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16
行く場所もなく、5人は部屋に戻った。その間ロビーや他のフロアに人は誰もいなかった。
「なんでこんなことになったんだよ…。」
タバコを燻らせて斎藤は言った。敷かれたままの布団の上、広縁、各々が誰とも目を合わせることなく気分が沈んでいる。掛け軸が下がる低い台の上、久保田が金髪を掻き毟った。
「俺のせいなのかな。俺があの人形倒したから、こんな風になっちゃったのかな。」
誰も何も言えなかった。突然の怪奇現象が度重なれば人は皆困惑するはずだ。誰かを責める気持ちにもなれない、そんな面持ちで4人は久保田の切ない声を聞いていた。
「俺があの村を探検するとか、バカみたいなこと言ったせいなのかなぁ…だとしたら俺が悪いよなぁ…。」
「いや、俺のせいかもしれない。あの人形を川に投げなければここまで大事にはならなかったかもしれない…。」
携帯灰皿にまだ長いタバコを投げ捨てて、煙を鼻からゆっくり吐いていく。斎藤は下唇を噛んで悔いていた。
「剛、恭介。やめた方がいい。」
堀内は冷えた声で言った。ベッドの上で胡座をかき一点を見つめている。
「そうやって悲観的になったり、自分を責めたりするのは良くない。霊の思う壺だよ。」
妙な説得力があるのは、普段の彼の性格によるものなのかもしれない。いつもはどこか大人しいが、時折核心をつくような一言をさらりと言ってくれる。堀内の言葉に、久保田と斎藤は小さく頷いた。
ヴヴヴヴ…
バイブレーションのような音が鳴る。あまりにも小さい音が、黙り込む5人には良く聞こえた。
「誰の携帯?」
岸の言葉に全員が携帯を漁る。ポケットの中、カバンの中、5つの携帯が布団の上に置かれたが、どれも一切振動している様子はない。
ヴヴヴヴヴヴヴ……
耳を澄ませて音の鳴る方を探す。それが謎から恐怖へと変わったのは、松田の一言だった。
「これ、廊下から聞こえない?」
そう言った彼女を見て、ゆっくりと視線を玄関に移す。扉が薄い明かりに照らされてぼんやりとそこにある。その隙間から黒い靄のようなものがゆっくりと流れてきた。演歌歌手などがステージ上で使用するスモーク、そのような黒い煙が漂う。それが一体何なのかを探ろうとしたが、言葉にしなくとも答えはすぐに分かった。
無数の蝿だった。幾重にも響く羽音が、耳元でアラームのように鳴り響く。1つの黒い塊となった蝿の大群は短い部屋の廊下をすり抜けて部屋に飛び込んできた。
「キャー!」
ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ
女性陣の悲鳴を上書きするように蝿が部屋を駆け回る。やがてそれぞれの服の隙間に入り込んだ。肌と服の狭い空間を狂ったように飛び回っていく。5人は半狂乱になりながら手足を振っていた。服を脱ごうにも耳元で鳴り続ける蝿の羽音が動きを制限してしまう。
やがて髪の隙間、鼻と耳の穴の付近を削ぐように蝿が肌にぶつかる。無数の蝿に閉ざされた視界は黒に近いグレーだった。
「どいて!」
立ち上がった堀内が、蝿から逃れようとする斎藤を押し退ける。ぴったりと閉め切られていた窓に手を当ててもたついていた。彼も蝿の大群に襲われている、だからこそ久保田はその場から動いた。
ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ
鼓膜を刺すような羽音は、これから先一生思い出すのだろう。誰かと付き合っても、温かい家庭の中でご飯を食べていても、何をしてもこの羽音を思い出す。脳にへばりつく音をなんとか剥がす為に久保田は窓枠に手を当てた。どうやら鍵がかかっていた。つまみを上にあげようとしたが、まるで接着剤を塗られているようだった。両手で小さなつまみに力を込め、地面をひっくり返すほどの勢いをつける。
ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ
鳴り響く羽音を掻き消すように、久保田は声にならない絶叫をあげた。喉の中にすら蝿が入り込んでいるのかもしれないと思ってしまい、なんとか声の厚で押し出そうとする。その時だった。
「…す…て…。」
松田、岸でもない女の声。小さい女の子の声が羽音の中で微かに聞こえた。一体声の主は誰なのか。ふと頭の中に疑問がよぎった瞬間、あれだけ固まっていた窓枠のつまみがあっけなく上を向いた。勢いに負けて思わず後退る。それを察したのか堀内が叫びながら窓を開けた。
それまでは春の暖かい風を取り込んでいた窓が全開になり、蝿の勢いが突然変わった。
あれだけ5人の周りで蠢いていた蝿がいきなり方向を変え、切り取られたように空いた外へ飛び出ていく。部屋の中を満たしていた黒い蝿の大群は全て外に流れ、角度を変えて真下に落ちていった。
耳を裂くほどに喧しかった羽音は全て消え、いきなり静寂が張り詰めた。憔悴し切った5人はその場に倒れ込むように座り、息を荒くした。一体何故蝿なのか、あの羽音の中で聞こえた少女の声は何なのか、一切の手掛かりが無いまま久保田は脱力した。
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