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追う、ヨーコ ……1
カウンターに山積みされたLPを前に、アタシは黙々と作業を続けた。盤面にシュッと洗浄液を吹き掛け、クロスで汚れを拭っていく。A面が終わったらB面も。アタシは必ずA面から始めることにしている。特に理由はないけれど、きっとアタシのなかのなにかを象徴しているんだと思っている。
リョウ兄さんが出張買い取りしてきた百枚近くのLPのうち、まだ10枚程しか作業は進んでいなかった。こういう地味な作業は決して嫌いじゃなかったけれど、ここのところ日常という名の平穏が当たり前のように続いていて、ようするに退屈真っ只中でのこの作業は、日常という有り難みを麻痺させることにしか貢献しない訳だ。
1枚仕上げたアタシは、一息入れようとロックに耳を傾ける。今、プレーヤーで回っているのは『アクアラング/ジェスロ・タル』だ。
今回の買い取り相手はそっち系が好みだったらしく、ジェスロ・タル、ELP、カンサス、スティクスなんかがほとんどで、それも大体初期から中期までのアルバムが多かった。なかでは、コスモス・ファクトリーのファーストは、ウチではかなり久し振りの入荷だったはず。
アタシは、次のアルバムを取り上げ盤を取り出すと、作業へと戻った。
LPから〝讃美歌43番〟が流れ始めた。ジェスロ・タルって不思議なバンドだ、ジャンルはそれこそジェスロ・タルとしか呼びようがない。ハード・ロックで、プログレで、ブルースで、トラッドで、フォークでどこかまったりもしていて、それでいてギザギザした刺激をも与えてくれて、マジでこのバンドはいかす。もっともその割にはあまり聞かないけど。
だからというわけでもないのだけれど、今のアタシの日常には、ちょっとしたギザギザしたスパイスが欠けている。
黙々とまた1枚拭き終えたアタシは、次のLPへと手を伸ばした。まだまだLPは山積みだった。日常という平穏が続くのだ……。
ちんたら作業を続け、残り十数枚程になった頃、カウンターのスマホがひきつけを起こした。リョウ兄さんからの電話だった。
「サキ、バイトしないか?」
「パッケージ?」
「いや、そっちじゃないんだ。なんだ、カンサスなんか聴いてんのか? 暇なんだな」
アタシは十数枚のLPを眺めて、果たして暇なのかどうかを考えた挙げ句、暇なんだなと結論して、こうレスった。
「で?」
「なんだよ、ギャラ?」
「そりゃ、そうでしょ」
「5万円」
悪くない。
アタシはそう思ったものの、それもこれも勿論、仕事の内容次第なのは言うまでもない。
「五万って、高いのか、安いのか」
「それが、問題か? まー、顔出せよ、明日午前10時頃に。あ、あとさ、『明日に向かって撃て!』のサントラ在庫あったっけ?」
「あった、多分」
「じゃ、ついでに頼むよ。タクさんがお買い上げでさ。で、タクさんなんだよ、バイトの発注元。じゃ」
リョウ兄さんの指摘通り、今流れているのはカンサスのベスト盤で、〝全ては風の中に〟が流れている。
タクさんか、ふーん……。
タクさんはフィルム・モアの常連さんで、歳は70ぐらい、独身でどーもバツイチらしく、係累もおらず、独居、何をしてきたのか、しているのか定かではないし、リッチなのかプアなのかも不明、ただいつも身形はこざっぱりしていて、人好きのするムードがあって、無駄口は叩かないものの、会話は好きで、アタシも時にはコーヒー片手に話し相手を務めることがあった。アタシ同様、イーストウッドが好きで、アタシと違ってメリル・ストリープがお気に入りの女優なんだそうだ。あ、あとロバート・レッドフォードを買っていて、最後に行ったロードショーは彼の引退作『さらば愛しきアウトロー』で、タクさん自信もロードショーからの引退を宣言していた。
果たして、そんなタクさんからの依頼ってなんだろう?
