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将来は医者になる。
白衣をまとった背中に、父がほんのりとその可能性を匂わせたのが先だったのか、それとも私がその姿に憧れたのが先だったのか、今ではもう忘れてしまいました。けれど、私が父を尊敬していて、その後を継ぎたいと幼い頃から密かに考えていたことは確かです。
丸い眼鏡に、首からいつも聴診器をぶら下げていた父は、大病院に在籍している先生というわけではなく、町の中心から少し外れたところに診療所を構える医院長でした。
物腰が穏やかでおっとりして見えた父は、その外見に反して働き者で、昼間の診察を終えた後、診療出張と言って、寝たきりになったおばあさんの家や、足を折って動けなくなった大工さんの家を訪ねたりしていました。仕事が忙しかったために、日中遊んでもらったことこそ少なかったですが、常に温和勤勉に務め、町の人から慕われていた父が、私は大好きでした。
それに、忙しかった父を忌憚なく独り占めできる時間が私にはあったのです。夜、ベッドに入って、眠りにつくまでの数十分間。
私が「もう寝る」というと、父は夕食の最中であろうと、帰って来てすぐであろうと、寝室に向かう私の後をちょこちょことついてきて、私が眠るベッドの端にちょこんと腰掛けました。そして、色々なことを聞くのです。
今日は何をして遊んだ?昼食は何を食べた?お母さんの手伝いをちゃんとしたか?
私は父と話せるのが嬉しくて、楽しくて、一つ一つの質問になるべく丁寧に、なるべく長く答えました。
しかし、父は眠りの気配を察するのが上手かった。私のまぶたが少しでも閉じかけたのをめざとく見つけると、父はすぐに話を切り上げました。そして、よく眠れるようにといって、寝室に置いてあったレコードで音楽を掛けてくれました。
ヴィヴァルディ、ベートーベン、ヘンデル、エルガー。音楽愛好家だった父が集めたレコードの種類は実に多様で、それに関する父の知識は豊富でした。私は毎晩、父が掛ける音楽と、囁くようにその来歴を語る父の声に潜るように眠りました。
いつか、私も父のように。
気がついたときには、その目標が、まぶたの裏に響く音楽と相まって、私の心に深く、強く根ざしていました。
そんな風でしたから、小学校に入学したとき、父が早くも隣町にある私立中学校受験の話を持ちかけてきたことに、私は何の疑問も抱きませんでした。
名門高校に進学するためのサポートや設備がしっかりしているし、学習環境も整っている。
父がそう熱心に語ったその中学校は、父の母校でもあるらしく、私はとても興味を引かれました。
母は台所で皿など拭きながら、その気になる私達を見て気が早すぎると笑っていましたが、幼いながらに、医者になるためには勉強ができなければいけないということがなんとなくわかっていた私の気持ちは、すぐに中学受験に向けて動き始めました。
小学校の授業はすぐに退屈になりました。初めの頃こそ、先生の言うことを真面目にノートに取っていましたが、ある日、父が読みかけのままリビングに置いておいた娯楽小説をめくったとき、そちらの方がよっぽど面白いことに気がついてしまったのです。
本に登場する難しい表現も、新しい言葉も、それが大人向けのものであるが故に、学校の教科書に載っているあれこれより一層学びがいがありましたし、数学などは、父が忙しい合間を縫って、かけ算、割り算から関数に至るまで、一通りの知識を授けてくれました。
学年が三年に上がる頃には、私は家にあった本を家の外に持ち出し、騒がしいグラウンドを尻目に、昼休みなどにも読むようになっていました。
そんな生活に、私は概ね満足していました。
父は中学受験のために、私が五年生になったら家庭教師を付けることを約束してくれました。それまでに必要な知識をなんとか身につけておかなくてはならないと思っていましたから、私はこれまでにまして本を読みました。
ランドセルに重い本を忍ばせて、帰ってきても机から離れず勉強をし、夜はクラシックを聴きながら寝る。そんな生活を送っていた私の様子を見て、母はよくこう聞いてきました。
「私立中学校に行っちゃったら、今のお友達とはなかなか会えなくなるよ。」
ほんとうにいいの、よく考えなさいね。と、心配と不安が入り交じった顔で言うのです。
友達。
そう言われても、困りました。体育の時によく一緒のグループになるクラスメイトは、私にもいました。委員会活動で話し合いをする先輩後輩もいました。
けれど、母のいう友達は、きっと、そういう交わりを指すものではなかったでしょう。母は私に、もっと親密な、例えば、昼休みに一緒に遊んだり話したりする相手のことはいいのかと聞きたかったに違いないのです。
しかし、私はそういう存在を一人も持ちませんでした。私の趣味や好みは、どうも同い年の人のそれとは少し違っているようで、皆と音楽の話をするとき、私がクラシック音楽のつもりでもちかけた会話の主題は、いつのまにかアニメや、流行っているドラマの主題歌のそれにすり替わっていました。皆、ツルゲーネフの小説より、雑誌で連載中の漫画の続きが気になるらしいのです。
戸惑いました。私は父のおかげで、クラシック音楽には詳しかったですが、テレビやドラマはほとんど見ませんでしたし、漫画は読んだことがありませんでした。
会話について行けず、聞き役に徹するうち、私はだんだん気疲れするようになりました。できることなら、私も輪の中に入りたい。そう思いはするものの、皆との会話の中にそういったずれを確認するたび、私は自分に、そうするための資質が決定的に欠けていることに気づかざるを得ませんでした。
だから、私は母のその言葉を聞くたびに、悲しいような、悔しいような、なんとも言い表せない微妙な気持ちになって、具体的な返事を返さず、窓辺の水差し鳥のように、ただ黙ってうんうんと頷いていました。
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