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「あああああああああああああああああああああ」 男の絶叫が廊下からこだまする。やがて女の悲鳴まで加わった。 「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」 427号室の部屋の中で5人は息を荒くしながらその絶叫を聞いていた。2人だとかそんな少ない人数ではない。堀内は恐る恐る立ち上がって廊下の方を見て言った。 「50人くらい、いるんじゃないかな…。」 「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」 岸と松田は身を寄せ合って耳を塞いでいた。無理もないだろうと斎藤は感じていた。まるで殺されている際の悲鳴に似ているのだ。男女、子どもの悲痛な叫び声。それでもここに居続ければ何も進展はないだろう。もしかしたらまた誰かに異変が襲い掛かるかもしれない。 「ここから、出よう。」 掠れた声で久保田が言った。ゆっくりと上体を起こしたが、どこか体が震えている。まだ冷えているのだ。 「大丈夫なの。まだ休んでいた方がいいんじゃないの。」 「いや、いい。これ以上ここに居たらまずいと思う。」 岸の心配を手で抑えるようにして、久保田は立ち上がった。恐怖による痙攣ではない。何かに冷やされた体がまだ動きに慣れていないのだ。 「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」 大勢の絶叫は勢いを増したまま続いている。廊下に大量の人間が並んで叫んでいるようだった。震える足に鞭を打って立ち、廊下に向かおうとする。彼をこのままにはしておけない。4人は慌てて久保田の後を追った。 廊下には誰もいなかった。 それでもすぐそばから絶叫が聞こえているような感覚がある。廊下の真ん中で立ち尽くし、5人は身動きが取れなかった。 「ねぇ、どこに行けばいいの。」 「3階に戻ろう。今の所あそこがまだ安全かもしれない。」 堀内の提案に他の4人は嫌悪感を抱いたが、それでも3階以外に行く場所はない。渋々了承した久保田たちは忍足のように廊下を進んだ。 左右から鳴り響く絶叫に身を削られるような思いで、ゆっくりとカーペットを踏んでいく。もしかしたらこのカーペットすらも霊による物なのではないかと錯覚してしまうほど、何もかもが恐ろしい。早くこの旅館から解放されたいのに、いつまでも旅館の中で堂々巡りをしている。 ざり、ざり、ざり 果物を擦っているような、乾いた音が聞こえる。何故この絶叫の中で鮮明に聞こえるのかは分からなかった。 「ねぇ、皆…後ろに何かいるかも…。」 最後尾を歩く松田が声を震わせて言う。松田に目を合わせて、全員がゆっくりと後ろを振り向いた。 黒い着物を着た少女だった。ほんのり赤い花が彩られて、薄暗い廊下の奥で佇んでいる。針金のような黒い髪が胸元まで下がり、だらんと下がった白い腕の先で包丁が月明かりに反射していた。 着物だけでなく、肌に泥が付いている。ぱっちりとした目に小さな唇と鼻の頭。随分と痩せこけている。包丁と同じように鋭利な顎が胸に刺さって俯いていた。一目見ただけで彼女が生きている人間ではないと理解出来る。にも関わらず5人は逃げることすら出来ずに固まっていた。 ざり、ざり、ざり、ざり、ざり、ざり 包丁を持つ腕を掻いている。その都度肌からふけのようなものがぱらぱらと零れ落ち、窓から差す月明かりに照らされていた。 「あ゛あ゛…」 焼け焦げたような声が低く鳴り、包丁を持つ右腕をゆっくりと振り上げる。こちらに切っ先を向けた瞬間に少女は駆け出した。 「逃げろ!」 久保田の声に全員が体勢を変え、逃走を始めた。足がもつれながらも背後から迫り来る少女から逃げていく。素足がカーペットに張り付いて離れる音が聞こえ、いつの間にか男女の絶叫が止んでいた。しかし5人はそれに気が付くこともなく走っていった。 最初の異変を察知したのは久保田だった。 「なんで、こんなに廊下長いんだ。」 息を切らして言う彼の言葉に、他の4人も気が付いたようだった。何故か廊下が長い。たったそれだけではあるが、絶大な違和感であった。誰かがいたずらに引き伸ばしたかのように暗闇が続いている。窓も、部屋も、月明かりも、全てが永遠に思えてしまった。 「もう、無理…。」 既に5分は経過している。確実に数百メートルは走ったはずだった。にも関わらず階段に辿り着くことはない。 久保田は首に残る痛みを抑えながら恐ろしいことを考えていた。もしかしたら自分たちはもう既に死んでいるのではないか。今この空間は黄泉で、終わらないのだ。逃げても捕まっても変わらない。ただこの状況が繰り返されていく。何をしても無意味ということだ。 カーペットに大きな物体が落ちる、そんな音がした。咄嗟の判断で振り向いた斎藤は思わず足を止めた。 廊下の真ん中で松田がうつ伏せのまま倒れている。白いスカートが翻って膝の裏が見えていた。このままではいけない。早急に察知した斎藤は彼女の元へ走った。他の3人も気付いた様子だったが、もう既に手遅れだった。 松田の真横に聳える扉が突如開き、暗い隙間から無数の白い手が伸びた。細い足首を掴んだ途端松田の体はとてつもないスピードで引き摺られて部屋の中に消えてしまった。桃色の薄いセーターが吸い込まれる。斎藤と岸が駆け付けた時には扉すらも閉め切られ、いくらドアノブを回そうが勢い良く引こうがびくともしない。斎藤は声にならない声で扉を叩いていた。 「松田!松田!」 包丁を振り上げて距離を詰めようと、少女の霊が狂ったように走っている。このままでは斎藤と岸が危ない。咄嗟に久保田は2人の元に駆け寄って腕を掴んだ。 「ダメだ。ここは一旦逃げるぞ。」 「松田、そんな…」 久保田と岸が無理やり斎藤を引き摺って、4人は再び廊下を駆けて行った。
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