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「で、後足りないものは?」 テーブルの上に紙、タバコ、缶チューハイが並ぶ。まさかこれだけを見て除霊の一式であるとは、誰も思わないだろう。岸の言葉を聞いて、黙り込んでいた堀内が恐る恐る言った。 「日本人形、だけ。」 名の無い村役場の3階、棚の上に佇んでいた黒い着物を着た日本人形。勿論の事ながらどこにあるかなど見当もつかない。窓の向こうは既に濃い闇に覆われ、薄い月明かりがぼんやりと木々の陰を見せている。まだ夜にはなっていない。それでも外は十分に暗かった。 「これ、探しに行くしかないよな…。」 斎藤のため息が漏れ、他の4人は渋々頷いた。この部屋にすら強い恐怖を覚えている。旅館全体を見て回るなど、お化け屋敷とは比べ物にならない恐ろしさだった。自らを鼓舞するように久保田は深く息を吸ってから口を開く。 「まずは全員で3階を見る。その後は俺と岸の2人、剛と一と松田の3人。別々で行動しよう。俺たちは上のフロアに、剛たちは下を探してくれ。」 掌に汗がじんわりと伝う。斎藤は何度もチノパンの横を摩ってそれを拭き取っていた。これだけの恐怖を味わったのに、旅館の中を歩き回って日本人形を見つけなければならないのだ。いくらでも噴き出す汗を太ももに擦り付けて平静を保つ。全員の鼓動が部屋の壁に反射しているようだった。 玄関から抜け、薄暗い廊下を携帯のライトでぼんやりと照らす。洞窟のような闇の壁が広がっていく。小さな光で穿っても何ら意味がない。絶望という漠然としたものを具現化するとこんな風になるのだろう。どれだけ照らそうともその全貌は見えない。全長を想像したところで上は果てしない。その壁にぶつかったところで怪我をするわけでもなく、ただ目の前の黒に吸い込まれていく。肌の上を筆の先が撫でていくような寒気が襲って全身が痙攣した。 廊下の隅々、食堂の中、男女トイレ、3階にあるスペースを全て確認した5人は階段の踊り場にいた。5つのライトが各々の表情を照らしている。久保田は最小の声で囁いた。 「ここからは別行動だ。もし何かあったらすぐにLINEを送る事。いいな?」 恐る恐る頷く。ゆっくりと川の流れが変わっていくように二手に分かれた。斎藤の黒いTシャツの裾をぎゅっと握り締め、松田の歩幅に合わせて進む。彼女を挟むようにして並びながら歩く堀内は3人の足元を照らしてくれた。それでもカーペットを踏み締める足音以外の音は無く、今自分たちが階段を下りているのか、上がっているのか、それすらも分からない。不安という名の泥に浸かっているようだ。 「ねぇ、もうちょっとゆっくり…。」 松田の湿った声が耳に張り付く。堀内が照らす微かな明かりだけで3人はようやく2階に降りた。 食堂があるためか、3階の廊下に窓は少ない。その分2階の廊下には沿うように小さな窓が並んでいた。薄い月明かりが携帯のライトよりも濃く照らす。携帯を仕舞って3人は廊下に繰り出した。 左手には扉が規則的に並び、誰もいないであろう客室を閉め切っている。いくら月明かりがあるとはいえその奥はまるで見えなかった。もしかしたらあのぼんやりとした闇の向こうから誰かが現れるかもしれない。未来永劫残るのではないかと思うほどシャツに皺を作り出す松田が身を寄せる。斎藤は恐怖に満ちた感情の隅で考えていた。 この旅館は一体何なのだろうか。そして初日に立ち寄った村は何なのか。あそこに立ち寄ったことでこの現象が発生しているのであればどう回避すればよかったのか。本当に久保田が日本人形を倒したことが原因なのか、自分がトイレで見つけた日本人形を川に投げ込んだことが原因なのか、だとしたら一体どうすればよかったのか。