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何故あそこまで河原に人が集まったのか、あの居心地の悪さは何なのか、まるで分からないまま時刻は夜10時を過ぎていた。大浴場から出て浴衣姿のまま久保田と斎藤はロビーを出た。駐車場を抜けて左手にある看板、こゆりの里の真下にある煙突のような灰皿に向かう。 「やっぱり外で吸うとうまいよな。」 タバコを燻らせて斎藤は言う。彼の言葉に頷いて久保田はフィルターを噛んだ。目の前に聳える木々は薄暗い柱のようだった。隙間の向こうで灰色の霧が漂っている。辺りは随分と冷えていた。 がさっ 書類の山、生い茂る草を掻き分けるような音が鳴る。その方向に目をやったものの、何ら不思議ではなかった。近くの川には岩魚が大量に泳いでいる。狸などの野生動物くらいありふれているだろう、そう思っていた。 鉄の網に灰の頭を放る。少し火種が欠けて仄暗い灰皿の底に落ちてジュッと音が鳴った。 がさっ、がさっ 「野良猫かな。」 ふーっと長く紫煙を吐く。斎藤はフィルターを叩いて灰を崩した。ジュッと音が鳴った。 がさっ、がさっ、がさっ、がさっ、がさっ 本当に動物なのだろうか。目の前の木々から鳴る妙な物音に耳を澄ませると、何故か規則的にその音は鳴っていた。2秒の短い時間を明けてがさっ、がさっ、と響く。2人は言葉を交わすことなく、今度は目を凝らした。 細い木の陰で黒い物体が浮かんでいるように見えた。闇に浮遊する別の闇。それが人であるということは少ししてから気が付いた。白い半袖、濃く蒼いズボン。頭があるであろう箇所にはうっすらと明るい丸が帯びている。何故見覚えがあるのかは、斎藤が答えてくれた。 「あれ、昨日の…あの人形に似てないか?」 彼の言葉でピースが全て嵌まったような感覚に陥った。人形だらけの村で立ち尽くしていた、作業着を着た初老の男性。潰れたような目に低い鼻、乾燥している唇。あの男性は草をむしっているようだった。 旅館の壁に備え付けられた電球がパッと点灯する。一筋の光を浴びて男性の全身が浮かび上がった。屈んで俯いたままの男性がばっとこちらを向く。潰れたような目を勢い良く見開いた。その動きに思わず2人は止まった。男性は閉ざしたままの口をゆっくりと開けて言った。 「タバコは買えましたか?」 冷えた指先が背をなぞったような感触に、2人はタバコをその場に落とした。慌てて踏み躙り後退る。柔らかなその言葉がひどく恐ろしい。屈んだままの男性を置いて2人は旅館の出入り口に駆け出した。 「なんだよあれ、人形じゃなかったよな。」 エレベーターを使うことなく階段を駆け上がる。斎藤は焦った様子で答えた。 「分からない。何であんなに似てるんだ。」 3階に上がりエレベーターの前を抜ける。部屋に駆け込んで靴を乱雑に脱ぎ捨てた。 「何、また変なことあったの。」 岸の問いかけに2人は慌てた様子で事の顛末を話した。暗い林の中にいた男性があの人形と瓜二つだったこと、話しかけられた際、昨日人形に話しかけた時の続きを思わせる内容だったこと。なるべく落ち着いて話したと思っていたが、何度か聞き返されてしまった。何度も繰り返して説明を続ける。ようやく全てを理解したのか、堀内は立ち上がった。 「俺、結構人形撮影したよ。確認してみる?」 取り憑かれたように頷く。一眼レフを持って椅子に腰掛けた堀内の背後を囲うように立った。 ボストンバッグからノートパソコンを抜いて簡単な作業が始まった。カメラの側面から小さなカードを抜いて立ち上げたパソコンの真横に差し込む。日本庭園のような風景が映し出されているデスクトップに水縹色の箱が小さく出現した。トラックパッドに指を滑らせてファイルをクリックする。拡大された白い枠の中に沢山の写真が並んでいた。 「来る前にファイル整理したから、一番下だ。」 2本指をさっと擦る。大勢の写真がスクロールして底に着いた。 6枚目の写真だった。開けた村の歩道、真ん中で立ち尽くす蝋人形。久保田と斎藤は思わず声を上げた。 「これだ、同じだ。」 「うん。全く一緒だった。」 改めて背筋に冷たい汗が伝った。見間違いではない。確かにこの蝋人形と瓜二つの男性だった。 「気のせいだったんじゃないの?」 そう言う岸だったが、久保田はむしろ気のせいだと思いたかった。理解ができない気味の悪さ。堀内が何気なくトラックパッドに指を滑らせた、その時だった。 全員が次の写真を見て言葉を失った。 薄い桃色の着物に身を包み、岩魚が釣れると教えてくれた女将の梵が、見たことのない柄のセーターを着用して平屋の縁側に腰掛けている。昼下がりをぼんやりと過ごす女性の蝋人形。頭の中で服装さえ入れ替えてしまえば今にも柔らかな声が聞こえてきそうだった。 堀内が更に写真をスライドさせる。赤いワンピースを着た女性と、モスグリーンのポロシャツを身に纏った男性がいた。その顔を見てすぐに理解出来る。食堂で獺祭を分けてくれた男性、それを宥めるように言った妻の女性である。 写真が再び切り替わり、農作業に勤しんでいるような蝋人形の群れが映し出された。全員が言葉をうまく出せないまま食い入るように見る。ようやく松田が短い悲鳴をあげた。 「これ、今日河原にいた人たち…。」 5人に釣り具を貸し出してくれたフィッシングベストの男性、周囲で祭りかのように盛り上がっていた地域住民、全員が写真の中で服装だけを変えたまま静止している。 「何故気が付かなかったんだ?」 斎藤がふと疑問を投げかけた。まるでそれを嘲笑うかのように、部屋と廊下を隔てる壁の向こうから大勢の笑い声が鳴り響いた。突然発生した宴会のような複数の声。恐る恐る岸が言った。 「さっきトイレ行った時、誰もいなかったのに…。」
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