ちょっと興味を引かれたアタシは、抱いた好奇心の小さな渦が静かに回転し始めるのを感じた。それが、台風のように成長するかどうかは明日次第だけれど。
〝全ては風の中に〟
レコードもまた回転していた……。
翌日10時少し過ぎに吉川ビルへと赴いたアタシを、既にタクさんはコーヒーを味わいながらラウンジの方で待ち受けていた。
と、アタシ同様に眠たそうなルミ姉さんとすれ違い様に挨拶を交わすと、こう愚痴られた。
「サンドウィッチが届いてないのよッ」
「あ、今日、上映会?」
「おいおい、メール入れてんじゃん」
姉さんはスマホ片手に控え室代わりの奥の部屋へと去っていた。
「ルミさん、ご機嫌ななめだね」
「タクさん、お待たせ。ね、今日って3本立て?」
「そうだよ、サキさん」
なるほど、3本立ての日は昼前からの上映なので、いつもより早く起きねば間に合わず、アタシ同様早起きの苦手な姉さんの機嫌が良からぬのも無理からぬことってやつだった。
「タクさん、番組は?」
アタシはそう言ってカウンターの中へと入った。
「今日はね、〝ダーティ・メリー クレイジー・ラリー〟、〝悪魔の追跡〟、〝怒りの山河〟だよ」
「ピーター・フォンダじゃん!」
そう言ったアタシは注いだコーヒー片手に踵を返し、タクさんの隣のストゥールへ腰掛けると、コーヒーを一口啜ってからこう問いかけた。
「1本ぐらい観たいんだけどさ、それもタクさんのバイト次第なんだよね」
「サキさん、大丈夫だよ。仕事は明日だから」
「そっか」
それにしたって内容次第だけどね、って思ったが、それは口にしないで話の先を促した。
「ああ、それじゃ、聞いてもらおうか」
タクさんはそう言うと、一息入れるかのようにコーヒーを口元へ運んだ。この人はいつだって実に美味そうにコーヒーを飲む。
アタシはそんなタクさんを眺めながら、頭の片隅で3本立てのことを考えていた。
『悪魔の追跡』かぁ。
胸がキューンとしてくるぐらい好きな作品だったから、話の内容次第では観て帰るべきなんじゃないだろうか。
タクさんがカップをカウンターへ戻す音がして、アタシは我に返った。それを見たタクさんがようやく話し始めた。
タクさんの話しとはこうだった。
親父が兵隊だった。どんなことをしていたのかは全く知らないし、訊きもしなかったし、そもそも話したがらなかっただろう。
よく、うなされていた。で、親父が亡くなってしばらくした時、机の抽斗を整理していたら、私宛の手紙を発見した。 それには、物置の隅にアルものが隠してある旨と、それを私に譲るからと記されていた。
私は記されていた通りに、物置を探してみた。そこにあった古新聞の包みを部屋へ持ちかえって拡げてみた。ボトリと足下へ何かが落ちた。畳を転がったそれを屈んで拾い上げた。
それは手榴弾だった。
何度も手紙を読み返した。譲る件の他には何も記されてはいなかった。私は途方にくれて、元あった場所へ古新聞で包み直して戻すしかなかった。
二十数年前に、自宅を取り壊してマンションを建てることになり、その際には銀行の貸金庫へとそれを移した。それっきり、そのままだった。
だが、自分も老いを意識し始め、親類縁者もいない点を考慮し、今度それを売ってしまうことにした。100万で、ね。
聞き終えてから、しばし黙っていたアタシヘタクさんが訊ねてきた。
「モノがなんだし、関わりたくないんじゃないのかね、サキさん」
「ううん、ほら、話がフィクションみたいだからさぁ。ところで、アタシはどんな役回りなの?」
「うん、いやね、ご覧の通りの老いぼれですから、サキさんに、代理を頼みたいんだ、取引の」
アタシは正直ちょっとウキウキしていた。
「で、タクさん、取引相手って?」
「うん、実はね、吉川さんが見付けてくれた相手なんだよ」
アタシは正直ちょっとだけ雲行きの怪しさを感じてきた。
「でもね、吉川さんはブツがなにだから、悪いんだがって。で、リョウさんに話を振るから、アイツならタクさんも安心だろうって」
吉川と彼の会社は、グレイゾーンまでなら守備範囲だが、明らかに黒いことには手を出さない。ま、表立っては、という意味だけど。
多分この件からだって幾らかのパーセンテージは発生しているに違いない。
「で、アタシに振られてきたって訳かぁ」
「悪いね。リョウさんもサキさんなら慣れてるからって。サキさん、そうなのかい?」
「まーね。ほら、アタシの過去、タクさん少しは知ってんじゃない?」
「少しだけなら。うん」
「少しで充分だよ、タクさん。で、どんな相手?」
「やってくれるのかい?」
「待って。それは相手次第」
「それはそうだね」
もし、アタシが断ったらどうするつもりなんだろう、吉川とリョウ兄さんは? 既に受け取っているはずの金を返却するのかな?
いや、リョウ兄さんがやるはめになるんだろうな、今更返金はないだろう。
で、その取引相手についての話はこうだった。
吉川がナシを付けた相手はアメリカ人なのだという。タクさんの希望では、あくまで悪用は厳禁ということもあって、その線に沿ってコツコツと吉川は買い手を探していたらしい。なかなか見付からないなかで、とある筋から紹介されたのがそのアメリカ人で、なんでも元アメリカ軍の退役兵であるその老人は戦争に対して強い憎しみを抱いていて、いずれ反戦を旗印にしたドキュメンタリーを発表したがっており、ついては各種の戦争関連グッズをコレクションしている、そういう相手らしかった。
そこで、悪用を意図した買い手ではないらしいという点を評価した委員会が(なんだよ、それ?)彼を推し、タクさんもその話に乗ったという次第。
肝心の取引日は、明日の午後6時で、タクさんの希望でキャッシュ・オンリー、場所は高田馬場にある名画座の早稲田松竹、上映中の館内、隣り合った座席での商取引ということで、詳細は追って委員会より(だから、なんだよ、それ?)だそうだ。
「タクさん、それって現役?」
「それは、分からないよ。試したことはないからね」
「だよね、うん」
正直、話を聞く限りではラクショーなバイトに思えた。ただ、気になるのは、それが現役の手榴弾なのかどうか、やっぱりその点に尽きるし、だとすれば吉川が直接に商いをしないということからも、極めてキナ臭い。彼なら、きっと調べる伝手はごく身近にあるはずだからだ。
続く
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