台風のようにぐるぐると疑問が巻いて消えてくれない。その時だった。 「キャー!」 岸の悲鳴が鳴り響く。3人はその場に立ち止まった。明らかに上の階から聞こえた彼女の悲鳴は明らかに切迫している。 「行こう。多分4階だ。」 冷静さを保ちながらも、はっきりとした声で言った堀内の言葉に他の2人は頷いた。先程とは比べ物にならないほど駆け足で階段へ戻る。松田の手を引いて駆け上がり、先頭に立つ堀内が時折こちらを振り返る。一段飛ばしで4階に上がり、3人の目の前に廊下が伸びていた。焦っていたがどこか冷静になるとこのフロアは妙だった。2階と同じように窓と扉が規則的に並んでいる。同じ月明かりのはずなのに、どこか2階よりも暗く感じてしまう。これは気のせいで片付けてもいいのだろうか。 「剛、あの部屋だ。」 廊下の半ば、扉が開いている。堀内が指す先に駆けて何とか疑問を拭った。今はどうにかして悲鳴を何とかしなければならない。427号室。扉の縁に手をかけて勢いよく開ける。岸の悲鳴は未だに続いていた。 短い廊下を抜けてリビングに入ると、そこには理解し難い状況があった。 焦げ茶色のテーブルの上、久保田が浮いている。 首には黒い帯のような物が巻かれて首を締め付けられていた。両手で何とか掻き毟るように抵抗を見せてはいるものの、おそらく何の意味も成していない。右手には岸が蹲っていた。 「へ、部屋に入ろうと思ったら、久保田が引き摺り込まれたの、慌てて追いかけたら、こ、こんなことになってて…。」 言葉尻を待たずにテーブルの上に乗り、その帯を掴んだ。 「何だこれ、硬すぎる。」 鉄に触れているようだった。明らかに布ではない。黒い鉄が巻きついている。車のドアを取り外そうとしてもびくともしないのと同じで、このまま何も出来ずに目の前で友人が窒息死してしまうのではないかと錯覚した。帯を両手で掴み手前に引き寄せる。 「一、手伝ってくれ。このままじゃダメだ。」 返事をせずに堀内が隣に立つ。帯に触れて彼はその硬さを知ったのだろう。堀内の焦った横顔が余計に胸の裏を掻いていく感覚に陥った。 なんとか爪を立てて引き剥がそうとする。久保田はびくともしない鉄の布に巻かれて声を失っていた。微かな呻き声が目の前から聞こえて、久保田の瞳が不安定に揺れる。頸動脈が圧迫されている証拠だ。 テーブルの上から片足だけを下ろし、より勢いをつけようとした斎藤は、視界の端に入ったものを見て動きを止めた。 部屋の角を背にぽつんと置かれた日本人形がまっすぐこちらを見ている。黒い着物にほんのり赤い花。トイレの窓から投げ捨てたことを恨んでいるかのようで、目が離せなくなってしまう。それでもこれが原因なのかもしれない、そう感じると行動は早かった。 慌ててテーブルから降りて日本人形を掴む。これが除霊に必要だと思い出して、慌てて方向を変える。とにかくこの部屋での怪奇現象はこの人形が原因であると決め付けて、斎藤は廊下の壁にはまったような窓に狙いを定めた。外に投げ捨てるわけではない、この部屋から出さないといけない。 勢いをつけて人形を放り投げる。放物線を描いて青白い月明かりの下に落ちた。 「恭介、大丈夫か。」 堀内の声に振り返り、テーブルの上で仰向けのまま息を取り戻そうとする久保田の元に駆け寄った。あれだけ首を締め付けていた黒い帯が、何故かどこにもない。 「いきなり消えたんだ。」 そうか、と言って憔悴しきった久保田の背に手を滑り込ませる。その時に触れた彼の体温を、斎藤は一生忘れないだろうと感じた。 冷凍庫に閉じ込められていたように、ひどく冷えている。 なんとか暖めてやる必要があるだろうと、既に次を考えていた。
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