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一本の電話
「――なるほどね。道理で、あんなに若くして引退したわけだ」
秋江は無表情で耳を傾けていたが、やがてぼそりと呟いた。
「今まで隠していて、すみません。康成先生に、口止めされていたんです。それに、白秋が知ったら、責任を感じるかと思って。――まあ、大元の原因は、僕ですが」
「大城さんのせいじゃないでしょう。兄が悪いわけでも無い」
秋江は、康成と同じような台詞を吐いた。しかし、ほっとしたのも束の間、彼はこう続けた。
「でもその話と、父を見舞ったり世話をしたりというのは、別問題です」
一歩も引かない秋江の態度に、中也は絶望的な気分になった。すると秋江は、唐突に言った。
「大城さん。今でも、兄のことを愛していますか?」
「……!」
「この四年間、兄は誰とも恋愛していません。交際を申し込まれても、全て断っています。酒も、断ったままです。正直、七冠を達成しても、少しも幸せそうには見えません。むしろ痛々しいくらいです。兄に対してこんな気持ちになったのは、生まれて初めてです。――だから」
秋江は、中也の顔をじっと見つめた。
「もし、あなたと兄がよりを戻すのであれば、僕は父を引き取って世話をしようと思います」
「一体どうして……」
「やっと二人が再スタートという時に、父の存在が邪魔になるといけないからです。きっと、父も同じことを考えるはずです」
――そこまで応援してくれるのか。
「――ありがとうございます」
中也はようやく、それだけを言った。感謝を伝えたかったが、他に言葉が見つからなかった。
会場へ戻ると、何だかざわついた雰囲気だった。観戦に来た人々が、何やら興奮気味に囁き合っている。中也は、思わず耳をそばだてた。
「白秋元七冠が、このホテルに泊まっているらしいぞ」
「サプライズゲストか?」
――何だって。
その時、中也のスマホが鳴った。ポケットから取り出して、中也はドキリとした。着信画面には、どうしても連絡先から消せなかった名前があった。
「僕だよ」
震える指で応答ボタンを押すと、懐かしい声が飛びこんで来た。
「少し、抜けられないか? 君と話がしたい。今僕は、このホテルの××号室にいる」
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