碁関連の新聞類を集めていたなんて、何かの間違いとしか思えなかった。
「それが本当なんだ。ほら、ここを見て」
辰雄が指した箇所を見て、中也は驚いた。それは、中也が出場したアマチュア大会に関する記事だった。入賞者欄の中也の名前には、印が入っていた。
「お前が出る大会は、欠かさずチェックしていたようだよ。おばあさんによると、こっそり囲碁番組も見ていたんだって」
辰雄は微笑んだ。
「僕のことはともかく、中也のことは本当に大事だったんだよ。囲碁をやるのを反対した手前、引っ込みがつかなくなったんだろう」
――それなのに、自分は彼らを置いて東京を離れてしまった。
激しい後悔が、中也を襲った。
「もうすぐ、一周忌だね」
「ああ。来てあげてくれ」
しんみりした空気のまま、二人は打ち始めた。すると、ノックの音がした。稲子であった。
「ごめんね、邪魔をして。テレビを見ていたら、速報が入ったの。囲碁関係のニュースだから、二人に知らせた方がいいかと思って。よく分からないけど、七つのナントカを取った凄い男の人が、引退するとか」
その瞬間、中也は立ち上がっていた。
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